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檸檬読書記録 『シェルタリング・スカイ』

ポール・ボウルズ『シェルタリング・スカイ』を読む。


この作品、以前同じ作者の『雨は降るがままにせよ』を読んだ際、ポール・ボウルズならば『シェルタリング・スカイ』と、良さを教えて頂き、読んでみることにした。

倦怠期の夫婦、ポートとキットは、元の自分に戻るためにアフリカへと旅立つ。
そして旅は2人だけでなく、友人のタナーという男も同行するのだが…。3人の旅は彼らが望んだものではなく、次第に壊れていき…。

内容を簡単にまとめるとこんな感じだが、実際はなんとも難解な作品だった。

ちなみにもっと詳しくて分かりやすく書かれているのは、こちら↓になります。(丸投げしている)


なんとも難解で、頭の弱い自分には全部を理解することは出来ず、おそらく3分の1くらいしか分からなかった。(実際はもっと少ないかも)
それでも、圧倒的な世界観がくり広げられていることだけは分かった。

この作品、とにかく表現が豊かだ。
以前読んだ『雨は降るがままにせよ』もそうだったが、感情や心情をただ喜怒哀楽と表現するだけでなく、周りのもので表現している。
それが『雨は降るがままにせよ』は、雨だった。
雨を所々に降らせることで、登場人物たちの心情を体感することが出来た。(と、自分は思っている)雨が降り続けることによる、鬱陶しさではなく止まない不安感を覚えた。

それなら『シェルタリング・スカイ』はといえば、五感だった。

最初、読む前は「スカイ」と言うくらいだから、きっと空で表現するのだろうなと思っていた。
だが実際読んで見ると、空ではなかった。勿論空も含まれていた。けれど、こちらはもっと多岐に渡っている。

登場人物が見た物、光や影。登場人物が感じた臭い、芳香や悪臭。登場人物が耳にする音、雑音や心地よい音。登場人物が感じる味、食感。登場人物が体感する、痛みや風。
それらで表現しているように、自分は思えた。
それらの表現を豊かに緻密に入れ込むことで、どこか迫り来る何かを伝えようとしている気がした。残念ながら、自分にはその何かを正確に理解することは出来なかったけれど…。

個人的に、特に印象的だったのは、風。
最初の場面で、風が登場する。


窓の向こう側には微風があり、屋根屋根が、街が、海が、あるだろう。それらを眺めながら立ちつくす自分の顔を夕べの風が冷やすだろう。その瞬間、夢はそこにあらわれるのだ。いまはただ、このままでじっと横たわっているよりほかはない。呼吸はゆるやかに、ふたたび眠りに入ろうとするかのごとく、風のない部屋のなかで麻痺しながら。黄昏を待つのではなく、ただこのまま黄昏が訪れるまでじっと横たわりながら。


外には「微風」が流れているが、部屋の中は当然ながら「風」は吹いていない。
それがまるで、箱の中に閉じ込められて抜け出せないでいる息苦しさのような、時間が止まって全てが閉鎖的になってしまったような感覚を覚えた。

風だけではない。他にも匂い、悪臭の表現が上手い。だが、特に良いなと思ったのは、音。


ポートの自転車はペダルを踏むたびかすかにきしんだ。二人とも無言で、キットがいくらかさきを走っていた。二人の後方、遠くからラッパの音がきこえた。空を截(き)る、かたい、きらめく音の刃のようであった。


ラッパといえば、個人的には愉快で楽しいイメージなのだが、このラッパは少し違う。まるで2人に迫る刃のようで、どこか末恐ろしさを感じる。ただその中に、抗えない目を逸らせないきらめきがあって、単純に綺麗だなと思った。
まるで、終末を知らせる黙示録のラッパみたいだ。

自分の力量では、この良さを全然上手く表現出来ないのが、なんとも歯がゆい。だが、とにかく表現が抜群だった。そのお陰か、内容は難しくとも、映像はずっと頭の中に流れ続けていた。映画を観るように、物語を追うことが出来た。


ただ表現について、興味深いのはこれだけれはない。この豊かだった表現が、物語が進むにつれて、薄くなっていくのだ。それがなんとも面白い。

第1部ではこれでもかと表し、言うなれば親切丁寧に教えてくれていたのに、第2部、第3部と進むにつれ、なくなっていく。

まるで突き放すようで、第1部ではポートに寄り添い、第2部ではキットに寄り添って進んでいったのに、第3部では完全なる神視点になる。月から登場人物たちを眺めているような、なんとなくは分かるが、遠すぎて何を思っているのか捉えられなくなる。
それがまた、広大な砂漠の中で1人取り残されてしまったような、それでいて風が吹き荒れ、砂埃で視界が曖昧になり、先が見えない不安感を与えた。その不安を次第に増させることで、物語りに引き込んでいくようで面白いなと思った。

そしてその突き放しが、自分には、結局人は1人で歩かなくてはいけないと言われている気がした。
人間は結局、何処まで行っても、1人なのだと。


「あんまり一人ぼっちなので、一人ぼっちではないという感覚を思い出すことさえできないのだ」
(略)
「ぼくには、この世の中には誰か他の人間もいるのだということがどんなことか、それさえ考えられないのだ。そこではここにいたことさえ思い出せない。ただ、むやみと怖がっているだけなのだ。(略)」


この物語、結構過酷だ。
悲しいような、砂漠に取り残されたような読後感がある。
でもその中でも何かを探したくて、考えてしまう。考えて考えて、物語の砂漠の中から、抜け出せずにいる。
読み終わった後も、頭の片隅に残り続ける、そんな作品だった。



『シェルタリング・スカイ』を読んでいて、少し気になったところがある。

(ここからは、完全なる個人的解釈であり、妄想です。そして若干のネタバレがあります。ご注意)




読んでいて、文章ノ中にやたらと「いちじく」が出てくるのが、自分には無性に引っかかった。
土地柄上、いちじくは一般的で、おそらくそこまで気にすることではないとだと思う。でもやたらと出て来るものだから、気になってとりあえず「いちじく」を検索してみた。

すると興味深いものが引っかかった。
聖書の中の話。いちじくの木の例え話があり、それに対して


「イエスは悔い改めないユダヤの民への非難としてこのたとえを語っており、実らないいちじくは神の願いに背信し続けた古代イスラエルの民を表し、実りとは悔い改めと愛徳を表している。そして、園丁の願いは、忍耐と愛を持って実りを切望する神の願いを表している」

ウェキペディア


これの興味深いのが、実際に実らないいちじくの木(枯れたいちじくの木)が、本の中にも出てくるということだ。
そして、いちじくの実が実っている写実が、1度も出てこないということ。(とはいえ、途中でいちじくに興味が湧き、半分は戻って探したりしたから、実際はあったのかもしれない。でも、見つけられた中では、1度もなかった)

もう1つ面白いのが、この「いちじく」が初めて登場するのが(おそらくであり、パラッと調べた結果)、キットとタナーが誤ちを犯した後だった。

つまりは、悔い改め忍耐と愛を持って、実り(子供とか?)を成就させよ。なのかなと。けれど結局背くから…という意味があるのかなと。

ちなみにそう思ったのは「いちじく」だけでない。「いちじく」の前後に、ちよこちょこ「子供」の表現が現れるのだ。「こうのとり」とか「赤ん坊」とか「らくだの子供」とか。
たがらこそ何かあるような、という気がするのだが…頭の悪い自分ではここ止まりだった。


そして「いちじく」には、他にも意味がある。

かの有名な「アダムとイブ」の話。
禁断の果実を食べてしまったアダムとイブ。この禁断の果実は、一般的には「林檎」とされているが、果実を食べた後に「いちじくの葉」で局部を隠したことから、本当は「林檎」ではなく「いちじく」だったのではないかとも言われているらしい。

そして、禁断の果実を食べたアダムとイブは、死ぬ運命をもって、追放される。

ちなみに『シェルタリング・スカイ』で最後に「いちじく」が出てくるのは、中間地点。あんなにも出ていたのに、途端にピタリとなくなる。(これは確実)
そして最後は木ではなく、実が登場する。ただ木についたものではなく、実だけ。


ボートは速度をゆるめてなおも歩みつづけた。いちじくの実を持ってきていたのをとり出して貪った。(略)立ったまま、歯にはさまったいちじくの種を舌でほじくり出そうとしながら、いささか名残り惜しげに谷を見渡した。小さな蝿が追っても追ってもしつこく顔にたかる。こうして山野を歩き回るのは、生それ自身の歩みの一つの縮図ともいえようか。そんな考えが浮かぶ。時間をかけて細部を味わうことは決してしないのだ。ひとはいう--またの日にしよう、と。だが心の底ではいつも、来る日来る日が、それぞれ独自のもの、最終的なものであり、後戻りやまたの機会というものは決してありえない、と知っているのだ。


もしかしたら、ここからなのかもしれない。ここが分岐点になっているのかもしれない。
そしてここから、落ちていく。


とかなんとか、「いちじく」に何か意味があったら面白いなあという、勝手な解釈であり妄想でした。
正直自分の考えすぎという説が濃厚。
百歩譲って、何か意味があったとしても、全く違う可能性の方が、かなり濃厚。
だから妄言として、この作品にはたくさん意味を考えられる要素があって、楽しみ方が多いと捉えてもらえたら良いなと思います。


この作品、本当に考える要素が多く、「いちじく」以外にも気になるところはたくさんあった。けれど残念ながら、残念な頭の自分では捉えきれず、不確かなことが多かった。
だからこそこの1回だけではなく、また読み返して理解を深めたいなと思った。
今回は図書館で借りて読んだが、今度は手に入れて、いつかまた読んでみたい。

後、この本は映画にもなっているらしく、いつか観てみたい。あの孤独感をどうやって表現しているのだろうか。

いつまでも砂漠の中に残されつつ、今回は閉じようと思います。
全くまとめ切れず、このような不整理なものをここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。



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