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裸に鎧を纏う午前0時


 午前0時を過ぎて、人気の無いスーパー銭湯の浴場にジェット風呂の咆哮が反響する。
 友人が使っているシャワーの他には誰もいないシャワーとイスと耐食鏡が均等に並んでいた。なんだか閉店後の銭湯にいるようで、現実味が薄く引き伸ばされている。

 私は丸いかたちをした炭酸風呂に浸かり、皮膚に気泡が付く様子をじっと眺めていた。青というより藍色に近い、四角いタイル細工の風呂の底に、白熱灯の影が揺らめいている。
 炭酸、ラムネ、タイル、プール、夏休み……とりとめのない連想をする傍ら、左腕にくっついた炭酸を拭う。手のひらの下で気泡がぷつぷつと潰れた感触がする。ラムネ、ビー玉、おはじき……とぼんやり考えているうちに、また炭酸の粒がくっつき出している。

 ビー玉、パチンコ玉、そう、パチンコ玉だ。炭酸風呂の気泡はパチンコ玉に似ている。中身の無い、透明なパチンコ玉。気泡の殻がすべからく銀色に見えたのは照明や浴槽の反射のせいかもしれない。
 銀色、肌を覆っている、覆っているといえば鱗、魚の鱗。まだ寒かった頃に水族館で見たイワシの大群を思い出す。水族館に行こうと誘ってくれた友達を見ると髪を洗っていて、後で、さっき水族館に行った時のことを思い出したんだけど、と話そうかなと思う。いやよそうかな。特にオチも無いし。

 首を横に曲げると、視認できるギリギリの、肩の付け根から手の甲まで幾つもの幾つもの銀の珠に覆われているのが見えた。胸元も、腹も、性器も。陰毛に気泡がくっついている様は海ぶとうに似ていた。
 炭酸粒に覆われた太股を、白熱灯が照らしている。ゆらゆらと揺れる光を乗せた私の下肢はうつくしかった。浴場に入る前に乗った体重計は未知のキロ数に踏み出していて、その数字はシャッターを押した瞬間のように私の脳裏に焼き付いていたけれど、それとは別に、炭酸風呂の中で晒されている私を私は気に入っていた。
 太股を擦り合わせる。気泡が逃げて、あるいは逃げ損ねて潰れる感触がざらざらとしていて、本当に鱗があるみたいだ。

 この鱗を纏ったまま外に出られたら良いのに。首から踵までこの銀の泡に包まれて街を歩きたい。痒くてかきむしった痕の残る背中も、皮膚の薄くなった踵も今は炭酸風呂の中で鱗に守られていて、それはここしばらく捨て鉢な気持ちでいた私を安堵させた。私なんて、と言葉でも爪でも自分を傷つける私が何度拭っても、気泡は必ず戻ってきて私を守ってくれる。

 天井を見上げれば白々とした光源が眩しい。腕を持ち上げ、照明を遮るように手のひらを翳す。再び腕をお湯の中に沈めると、あの無数にあった美しい粒達はかき消えていて、私は脆い脆い武装を哀しんだ。

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