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連載小説 『花の矢をくれたひと』 お礼・あとがき・裏話

ごあいさつ

2019年12月27日に不定期連載と銘打って開始した小説『花の矢をくれたひと』がこのたび無事、完結を迎えました。全32話、計7万字となりました。お読みくださった皆さま、本当にありがとうございます!!

インド神話(一部仏典)をベースにした本作、難解だったり冗長な部分も多々あり、読者には多大なストレスを強いたかもしれません。しかし最後まで書き切らねばという思いを成就してくれたのは「読者はゼロではない」という揺るぎない事実でした。ゼロではないイチとは、紛れもなく今これを読んで下さっているアナタのことです。本当に感謝に堪えませんm(_ _)m

この記事では『花の矢をくれたひと』の背景や構成、裏話などを書いていきます。アマチュアが創作に解説を加えるというのは野暮なことですし、純粋なオリジナルであればこんなことはしません。しかし本作では背景にインド神話や古代インド文化が横たわっており、先達研究者の知恵を多分に拝借しております。彼らと彼らの業績に敬意を表したいという想いから、この記事を書いています。最後までお付き合い頂けたら幸いです。

前半は多少マニアックな内容を含んでいますが、⑤〜⑧あたりは軽くお読み頂けますので、よろしければ是非!


① 創作の動機は古代インドの宗教変遷

本作のログラインは、

【主】愛の神カーマが軍神を誕生させるためにシヴァを射ることを目指す

【副】転生するたびに記憶をなくすカーマが生き別れた妻を探す

の2つです。ラインが2つあるだけでも厄介なのに、更にその背景に宗教変遷のテーマがあります。

【裏】バラモン教のインドラの人気が衰えていき、ヒンドゥー教のシヴァとその妃神が台頭する

こうして振り返ると「あぁ、やっちまった」と思うわけです。10万字以内の小説でやるには内容が込み入りすぎですね。猛省。
【主】はベースの神話通りの話で、【副】が僕のオリジナルです。そしてここでは制作の一番の動機となった【裏】について簡単に補足させて頂きます。

古代インドの宗教史をざっくり説明すると、

▽ 紀元前10世紀〜前5世紀頃
バラモン教一強時代。聖典ヴェーダが正義!司祭バラモンが正義!!インドラ万歳!!!

▽ 前5世紀〜0世紀頃
バラモンの奴ら、偉そうにしやがって。今、仏教とかジャイナ教とかいう外道が流行ってるらしいよ! 入信してみる?? 出家・修行してみちゃう?

▽ 紀元前後数世紀
仏教の人気が凄まじくてバラモン教の存続が危うい! こうなったら土着信仰を吸収しようぜ→ヒンドゥー教の誕生。ビシュヌ万歳!!シヴァ万歳!!!

つまりインドラ→シヴァ(とヴィシュヌ)の人気の変遷は、そのままヴェーダ信仰→在俗・土着信仰にも置き換えられます。この流れで生まれたのが「インドラが負けてシヴァが新たなる軍神の父親になる」という本作のベースとなった神話です。
(本作の後半では女神信仰についても触れています。在俗・土着の信仰には女神がたくさんいたので、それらシヴァやヴィシュヌの奥方として当てがうことで彼女たちの権威や信者を守ったのだろうと言われています)


② 物語はカーマについての短い描写から

ヴェーダが力を失ってしまったので、バラモン・ヒンドゥー教には新たなる教典が必要になってきます。そこで土着の神を融合しながら作者不明のプラーナという文献群が登場しました。ヴェーダは天啓、プラーナは聖伝と区別し、いちおう権威としてはヴェーダ > プラーナという体裁を保ちながらです。

そしてこのプラーナに登場してくるのが、本作の主人公である愛神カーマです。元々は西洋のキューピッド・エロスと同様に、愛を結ぶ象徴として、精霊的な存在としてさまざまな文献に名前が挙がります。しかし人格神となって物語が紡がれるのはプラーナが登場する頃になってからです。

カーマの物語はそれほど多くありませんが、その名を有名なものにしたのが本作にも登場した詩人カーリダーサによる『クマーラ・サンヴァバ』という叙事詩です。プラーナではないの?という疑問が湧いてきますが、実は「カーリダーサが後に聖伝プラーナ書いた」とか「聖伝プラーナの方がカーリダーサをパクった」とかいう説が上がるほど、カーリダーサの作品は重要です。

しかしそこでのカーマたちはただの脇役で、彼らに割かれる紙面はそれほど多くありません。実際の神話の内容はだいたい以下の通りです。

インドラがシヴァの元にカーマを派遣した。
カーマはヴァサンタとラティを引き連れていた。
ヴァサンタの渡した花の矢でシヴァを射る。
シヴァは一瞬心を掻き乱されるが、カーマを見つけて焼き殺してしまう。
ラティが嘆き悲しんで後追いをしようとするが「また夫と再会するだろう」との天啓を受けて思いとどまる。

その他にカーマが登場する文献には『バーガヴァタ・プラーナ』というヴィシュヌ系の聖伝があります。ここでカーマはクリシュナ(ヴィシュヌの化身)の息子として転生します。妻ラティの生まれ変わりが、魚の腹の中から彼を見つけ出すというエピソードがあり、『花の矢をくれたひと』の21話でも小さく盛り込みました。


③ 中盤のモティーフはヒンドゥー教の三大目的

本作の中盤では、愛神カーマが青年アビルーパに転生して、神話世界ではなく人間界で矢の捜索をします。三本の矢を得るエピソードをそれぞれ「ダルマの章」「アルタの章」「カーマの章」と3つの章に分けて叙述しました。

これはヒンドゥー教の三大目的になぞらえたものです。ダルマは宗教実践、アルタは社会生活、カーマは快楽の享受にあたります。快楽の享受というとエッチな感じがしますし、実際『カーマ・スートラ』はエロ指南本なのですが、(神ではなく)概念としてのカーマとはいわゆる都会人の楽しい生活、文化、Quality of Life、のようなものと考えてもらって良いと思います。

ですので、ヒンドゥー教の三大目的とは、
ダルマ「清く正しく」
アルタ「周囲と調和を取りながら金を稼いで」
カーマ「楽しく生きようぜ!」
といった平衡感覚を体現しているのです。


④ 作品の全体像

こういった歴史、宗教、思想を基盤に『花の矢をくれたひと』は以下の章分けに構成されました。

prologue
悪魔マーラ(カーマ)が仏陀を矢で誑かそうとします。仏話から始まるのは仏教興隆の時代を仄めかすためです。

宿命の章
インドラが負けそうなこと、カーマがシヴァを射るという使命が明かされます。ヴェーダ時代の危機として描きました。本来カーマへの依頼はインドラ自身がするのですが、ここでクベーラを登場させたのは仏教の影響を濃くしたかったからです。

ダルマの章
宗教混淆がまだ進んでいない、バラモン文化の色濃い都市ウッジャイニーを舞台にしました。カーマをバラモンの息子アビルーパに転生させたのは、バラモン文化→ヒンドゥー文化の変遷を味わわせるためです。

アルタの章
シティボーイとしてダルドゥラカを登場させ、宗教混淆の進んだ先進都市パータリプトラに移動させました。カーマたちに経済活動をさせるのは難しかったので、『アルタ・シャーストラ(実利論)』の内容を膨らませてスパイ大作戦みたいにしました。

カーマの章
物語が禁欲的生活から都市の享楽的生活へと変容していきます。カーマが花街に「興味がある」と言ったのは年頃の青年としてだけでなく、宗教観の違いによる部分も大きいです。えちえちな話にしても良かったのですが、そうしなかった理由は次の⑥をご覧ください。

終章
インドラが敗北して、ようやくシヴァと女神が登場します。物語内でのヒンドゥー教の誕生です。


⑤ それぞれのキャラクター

カーマ/アビルーパ/マーラ/アナンガ、いずれも同一神の別名です。本作では記憶も肉体も曖昧なために「我」「所有」という概念を持たない青年として描きました。受動的でボンヤリしてるけど、「使命」を予感した時は迷わず突き進む。これはインド古代思想の理想像を僕なりに具現化したものです。エゴを限りなく薄めたため、そういうキャラを主人公にすることの難しさはありました。

シュカは物語の読点です。できるだけコミカルに描いた結果、無意味なことをおしゃべりするキャラになりました。

ヴァサンタ、好きな人に相手にされなくてふてくされる超絶美少年。ウィーン少年合唱団にいそうな感じ。

ラティは賢い姉さん女房。高飛車なところと献身的なところを共存させるのが難しかった。そもそも遊女兼女神、俗と聖を兼ね備えた難しいキャラなので、もう少し紙面を割いてあげたかった。

ダルドゥラカはメインキャラの中では唯一の人間、唯一僕のオリジナルなので、とにかく人間らしく、18歳の青年らしく、を心がけました。モデルは僕のバレー部の先輩。笑

カーリダーサ。作中唯一の実在の人物です。文学史的には詩人は2つの類型に分類されますが、カーリダーサはあらゆる学問に精通して悟性を元に大作品を練り上げるゲーテタイプの詩人です。劇作家として世俗の人間らしさも描けたところも楽しかったです。

シヴァとパールヴァティー。この物語世界の支配者で絶対強者の2人、という設定を壊さないように書きました。ですので最期にラティたちを蘇らせてくれるのは、カーマの願いではなくパールヴァティーの進言によるものです。ちなみにパールヴァティーを下から舐め回すようにボンッキュッボンで描いたシーンがありましたが、あれはカーリダーサの詩を真似て書いたもので僕の趣味ではありません

その他の神々、クベーラとアグニはほとんど書き分けをしなかったことが心残りです。「なんとなく神」で書きました。

街の人たち。
シャイシラカはとりあえずアビルーパに最初の課題をくれればそれだけで良かった(雑)
パータリプトラの老聖者兼スパイ御用達の情報屋は世捨て人の大衆的イメージです。
ヴァサンタに誑かされて職務を怠った私服衛兵、太ってるけど動ける人。便利だったので暴徒にしちゃいました♡
時間ループに気づかせてくれた吟遊詩人は脳内お花畑な人物として描き、グプタ王朝の華々しさを匂わせました。
遊女館の女将とダルドゥラカの幼馴染、男尊女卑の甚だしい世界で強く生きる女性像を描きました。女将には絶対に暴徒の退治をさせたかった!

ってな感じで雑なカーテンコール。
誰か忘れてないかな(;^_^ A


⑥ 時間ループはダンスから(裏話)

カーマの章、17話〜20話あたりでアビルーパたちは時間ループの術をかけられ、同じ日を3回繰り返すことになります。

アビルーパとラティセーナーはこの間いったい何をしてたんですかね? 若い男女(しかも前世の夫婦)がそういった密室で、一緒にお酒を飲んだりしたら……
はい、これはインド映画に見られる「露骨なラブシーンを避けるためのダンスシーン」みたいなものです。ダンスが同じリズムやフレーズを繰り返すことから敷衍して、時間ループに巻き込まれて同じ日を繰り返した、という設定にしてみたのです。視点をヴァサンタに移して隠しつつです。

2人がどこまでやっちゃってたのかは、読者の想像にお任せします。どちらにせよアビルーパにはループ中の記憶はないので(可哀想に)
今やインド映画のダンスシーンはひとつの「見せ場」になっていますが、一昔前ではラブシーンのヴェールのようなものだったのですよね。


⑦ 問題シーンについての懊悩

29話。ヴァサンタが分かっていながらシヴァの炎を受け、ラティが自らその炎に飛び込みます。2人ともカーマに使命を達成させるためにそうしたのですが、現代に書かれる小説としていかがなものかと散々悩みました。

そもそもヴァサンタとラティの体内から矢が出てくるという筋書きは完全に僕のオリジナルですし、そうまでする必然性があったのかどうか……
(コンプライアンスの問題については、29話の末尾に見解を示しておいたので、よければご覧ください)

悩んだ挙句、2人とも炎に焼かせてしまいました。最終的には「物語(神話)の力を弱めてはいけない」という信念がそうさせました。物語時間というものは象徴的なものです。ヴァサンタの死もラティの死も、もちろんカーマの消滅も「直接的な死」の連想以上のものを期待して書かれました。少なくとも本作はリアリズムではないので、何らかの象徴として受け取ってもらえることを想定しています。

本作は現実とは程遠い、遠い異国の遠い時代のファンタジーですが、読んでくださった方がほんの少しでも日常に何か還元して下さったのなら、それは僕の期待を遥かに上回る喜びです。


⑧ なんだかんだでロマンスを書きたい

過去にも何作か小説を書いてきましたが、本作は特に大きな挑戦でした。ファンタジーだし、アクションあるし、異国の風景も描かなきゃだし、礼拝とか朗誦とか訳わからないの多いし……
そんな苦悩だらけの中、スラスラと書けた箇所が2つ。ヴァサンタがガンジス川沿いでアビルーパに告白する場面と、決戦前夜にカーマとラティが星を眺めながら対話する場面です。

あー、自分はなんだかんだ言ってロマンスが書きたいんだなとつくづく感じました。とはいえ、スラスラとは書けない場面の緊張感があったからこそ、このロマンスを書けたような気もします。
苦手なものを書きながら自分の本当に書きたいものを見つけるという、大事な経験をしました。


おわりに

連載もあとがきもダラダラと書いてしまいすみませんでした。とにかく、ここまで読んで下さった方々には感謝の念が堪えません。乱文・駄文にお付き合い頂き、本当にありがとうございましたm(_ _)m
末尾に本作の参考文献を記しておきますので、興味のある方は是非お手に取ってみてください。文庫になっているものは今でも手に入りやすく、読みやすいものが多いです。

次回作は純粋ラブロマンスに走るか、それとも宗教民族紛争ファンタジーに挑戦するか、あるいは……
また世の中にあるたくさんの面白い事や歴史をインプットしながら、新しく創作していきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします!

2022年2月 矢口れんと


参考文献・引用文献

・上村勝彦『インド神話』ちくま学芸文庫
・梶山雄一ら 訳『原始仏典10 ブッダチャリタ』講談社学術文庫
・松山俊太郎『インドのエロス 詩の語る愛欲の世界』白順社
・田中於莵弥 訳『鸚鵡七十話 インド風流譚』平凡社
・森村宗冬『アーチャー 名射手の伝説と弓矢の歴史』新紀元社
・渡瀬信之 訳『マヌ法典』平凡社東洋文庫
・立川武蔵『ヒンドゥー神話の神々』せりか書房
・宮本久義ら『ヒンドゥー教の事典』東京堂出版
・辻直四郎ら 訳『世界文學体系・インド集』筑摩書房
・上村勝彦 訳『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫
・猪狩彌介「ヴェーダ祭式の祭火とその象徴思考について」『聖なるものの形と場』(2003年)
・辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫
・上村勝彦 訳『実利論(上)』岩波文庫
・伊藤頼人「『マハーバーラタ』における矢─naracaについて─」『東洋大学大学院紀要』(2017年)
・藤山覚一郎・横地優子訳『遊女の足蹴』春秋社
・岩本裕訳『完訳カーマ・スートラ』平凡社東洋文庫
・金沢篤「カーマの死」『駒澤大學佛教學部研究紀要』(2016年)

*敬称略にて失礼いたします

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