母の気分転換。
私は母子家庭で育った。
夏休みの時期なんかは、母は仕事だし兄弟姉妹も居ないし、一人で遊んで家で映画を見るのが好きな、完全に“一人でインドア万歳の子”だった(友達も居たよ笑)。
一人で遊ぶのが楽しかったし、何より留守番の時に好きな映画をかけっぱなしに出来るのが嬉しかった。多分気分転換の一種になっていたんだろうと思う。
…ふと疑問がわく。「あの頃母の気分転換はなんだったんだろう…?」と。
私自身も今母親の立場になって「母子家庭で私を育てるの、本当に大変だっただろうな」と痛感する。
社会的なもの・経済的な面など…ものすごく大変だったのは想像するに難くないし、それ以外でも、そもそも気分転換出来るアイテムが今ほど世の中に無かったのだ(特にスマホ)。
母も映画が大好きで一緒に映画館に行くこともあったが、今私がやっているような「娘が寝てからNetflixで観たい映画を探して…」の気分転換とはまた違うように思う。
車も無かったし免許もなかったので、自転車圏のみの生活だった。
母“個人”の気分転換って何だったんだろうな…とじっくり考えると、おそらく「年に一回だけ友だちがやっていた繁華街の飲み屋さんにいくこと」だったんではないかと思う。
その飲み屋さんは…薄暗い高架下にあって…『龍が如く』とかの路地裏に出てきそうな…とにかく今私が娘を連れていけるか?と聞かれたら絶対「NO!」な場所にあった笑。
そんな場所だったけれど、母にとっては“友達がやってる”飲み屋さんなので、久々に心置きなくワイワイ楽しく出来るのが本当に楽しそうだった。酔っ払うと上機嫌になるし、やっぱりどんな場所でも母が笑ってると私も嬉しかった。
でも、子どもながら“酔っ払った人”のにおいはあんまり好きじゃなかった(まあ好きな人もそんなにいないかな笑)。母の服がだんだんとそのにおいになっていったのをすごくよく覚えている。
お店の裏路地にあったほぼ外のトイレも、また不思議なにおいを放っていた。薄暗い和式便所。上の方にある水のタンク。ぶら下がったヒモ。究極の何かの“裏”であった。
その飲み屋さんに行くのは必ずクリスマスイブの日だった。
飲み屋さんの近くで花火があがるイベントが毎年あったので、その日に合わせて=飲み屋さんに行く前に私(子ども)も楽しめるところにちゃんと連れて行ってくれてから…だったのだ。
子どもの低い視線から見た視界いっぱいに広がった花火と、帰りがけに行く薄暗いトイレ。ものすごい”差”の中で母と私は懸命に生きていたのだなと感じる。
すぐに帰りたがった私に「年に一回くらいお母さんも休ませてよ…」と言っていた言葉が忘れられない。
母も、どんな人も、気分転換大事よね。
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