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40 ドゥ・セレナーデ(R18, BL) 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

【ご注意】ネット小説レーティング同盟の定義に賛同しており、本話はR18(性描写そのものに重きを置き、具体的に描写しているもの)に該当します。


40 ドゥ・セレナーデ


「ハッ──」上体を大きく反らし、後ろの床を見やるように首を捻る。上げた左腕と肩の間から矢のような鋭い視線が覗いた。折り曲げられた右脚が軸足の裏に添えられ、たなびく三角旗を象った。
「ヤッ──」回旋の反動で身を沈め、股・膝・足の連動をバネに変えて軽やかに跳躍。空中で2回転し、下りた流れのまま前屈みで手を投げ出した。両肩が脈打ち、両腕が波打つような非合理な動き。

 その部屋は狭くはないが、舞うには心許ない。壁への衝突や床の音を気にしながらの修練。窮屈なことこの上ない。だからといって、やらないわけにはいかなかった。
 アシュディンは漲る闘志を筋肉の内に閉じ込め、勝手なままの運動の制御を己に課した。自室での修練はむしろ大事なことを教えてくれるようだった。
 上半身裸で舞う青年。ラウダナでの舞踊三昧の日々を経た事で、贅肉は削ぎ落とされ、団を追放された時よりもずっと体が出来上がっている。
〈コンコン〉ふとドアがノックされた。
 流れを打ち切りたくなかったアシュディンは「ハーヴィド? 勝手に入って!」と声を張りながら舞を続けた。
〈バタン……カチャ〉ドアの閉じる音に続いて、鍵をかける音が鳴った。

 アシュディンは音の不自然さに気付いて回旋を止めた。ドアの前に立っているのはハーヴィドではなかった。
「ワ、ワーグラム……」 
 意表を突かれた青年は舞を止め、その場に直立した。元恋人の視線が胸のあたりに漂っている。アシュディンは自分が裸であることに思い至り、慌てて服を探しはじめた。
「別にいいだろう、隠すような間柄でもない」
 長い手足を小さく振りながら、細面の美形はゆっくりと青年に近付いてきた。
「部屋に来ると思って、ずっと待っていたのだが?」
 息の多い切なげな声が懐かしさを引き連れてきた。
「ごめん……」
 アシュディンは言わされたような気になった。しかし黙って団を出て行ったことに罪悪感があるのも確かだった。
 ワーグラムがいる。ずっと好き合っていた人だ。目の前にある舞踏衣にはまだ自分の香りが残っているだろうか。その逆に俺の体には? アシュディンは気もそぞろに彼と対峙した。
「こっそり練習なんかして、どうしても舞いたいんだな」
 手がアシュディンの肩に添えられた。ハーヴィドのものとは違う、指のシュッと伸びた繊細な手だ。
「私が正統に掛け合ってやろうか?」
「ほんと!?……」
 出された助け舟に即座に飛びついたアシュディン。しかし言った直後からわだかまりが募っていくのを感じて、改めて首を横に振った。
「いや、やっぱいい。姉さんのことはちゃんと自分で説得する」
「お前は本当に頑固だな」
 ワーグラムは眉尻を軽く下げると、肩に置いた手でアシュディンの髪を二度三度撫でた。

 優しい手つきに頭がぼーっとしてきた。緩んでいく理性。アシュディンは不器用に甘えるみたいに、頭をやや垂れた。
「この4ヶ月、辛かったか?」
 問われてアシュディンは小さく頷いた。
「私も、お前がいなくて寂しかった」
 ワーグラムは肌のむき出しになった青年の体を緩やかに抱いた。まるで相手から身を寄せてくるのを試して待つかのように。
 アシュディンも吸い込まれるように相手の胸にもたれかかった。やや骨張った胸板の懐かしい感触。その場所にはやはり自分の香りが残っているような気がした。
 ワーグラムは青年の後頭部を手で包みこみ、顎をたくし上げるように唇を重ね合わせた。抵抗がないことが分かると、より熱っぽい口づけを落としていく。
 アシュディンは唇の持つ繊細な感覚で、恍惚と違和感とを一挙に受け取った。時間が馴染ませてきた感触と、いま愛してる人との違いと。ふたつはせめぎ合うことはなく、並行線として続いていく。
 髪から撫で下ろされた手が首筋に触れると、アシュディンは「ちょっ……と……待って」と言いながら首をよじって抵抗した。
「待たない」
 無防備になった逆の首筋を口で刺激され、アシュディンは思わず吐息を漏らした。敏感なところを狙って執拗に這ってくる舌。ただでさえ弱いその場所は、背中を指先でなぞられて、ますます感度が高まっていく。
 顔が下りていって、吐息が胸の先端をくすぐった。小さな痙攣が伝播していく。息をつく暇もなく唇と舌とで繊細に転がされ、官能に全身が打ち震えた。ふいに膝が崩れ落ちそうになったのを、ワーグラムが腰を抱き寄せて支えた。それで、アシュディンの男の体が反応しているのが知られてしまった。

 ワーグラムは従順な青年の手を引いて寝台へと向かった。白いシーツに投げ出された白皙はくせきの裸体。ワーグラムは片膝を寝台に乗り上げ、青年の上で舞踏衣を脱ぎ捨てた。身を重ね合うと、ふたりの舞師が持つ独特な筋肉のラインがあらゆる場所であらゆる角度で交差する。流れるように絡み合う指。おのずとまといつく脚。
《どうしてだろう……》
 愛撫されるたびに身をふるわせた。
《なぜだろう……》
 刺激されるたびに身をよがらせた。
 部屋にはみだらな水音や喘ぎ声が散々響いている。あれだって喜んで屹立している。それなのに──
《こんなにも気持ちいいのに、あんなにも親しんだ人なのに、心がまったく動かないのはなぜ?》
 アシュディンは斜め上に顔を背け、宙の一点をずっと見つめていた。そこに浮かんでいるのは楽師の存在だった。悲しい顔をするわけでも、咎めてくるわけでもなく、ハーヴィドはただ存在感の塊としてすぐ傍にいた──
 往年の体の馴染みを感じていたのはアシュディンの方だけだった。ワーグラムはすっかり変わってしまった元恋人にうんざりしていた。一度も名前を呼んでこない。そればかりか一切自分に目を向けていないことに気付くと、愛撫をやめて身を離した。
 寝台から足を下ろして舞踏衣を着た。そのタイミングで、アシュディンはようやく行為が中座されたことに気付いたようだった。
 なんとも言い難い表情で立ち去ろうとするワーグラム。アシュディンはその背に手を伸ばそうとした。が、実際には指が微かに動いただけだった。
 ワーグラムは茫とする青年を苦々しく見下ろしながら告げた。
「今度は私の部屋に来てくれ。もし今度があるのなら」
 鍵の回る音がして、ドアの開く音がした。何かが閉じた音がした。


 楽師はその日の修練を終え、壁に寄せられた布団に寝そべっていた。除名された中堅舞師の部屋だ。布団と小さなローテーブルと小さな棚がひとつずつ。それだけで床はぎっしり埋まっていた。
〈トントン〉ドアがノックされた。
「アシュディンか? 入っていいぞ!」ハーヴィドは寝た体勢のまま声を張った。
 開かれた扉の向こうにアシュディンが立っていた。髪の毛が湿っている。
「こんな時間に湯浴みか?」
「……舞の修練をしてたんだけど、だいぶ汗かいちゃってさ」
「感心するが、風邪をひくなよ」
 離れたまま言葉を交わし合うふたり。ハーヴィドはなかなか入ってこない青年を訝しんだ。
「こっちに来たらいい」と言って身を起こし、布団半分のスペースを青年に譲ろうとした。
 言われてようやく部屋に入り、そこにちょこんと座したアシュディン。壁に背をもたれ同じ方向を向く。ふたりの隙間には壁の白が気まずそうに覗いていた。
《……なんかあったな》楽師はすぐに察した。

「お前のこと教えて」
 アシュディンは聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた。
「充分、伝えてると思うが」
「なんか話せよ」
 ごねる子どものような青年。ハーヴィドは情のこもった短いため息をついてから話し始めた。
「ラウダナ国で一度、お前に手を挙げたことがあっただろう?」
「え、そんなことあったっけ?」
 目を見開くアシュディンにハーヴィドは軽い笑みを向けた。
「ああ。移動民族ロマを馬鹿にされたように受け取って、お前を地面に投げ倒した」
 まったく記憶にないと惚けるアシュディン。
「エル・ハーヴィドの日記にも書いてあったが、移動民族ロマが嫌われ者の集まりというのは確かだ。俺も、ハーヴィドの名を継いでひとりになる前には迫害を受けたこともあった。ひとりになってからは怖がられてばかりだ」
 眉を寄せるハーヴィドの横顔を見て、アシュディンは不謹慎と思いながらも色気を感じてしまった。
「なのにお前ときたら、会ったその日に人の私物に触ろうとするわ、散々いちゃもんを付けてくるわ、ザインを送り届ける依頼を受けたときだって、何の警戒もしなかった。正直、こいつ馬鹿かと思った」
 青年は毒づかれるのには慣れていた。当人を目の前にしてこぼされる愚痴には、だいたい情が込められていることを知っていた。
「怖がってるのはどっちだ。迫害される者と迫害する者と。おそらくは両方なのだろう。だからもし打ち解けたいなら、まずどちらかが恐怖を飛び越えなくてはならない」
 ハーヴィドは歴代ハーヴィドの168年分の旅に想いを馳せた。そして唐突に爽やかな顔つきになって言った。
「それをお前は簡単にやってのけてしまう」
 ハーヴィドはアシュディンの顔を見なかったが、布団の上でだらりとしていた青年の手に自身の手を重ねた。指の微かな硬直が彼の抱えるやましさや罪悪感を伝えてきたが、構うものかと話を続けた。
「まさか俺が誰かの専属楽師をやったり、物件を探したり、団に所属するなんて、1年前には思ってもみなかったぞ。すべてお前のおかげだ、アシュディン」
「俺は別に……何もしてねぇよ……」
「だからこそ尊いのだろう。打算には綻びが付き物だからな」
 俯く青年をハーヴィドは横目で見やった。
「俺は、数あるダアルの中でもお前には葬舞がもっとも合っていると思うぞ。お前は人種や民族を分け隔てないだけでなく、生者と死者すら同等に扱う。おそらくそれが、葬舞の魂に誂え向きなのだろうな」
 楽師は今度は急に切ない顔に変わって、何度か首を横に振った。
「だから本当は占断なんてさせたくない。危ない目になど合わせたくない。俺はただお前の葬舞を、見ていたいんだ」
 アシュディンは、先ほど自室で感じたハーヴィドの存在感の正体が理解できた気がした。この人に見守られていた、出逢った時からずっと。

 アシュディンはつと立ち上がって言った。
「ありがとうな、なんかスッキリした!」
「いいのか? 甘えに来たんじゃないのか?」
 ハーヴィドが拍子抜けした顔で問うと、青年は声を低くして楽師の物真似を交えながら返した。
「それでやるべき事が消えるわけじゃない、って言ったのはお前の方だぜ。〈星天陣の舞〉が終わったら、めいっぱい甘えさせてくれよ!」
 アシュディンはめいっぱい明るい声を上げて、部屋を出て行った。そして来た廊下を戻りながら心の中で誓った。
《俺、ハーヴィドと生きていく。〈星天陣の舞〉が終わったら、ワーグラムとちゃんと話そう》
 アシュディンが去ると急に部屋が広くなったような感じがした。ハーヴィドは一抹の寂しさを覚えた自分自身に、思わず失笑した。
「まったく、俺の方が夜這いを期待してどうする」



 そして〈勤労感謝祭レイバー・フェス〉、通称〈花舞祭〉の日がやって来た。アシュディンとハーヴィドにとっては、隠れて〈星天陣の舞〉を執り行う日だ。


── to be continued──

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