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つつじのはなし


 喫煙室の窓ガラス越しに見える桜が綺麗だった。


 喫煙室にコーヒーを持って行った際、ソメイヨシノの見事としか言い様のない咲きっぷりに見とれて立ち止まるのを、一日の間で何度か繰り返した。勤労意欲の低い店員である。
 ソメイヨシノが散りかける頃、八重桜が咲いた。紅を吸い上げたような花がボリュームたっぷりにもこもこと咲いている様を眺めるのは楽しかった。
 去年の今頃はこんな風にじっくりと桜を眺めていた記憶が無い。覚えているのは、上野公園の桜並木の通りが通行禁止になり、封鎖のためのでっかい障害物の前にぱらぱらと人々が集まって写真を撮っていたことだ。
 今年は、花見こそ出来ないけれど桜並木を歩いた。それが大層嬉しくて、八重桜が散った後も、未練がましく桜の断片を探していた。すわ桜の花びらか、と思って近づいたらシュレッダーにかけられた紙くずだったり、小さくたたまれたガムの銀紙だったりを繰り返して、ようよう、もう東京では桜は見れないのだと諦めた。

 春から初夏にかけての緑は淡く美しいけれど、夏に向かって恐ろしいまでの勢いで生い茂る前の準備運動中のようにも思えて、それは猛暑の気だるさを思い起こさせる。
 緑ばかりが目に飛び込んでくるなか、桜の代わりを探すように街を歩いていて、私の愚かな目はようやくつつじを発見したのだった。

 つつじを凡庸な花だと思っていた。濃いピンク色のつつじがいっせいに咲いていると、はっきりとした発色の葉っぱと相まって重たげで、ともすればどんくさいという印象を抱いていた。そこら中に咲いていて、当たり前にあるもののように思っていて、これまで特に注視したこともなかったのだ。
 つつじの葉っぱは、おなもみ程の優れた粘着性は無いが服にくっつくので、子供の頃はよく遊んだ覚えがある。
 
 つつじに興味を惹かれたのは、車の助手席に乗っていて、歩道と車道の間に植わったつつじがあっという間に遠ざかって行くのを見て、ただなんとなく「つつじってどんな漢字なんだろう」と疑問に思ったのがきっかけだった。深い意味は無い。助手席でよく考えるようなことのひとつだ。赤信号で止まった際に地名の書かれた標識を見つけて、「鼻毛石って地名はなんでついたんだろうな」と不思議に思うのと同じくらいの、景色と同じようにあっという間に流れ去ってしまいそうな思考。ふと気が向いて、長距離ドライブの暇潰しにスマホでつつじという文字を打ち込んだ。

 躑躅

 嘘でしょ?というくらい難しい字が出た。かまいたちが芸名を鎌鼬にしていた頃くらい尖ったセンスだ。字面だけ見たら三国志に出てくる賢将にいそうである。

 「躑躅 なぜ」とGoogleで打ち込むと、検索結果の一番上にこんな文章が出てきた。

『ツツジに「躑躅」の漢字が使われたのは、「見る人が足を止めるほど美しい」ということが由来しています。 植物の名前に「あしへん」の漢字が使われていたのは、このためでした。』
 (※UMKテレビ宮崎 天気のサカイ目より引用)


 つつじは人の足を止めるほど美しい。そんなこと、思ったことがなかった。
 それから私はつつじを見掛けると立ち止まるようになった。
 つつじの花びらは五つにわかれている。薄いピンクや白いつつじを見て気づいたのだが、花の中心から花びらの端に向かって、細い筆ですっすと丹念に何遍もなぜたような模様がある。これは全部の花びらにあるのではなくて、大抵ひとつの花びらにだけ描かれている。花の中心から生えている一際長いのがめしべで、めしべを囲むように生えている少し短いのがおしべ達らしい。めしべとおしべの曲線も優美である。つつじの写真を撮る時に蜂にブンブン言われたので、きっと蜜も美味しいのだろう。


 これまではよく見ないでなんだか地味な花だと思っていたけれど、つつじをじっと眺めて、ハイビスカスに似ていると感じた。
 ハイビスカスを凡庸だと思ったことはない。なんてったって沖縄みたいに暖かいところもしくは温室に行かなければ見れない貴重な花である。私にとっては非日常的な花だ。旅行というこれから始まる非日常への期待が膨らむ中、空港から出てすぐ正面の植え込みに咲いているハイビスカスを見つけた途端、「ああーハイビスカスだ!沖縄に来たんだなぁ~」なんて凡庸極まりない感想を抱いた記憶がある。
 非日常、楽しい、南国、トロピカルビーチ、トロピカルビーチで飲むトロピカルドリンクに刺さってる。私がハイビスカスに抱いている印象は、特別感のあるものばかりだ。

 そんな特別なハイビスカスに、東京の街中のそこら中で咲いているつつじは似ている。濃いピンク色のつつじも、その花ひとつひとつを見ると濃さにむらがあったりして、ピンクから紫に近いものまであって、見ていて案外飽きない。惜し気もなく、何の出し惜しみもせず、かといって顕示する訳でもなくつつじ達は道端から溢れんばかりに咲いている。

 
 ここまで西日暮里のカフェ・ド・パルクで書き終えて、いい落とし方が思い付かず、また閉店時間も迫ってきたので店を出た。風は思いの外夜気を含んでいて、長袖のワンピース一枚の私はぶるりと体を震わしながら、近くにつつじが咲いていないかと歩き出す。

 少し歩いた先に、交番の前の小さな植え込みにつつじが咲いていた。立ち止まって近づく。濃い、紫のつつじ達は、花と花の隙間から入ってくる冷たい風を防ぐように、身を寄せ合って咲いているようだと思った。

 つつじの別名は映山紅という。山の中で見るつつじもさぞ美しいに違いない。

 ドラッグストアでトイレットペーパー買って帰らなきゃ、そう思い私は再び歩き始める。

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