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海に行った日

 厚底のサンダルを履いて海辺に行った。そうしたら、海に入るつもりなんてなかったのに気づくとサンダルを履いたまま足を海水に浸していた。毎度のことである。今日は海に行くけれど海には入らないし、と思っていても、思っているだけで、体は吸い寄せられるように波に向かって行く。  一昨年買ったSLYの真っ黒な厚底のサンダル。気に入っていて、もう留め具のところが緩くなっているけれど今年の夏も何度も履いた。お気に入りのサンダルは海水を吸っていつもより重たくなっている。一歩踏み出すたびに海が滲

    • 煙草を吸う或いは飲むという行為

       タバコを吸うようになって5、6年経つが、未だに上手く煙を肺に落とし込めずにいる。口の中で溜めた煙を吐き出して、その煙をすぐに吸い込む。言うのは簡単だけれど、その途端喉がキュッと弁を閉じたように苦しくなるし、すぐに煙を吸い込むという動作がどうもしっくりこない。だからずっと、赤マルを吸っている癖にふかし続けている。  一等好きなのは、鼻から煙を出した後の余韻だったりする。深く吸い込んだ時の、ジリジリと煙草の燃える音を聞いて、口内に白い煙を溜めてから、鼻から煙を吐く。そうすると

      • 遊んで楽しいパチンコ玉

           パチンコ玉がジャラジャラ。と言ったら、大抵の人は、パチンコ屋で当たりが出ている状況を思い描くはずだ。実体験として、もしくは想像の体験として。  悲しいかな私の浅いパチンコ屋経験では、ジャラジャラというほどパチンコ玉が出たことは無いのだけど、私は「パチンコ玉がジャラジャラ」という状況を身をもって知っている。  多分幼稚園生かそれよりも小さい頃の私の、8センチCDみたいにちっちゃな手が、楕円形の縦長の缶からつやつやぴかぴかのパチンコ玉達をすくいあげる。缶をフローリング

        • きっと死ぬのも下手くそ

             憧れた死に方がある。  真っ白な一面の雪にぱたたたと飛んだ血の滴。美しい少年が倒れ臥している。薔薇色だった頬は雪に染まったように白くて、重たげな睫毛が頬に触れて、もう二度と目覚めない。  萩尾望都さんによる、『雪の子』である。多分。手元に漫画が無いので記憶を頼りに検索してみたら、この短編作品のタイトルが出てきた。確か叔母の家で読んだのだ、あの家には『ポーの一族』や『日出処の天子』、『地球へ…』があったから。    『僕は自分が最も美しいうちに死ぬんだ』  記憶は不確か

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          要所要所に愛

             要所要所に愛、という言葉が唐突に浮かんできた。どっかで聞いたんだっけ、と思って検索しても何も出てこない。自分の中からでてきた言葉なのだろう、と思ってその意味について考える。  まんべんなく愛じゃなくて、要所要所に愛、ある箇所、ポイントごとに愛。  なんじゃそりゃあ、と思いながらボロボロのパンプスで地面をトントンと叩く。今は休憩中で、昼食を食べ終わった私は職場の喫茶店から出て、パチンコ屋の前を過ぎてでかでかと赤い字で「テレクラ」と書かれた看板の下を通り、裸足で自転車に腰

          要所要所に愛

          裸に鎧を纏う午前0時

           午前0時を過ぎて、人気の無いスーパー銭湯の浴場にジェット風呂の咆哮が反響する。  友人が使っているシャワーの他には誰もいないシャワーとイスと耐食鏡が均等に並んでいた。なんだか閉店後の銭湯にいるようで、現実味が薄く引き伸ばされている。  私は丸いかたちをした炭酸風呂に浸かり、皮膚に気泡が付く様子をじっと眺めていた。青というより藍色に近い、四角いタイル細工の風呂の底に、白熱灯の影が揺らめいている。  炭酸、ラムネ、タイル、プール、夏休み……とりとめのない連想をする傍ら、左腕に

          裸に鎧を纏う午前0時

          つつじのはなし

           喫煙室の窓ガラス越しに見える桜が綺麗だった。  喫煙室にコーヒーを持って行った際、ソメイヨシノの見事としか言い様のない咲きっぷりに見とれて立ち止まるのを、一日の間で何度か繰り返した。勤労意欲の低い店員である。  ソメイヨシノが散りかける頃、八重桜が咲いた。紅を吸い上げたような花がボリュームたっぷりにもこもこと咲いている様を眺めるのは楽しかった。  去年の今頃はこんな風にじっくりと桜を眺めていた記憶が無い。覚えているのは、上野公園の桜並木の通りが通行禁止になり、封鎖のため

          つつじのはなし

          誰かの作ったカレーと誰かの作った味噌汁

           は美味しい。 上野公園、噴水近くに腰掛けてカレーとキュウリを挟んだコッペパンをぱくつく。  上野の産婦人科に行き、待合室で5分ほど待った後、診察室を自己記録新の15秒で退出し、10分ほど待って処方箋を出してもらい、ドラッグストアに寄ってから上野公園に来た。薄いブルーのトートバッグの中には、家から上野へ歩いていく途中に買ったパンが入っている。分厚い『ジーヴスと封建精神』とのトートバッグ内における陣地争いにより追い詰められたパン達は、ちょっとだけいびつな面相に変わっていた。  

          誰かの作ったカレーと誰かの作った味噌汁

          習作エッセイ「かかと」

             湯気の立ち昇る浴槽のそばで、私はプラスチックでできた台形の白いイスに座り、母がかかとを軽石で擦る様を眺めている。 「なにしてるの?」  軽石を持つ手を休めぬまま母が答えた。    「かかとががさがさになってるから、軽石で擦ってるの」  「へー……」  「かかとは大事だからね、優しく優しく擦ってあげるんだよ。でも、」  母が目を細める。お風呂に入るたびに見る眼鏡をしていない母の顔は少しだけ、少しだけいつもの母よりも遠い存在に感じる。  「ひとみのかかとにはまだ必要

          習作エッセイ「かかと」