未来のことを考えるときに、サービス精神というちょっとした嘘が混じると
どうもレモンタイム🍋です。
教育の現場での授業研究、研究授業と呼ばれる研修は、未来の子供たちのためにやってますよね。
その時に、良し悪しの判断基準が個人の経験だったり、よもや人間関係で決まってたりするのは、なんというか政治であって、積み上げる研究じゃないような気がしてしまう。
そこまでいかなくても、見ている人たちに向けて、教師も子供もサービス精神を発揮しているのも目にする。全く悪意はないけど、いつもと違うよそ行きの言動。しちゃいますよね、わかる。
それを排除しようと、色々なデータを集めたり、参観者を見えないようにしたり、色々な工夫が重ねられてきた歴史的経緯も本で読んだ。
ただ相手は、物ではなく人間だ。統計では限界があり、外れた子を見捨てられるわけでもない。複雑系の研究。
そこにサービス精神という嘘が混じったときに、さらに余分なものが付け加わっちゃうというの感じるのが私。少しくらい余分があったって、元々全然わからないものなんだから誤差、という考え方もあるのかもしれない。
じゃ、研究ってなんだ?何目指してんの?わっかんねー!
と、授業研究って先生たちが技能向上のためにやってると漠然と思ってましたが、何をもって向上とするのかレモンタイム🍋には、まだわかりません。
ではでは。
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