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セミが鳴かない夏

世界中でセミの鳴き声が聞こえなくなった。

その出来事はニュースで特集を組まれるほど、世界中を騒がせた。

「阿部さん、これはどういったことなのでしょうか?なぜ、セミは急に鳴かなくなったのでしょうか?」

朝のニュースでは、アイロンのかかったパリッとしたスーツを着こなした、お笑い芸人でもある司会者が身を乗り出しながら、質問をする。

「えー、これは我々でも今までにない異例な事態で大変戸惑っております。セミの数が極端に減っているわけでもないですし、セミの体を調べてもどこにも変わった変化は見られませんでした。」

セミ専門家阿部貴之というプレートが前に置かれている、メガネをかけてところどころに白髪が目立つ40代くらいの男が難しそうな顔をしている。

「んー、これはどういうことなんですかね。」

司会者がうーんと考えるような様子が映し出されて、そこで一旦CMに入る。

時計を見ると、もう朝の7時を指していた。

やばい、もうこんな時間だ。

私は急いで、準備を済ませ家を出た。

外に出ると、容赦ない日差しが顔にかかって、照らされた部分がヒリヒリと痛む。

今年の夏は例年に増して暑い。

私はあまりの暑さに持っていたカバンで日差しを遮るようにして、つかつかと歩き出す。

暑さで有名な市ではまた最高気温を更新したらしい。

でも、今年の夏はセミの鳴き声をまだ一回も聞いていない。

セミの声が聞こえない夏は、とても静かで、どことなく不穏な空気が漂っていた。

汗で背中に張り付いたシャツを肌から離すように引っ張り、腕時計を見る。

1時間後にはいつもと同じ張り詰めた空気の中、仕事が始まるのか。

今日も、課長にネチネチと嫌味を言われるのかと思うと、少し胃がキリキリと痛む。

会社行きたくないな。

最近は会社のフロアの匂いを思い出すだけで、気持ち悪くなる。

でも、働かなきゃ生きていけない。

憧れて東京に出てきたが、都会の高い家賃を払うだけで、給料はほとんどなくなってしまう。

私はなんのために生きているんだろう。

会社と家を往復するだけの毎日で、休みの日は仕事の疲れで何もやる気がしない。

三ヶ月前に買ったダイエット器具はまだ箱を開けてない。

足を進めるたびに、どんどん不満が胸から漏れ出す。

そもそもなんで人間は人間を新たに生み出すのだろう。

人生なんて、苦痛以外の何物でもないのに。

道端の木にはセミが一匹止まっていた。

いつものように、薄茶色の羽を背に、線みたいに細い6本足でしっかり木にしがみついてる。

ただ、鳴いてないのだ。

一つの物音も出さず、じっと何かを待っているようだった。


セミはオスしか鳴かない。

オスが鳴くのは、メスにアピールして、子孫を残すためだ。

セミが鳴かなくなったということは、もうこの世に子孫を残さなくていいと思ったからではないのだろうか。

セミたちはもしかしたらこの世界で生きるのを嘆いて、自分たちの代で滅びる選択をしたのではないだろうか。

自分たちの子孫が苦しまないように。

会社の自動ドアが開くと同時に、さっき止まっていたセミが静かに青い空に向けて飛び去っていった。

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