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41 星天陣に華のコラージュ 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

41星天陣に華のコラージュ


「えっほっ、えっほっ」
 巨大な鉄製の鉢が宙を浮いていた。鉢は上下にゆっさゆっさ揺れながら水平移動していく。
「アシュディン、この辺?」
「あ〜、もうちょっと右、いや左、やっぱ右」
「どっちだよ!?」
 運ばれているのは祭火台だ。側面の上下には横彫りの筋が幾重にも刻まれ、膨らんだ胴にアラベスク模様が描かれている。アシュディンの舞踏衣に施された刺繍と同じ模様だ。
「あーっもう、アシュディンの説明じゃ全然分かんねえよ! ハーヴィドさん、指示してもらえますか?」
「衛兵Aは左に2歩半、衛兵Bは反時計回りに30°回転して20cm下がれ」
「ちょっと待って、余計分からないですって。しかもAとかBとかひどくないですか!?」
 人の背丈以上ある祭火台を運んでいるのは宮廷衛兵隊のウォールズとレグルスだ。ふたりは位置を見定めると「1、2、3!」と掛け声を合わせて台をフロアの中央に置いた。これで団員の出払ったもぬけの神殿に5つの祭火台が用意された。
「ありがとなー、ウォールズ、レグルス。これでばっちりだよ」
 アシュディンは礼を言いながら台の側面を掌でパンパン叩いた。
「いいって、いいって! でも分かってるだろうな、勤労感謝祭レイバー・フェスの日に俺らを狩り出したんだ」
「女舞師たちとの懇親会合コン3回分だぞ〜、セッティングよろしく!」
「バ、バカ! 老師長の前で言うなって」
 アシュディンは慌てて唇の前で人差し指を立てた。当のジールカイン老師長は神殿の片隅でエル・ハーヴィドの日記に目を落とし〈星天陣の舞〉の流れを最終確認している。
「で、あとは人が立ち入らないように見張っていればいいんだろ?」
「本職の俺たちに任せておけ!」
 アシュディンは昔馴染みの協力に心から感謝した。

 その頃、帝都市街は勤労感謝祭レイバー・フェスの真っ只中にあった。通称、花舞祭はなまいまつり
 労働者を慰労する目的で制定された記念日で、帝都民のほぼ全員が休日となる。衛兵たちも例外ではない。例外なのは、飲食業と帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールだ。彼らは無礼講の日を盛り上げるために、酒と食事と、舞を提供する。数少ない振替休日のグループだ。
 舞踏団が取り仕切るものの中で、もっとも世俗的で活気に満ちた行事。宮廷舞師は世俗舞師たちを引き連れて街を練り歩く。大通りだけでなく、路地裏や店の中までも。時には自宅にまで上がったりもする。スファーディ教は老いや闘病も労働と見做すため、床に臥す病人や老人たちにも舞が贈られる。

 ──帝都第3街区、今年新しく就任した正統ラファーニは名家や旧家に頭を下げながら、各所にて優美で流麗な舞を披露していった。格調高く深淵な舞を、誰しもがありがたがって拝んだ。まるで聖職者の慰問だ。不満を垂れていた者たちもすっかり彼女の美貌の虜になって、きっかけ作りのためにわざとらしく謝りに来たりした──

 神殿。5つの祭火台に火が灯された。失われた舞楽ダアル〈星天陣の舞〉。その準備に追われていたのはアシュディンとハーヴィドだけではない。むしろ老師長ジールカインの方が忙殺されていた。
 祭火台に用いられる香の素材には、現代では手に入りにくいものもあった。アシュディンは〈香とか別に良くないか?〉と適当に言ったが、憑依トランスを必須とする舞では香こそが重要だと老師長はこだわり抜いた。
 どうにか取り揃えた木々や薬草ハーブが、鉢の中で熱せられて香り立った。
 ハーヴィドが台の前に坐す。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの白の衣装を纏って。今日の彼は舞の伴奏でも脇役でもない。舞占師と対等に相見あいまみえる、ひとりの楽占師だ。構えられたヴィシラが祭火と同じ色で燃えていた。
 アシュディンはヴェールとローブが一体となった薄手の黒装束を被り、顔と裸体を隠していた。ゆっくりと舞台前側に来て始まりの構えを取る。重心を軽く下に落とした、ほどよく脱力した構えだ。
 柱に彫られた三位一体の像のように、舞占師、楽占師、祭火台が縦一列に並んだ。168年ぶりの〈星天陣の舞〉が幕を開ける。

 ゆったりとした分散和音アルペジオが奏でられた。陰鬱な調べに同調して、舞師は意味ありげなスローモーションの舞を始める。手は凪の海に揺蕩うがごとく、腰は離岸する船のごとく、無いものを探そうとして、無いもの掴もうとして一体どこへ。時空のねじれと不和を示すかのようなもどかしい動き。
 不動のまま堪える舞は散々披露してきたが、これほどまで遅緩に舞うのは難しい。関節の保持、筋肉の制御だけでなく、精神が逸るのを御さなくてはならない。しかもそれは祭火台を中心としたあらゆる場所で展開された。永遠にほど近い長い時間をかけて。涼しい顔で舞い続けるアシュディン、その髪の毛までが浮いているように見えた。
 楽師は星の動きを感じながら手を動かした。天体の動きを超えてはならない。それを超えた瞬間に舞楽は台無しになる。小さき動物として生きる速度を捨て、宇宙の悠久の時間に放り出されること。それが〈星天陣の舞〉の核心だった。
 老師長はそんな退屈な舞楽から一瞬たりとも目を逸らさなかった。演者を見守るというより、舞台と一体化するような感覚で臨んでいた。

 ──第5街区の酒場は大変な騒ぎになっていた。舞踏団一、美人でグラマーと謳われる女舞師の持ち場だ。無礼講の精神が舞師にも宿る。毎年〈やり過ぎだ〉と叱られる彼女だが、今年も反骨精神を剥き出しにした高飛車な舞を披露した。舞台を取り囲む労働者の男どもは自ら進んで骨抜きにされ、次から次へとジョッキを空けた。酒場の店員が嬉しい悲鳴を上げながら店内を奔走していた──

 アシュディンの手足が舞台上すべての場所を撫で終えると、舞楽には次の展開が用意されていた。ありとあらゆる回転運動、舞の名目が示す通り天体の動きの再現ミメーシスだ。
 惑星の自転、軸の傾き、公転までもが意識され、手足の滑らかな動きは優美な芸術へと昇華される。振り上げた足の角度で傾斜をつけ、腕や装束の螺旋運動を利用して目の錯覚を起こさせる。華麗な宙返りまでもが組み込まれた。
 大胆な動きから繊細な動きまで、運動と呼ばれるものの全てがここに詰め込まれていた。公転半径もさまざまあり、舞台上のすべての場所に一点照明スポットライトが当たった。
 楽師はいくつもの弦を同時に奏で、協も不協も様々な和音を神殿に放った。宇宙の音楽を聴き、宇宙の音楽を奏でる。古代の哲学者たちがそうしてきたように、音を物理と神秘とで捕まえて、ヴィシラに込めて弾き出す。世界と楽器の交信と共振、その蜜月を楽師は邪魔することなく、どこかにあるはずの音を増幅して世界に顕現させた。

 ──治安が良くないことで有名な帝都第10街区。今年も腕っぷし自慢の正義と喧嘩自慢の賊とが酔っ払ってやり合った。その横で楽師団が勝手に太鼓をダンダン叩き始めると、男舞師が乱入し、音に合わせてバク転や側方宙返り、ブリッジや飛び蹴りを繰り広げた。恒例の格闘技舞カポエイラは野次馬たちを大いに沸かせた──

 汗がアシュディンの躰をびしゃびしゃに濡らしていた。衣装が肌にへばりつき、筋肉の凹凸がそのままに描き出される。回るたびに跳ぶたびに汗が迸る。背を反り返せば後ろの床に滴り落ちる。激しい消耗。それでも舞師は勢いを衰えをさせず、広い舞台を縦横無尽に駆け巡り、幽玄な舞を次々と披露した。
 恍惚の時が近づいていた。舞が鋭さを増していく。宇宙に蠢くエネルギーの表象。陽と陰の同時作用。舞に膨張と収縮の双方がもたらされる。アシュディンはどこまでも能動的に舞い、どこまでも受動的に舞った。舞台は暗黒物質ダークマターと化し、アシュディンのいないところが段々と暗く透明になっていく。舞師の体が宙に浮いていく。

 おぞましい超感覚の群れがアシュディンの心身を蝕もうと襲いかかった。網膜はやすりで削られ、耳の中では散々金属を砥がれ、全ての肌に焼きごてを押し付けられる。あらゆる怒り、妬み嫉み、焦燥感、憂いと悲壮と絶望とが脳に浸潤してひしめいていた。そこに歓喜や法悦が同居する。神経を昂らせ憑依トランスするとは、こういうことだった。
 しかしアシュディンは、後ろに下がっている理性が崩壊するのをよく堪えていた。
《ハーヴィドがそこにいる》
 昂る感覚も荒ぶる感情も、楽師の存在に裏から支えられ、御されている。そのおかげでアシュディンは存分に身を超感覚に委ねられた。姿形を見なくとも、声が聞こえなくとも《ハーヴィドがそこにいる》この感覚ひとつが、青年が憑依に攫われないように手綱を締めていた。束縛と自由のパラドックス、それもまた宇宙の原理のひとつだ。アシュディンはハーヴィドの見守るところで、自由自在に舞い続けた。
 それはハーヴィドも同じだ。《こいつは決して、俺を置いて遠くに行ったりしない》 視界からアシュディンが消えても、靴音や手足が空を切る音が聞こえなくなっても、その精神的な土台が揺らぐことはない。

 ──帝都第7街区、人員の配置が困難な区域だったが、なんの心配も要らなかった。酒に酔った世俗舞師らが集団を扇動し、舞師だろうがそうじゃなかろうが、みな大通りに集まって犇きながら踊り狂った。押したり引いたりの波ができ、不思議と群衆のステップが揃う。その様はまるでサンバ・カーニバルだ。(ちなみにこの祭りから十月十日後に生まれる子どもは多い)──

 黒装束は遠くに脱ぎ捨てられていた。濡れた肌が祭火台に揺らぐ炎であらゆる輝きを見せている。雄々しく、神々しく、妖艶にして甘美な光を纏う舞師。舞楽ダアルはいよいよ絶頂クライマックスに近付いてきている。
 迸る躍動、荒波のようにうねる肉体、咆哮が聞こえんばかりの猛々しい感情の発露。舞師の足捌きに獣たちが逃げ惑う。舞師の跳躍に天地が慄く。腕を振れば惑星が震え、足を振れば銀河が彼の存在に気付いた。舞師の動きに全宇宙が確かな反応を見せた。
 表情に舞が乗り移り、顔までが舞っている。般若の奥深い怒り、創造主の透明な威厳、女神の暴力的な慈しみ……あらゆる神話の形相が浮かんでは消え、浮かんでは消え、しかし憑依は必ず褪せていき、青年の儚げな面差しとなって帰ってくる。

 いつからかアシュディンとハーヴィドは同じ景色を見ていた。かつてディ・シュアンが見たものより、ずっと粗雑で茫とした映像だったが。
 地平線から顔を出した太陽が弧を描いて沈むまでを何べんも繰り返した。そしてあるところで突如、視界に眩い閃光が近付いてくる。
 怨めしいほどの輝きにふたりの身が包み込まれたその時、2時間の舞楽ダアルがようやく幕を閉じた。
 宙に浮かぶアシュディンの指先がぴたりと止まった刹那、ハーヴィドのヴィシラがはたと鳴り止んだ。

 長い沈黙の後、ふたりの口から占断の結果が告げられた。

「「災禍は……10日後だ」」


 舞踏団の棟、玄関エントランスの前。
「あなたたち、我々の城の前でいったい何を? こんなめでたい日に仕事ですか?」
 ラファーニが眉をしかめながら、衛兵ふたりに詰め寄っていった。
「やっべ、アシュディンの姉ちゃんだ」
「ってことは、舞踏団の正統!?」
 女正統は顔の内に怒りの熱と冷気を共存させた。釣り上がった目が完全に据わっている。
「今すぐそこを退きなさい。アシュディンが舞っているのでしょう? 香の薫りで丸わかりです」
「あ、あ、あの。ほら、俺たち気を遣っているというか、ひ、ひ、人前では出来ない事とかもあるじゃないですかぁ……」
 ウォールズは慌てふためいて懸命に誤魔化そうとした。
「……そのようなふしだらなことをするのなら、ますます追い出さなくてはなりませんね」
 ラファーニの火炎光背が燃えさかった。
「バ、バカ、逆効果……」レグルスが相方の軽口を咎めようとした刹那、目の前から女舞師の姿が消えた「──!?」と思いきや、ウォールズの後頭部に空中回し蹴りが炸裂クリーンヒットした!
 目の前に崩れ落ちたウォールズを見て、相方は「ひぃぃっ」と腰を抜かした。

 ラファーニは前室に入って怒声を上げた。
「アシュディン! アシュディン! ここにいるのは分かっているのですよ!?」
 香が漂ってくるのは神殿からだ。ふたつの部屋を仕切る両開きの扉が、彼女の手で勢いよく開かれた。
 神殿中央に置かれた祭火台から残煙が仄かに立ち昇っている。その手前で輪を作って佇む3人の男たち。
「アシュディン! それに老師長まで! いったいここで何を!?」
 ずかずかと歩み寄ってくるラファーニに、アシュディンは青白い顔を向けた。
「姉さん、実は──」
 アシュディンが言いかけたその瞬間、帝都の方で爆発音がとどろいた。3発、立て続けに。


── to be continued──

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