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掌編小説 『バケモノ喰らい』

 起き抜けの決まりごとであるかわやへ行くと、中から見たことのないバケモノが出てきて、

「や、これは失敬。お先に」

 涼やかに挨拶をして、澄まし顔で去ろうとするので、

「待て待て、手前は一体何者だ」

 肩らしきあたりを摑んで問うたところ、

「何者だとはご挨拶だな。昨夜ゆうべお前に喰べられたものじゃないか。忘れたのか、せつないな」

 などと、妙に哀しげに答えられたので、ううむと唸った。

 私はこんなバケモノを喰べたのだろうか。喰べたのだろう、私はゲテモノ食いなのだ。この世のあらゆる珍味を食い尽くさねばと云う使命に取り憑かれているのである。

 書物の教えによれば、珍しいものを食すと寿命が延びるのだと云う。

 幼い頃の私は虚弱な子どもであった。頻繁に発熱をしては、母をうろたえさせた。気の毒な母はそのつど水垢離をしては、私と対極的に頑健になっていった。幾度もう駄目かと思って覚悟を決めたかれないと、今でも泣きながら彼女は語る。

 それも仕方の無いことだ、何せ私はちょっと不浄のものに触れれば皮膚はかぶれるし、少しでも日にちの経ったものを食べれば腹を下してのたうち回った。誰かが隣りでひとつ咳をしただけで風邪を貰い、その風邪が別の病をも呼び寄せる。簡単なものだって必ず重篤化して、数えきれないくらい医者に担ぎ込まれた。

 つまり死神とは幼少のみぎりより睦まじい友人であった。だが喜ばしい友人とは云い難い……奴は常に巨大な鎌をもって、私の喉頸のどくびを狙っているのだから。

 私はもっとうららかな奴と友人になりたかった。もっと朗らかな人生を送りたい。そうして出来るかぎり長生きをしたい。産まれついてから死とねんごろ・・・・にしてきた分だけ、生にしがみつきたい思いは他人ひとよりもつよかった。

 さて、腺病質の子どもが親しむもののひとつに、本と云うものがある。読書と云う慎ましやかな行為は、からだの弱った者を刺戟しげきしない。長いこと床につく退屈や憂鬱からも、いっとき解放してくれる。

 私は病に罹るたびに、書物の世界の深みに入り込んだ。絵本も古典も空想科学も純愛も喜劇もミステリイも、どんな読みものも私を愉快がらせた。体調の良い時には本屋や図書館へ通い、興味の赴くまま本を取っては読み漁った。

 ある日、ある一冊に書かれていた文章が私の目に留まった。珍しいものを食すと寿命が延びる。まるで天啓を得たようだった。寿命が延びると云うことは、躰も丈夫になると云うことだろう。私は大興奮で母にそのことを伝えた。我が子可愛い母は張りきって私に珍味を与えるようになった……さまざまな虫や蛙に蛇、鰐に海亀、熊の手、野鼠、燕の巣、蠍に冬虫夏草……。

 いくらからだに良いと云っても、はじめのうちはまともに食べることが出来なかった。口に入れる前に嘔気はきけが込み上げてきて、泣きながら丸飲みすることもしばしばだった。無論その後でとんでもない腹痛に見舞われたものだ。私は珍味で寿命を延ばすことを諦めかけた。

 しかしまたぞろ高熱が私を襲った。寝台で苦しみながら、かつてないほど死神の鎌が自分の頸に近附くのを私は感じた。私は絶え絶えの息で母に頼んだ。この世で最も珍しいものを食べさせてくれと。

 海よりも深い母の愛と云うものに、私はつくづく感謝しなければならない。母が必死になって買い求めてきたその珍味を食べた途端にみるみる熱は下がり、死神は口惜しそうに姿を消した。医者でさえ匙を投げた病が癒えたのだ。

 その日を境に私は壮健な肉躰に生まれ変わった。書物に記されていたことは真実だったのだ。そしてその日以来、私の舌も変化した。大のゲテモノ好きに生まれ変わったのである。私は思った。失いかけたところを間際で引き戻した命なのだ。おおいに使って、世界中のあらゆるゲテモノを食べてやろう。

 こうして私の珍味の探求に捧げる人生が始まったのである。

 それから二十年。噂に聞く珍味は全て食べ尽くし、もうこれで終わりかと考えていたところへ、ある男からバケモノの話を聞かされた。決して表には流通されないバケモノの肉がある。闇の市場でも滅多に取り引きされることはない、正真正銘の、最後のゲテモノだ。自信たっぷりに話す男に、私は顔を顰めた。

「バケモノってのは一体何だ。何かの隠語か。それともそいつの顔に尻尾でも生えているのか」

「ははは、まあ、この世のモノではないと云うことだ。しかしきっとお前さんが思い描くバケモノのとおりさ」

「そうか、なら、目玉は六つで、乱杭らんぐいの牙に口元はだらしなく、鱗にぬめるはだえは緑と黄土色と紫、湾曲した背中に無数の刺の、脚は猛禽のそれだろう」

 私の茶化しに、男は豪快に笑う。

「そうさ、そんなバケモノさ」

 鰐のスープの雲呑わんたんを半分以上も残して男に連れられて行ったのは、表向きは小中学生の通う算盤そろばん塾だった。算盤の珠と同じ形の眼鏡をした男が奥の部屋から持ってきたのは、透明の保存袋に入った肉の塊で、袋は何度もくり返し使った様子らしく端が酷くよれていた。

 子どもたちの使う机に粗雑に置かれたその肉は、切り取られた一部分だけで正体が何だか判らない。バケモノと云うのは単なる箔づけで、実際はただの獣肉かもれなかった。数多くのゲテモノを食べてきた私に云わせれば、バケモノなんてものはそうそういない。

「これが本当にバケモノの肉だと云うのなら、そのバケモノの姿が見たい」

 試しにそう云ってみると、算盤そろばん眼鏡の男は眉間を皺めてかぶりを振った。

「それはいけない。よした方がいい」

 いかにもおぞましいと云う風に、身顫みぶるいしてみせる。

「そんなにグロかい、」

「そんなにグロだよ。この世でいっとうおぞましいものの姿を想像してみたまえ。きっとそのとおりの姿のモノだから」

 私は顎をさすった。「なるほど、そいつはいけないな」

 そうだろう、と、算盤眼鏡は大袈裟に頷いた。

 この肉の正体が何であろうと、いかがわしいものには違いないようだった。いかがわしいものならば、それは珍味だ。私は肉を買うことに決めた。

「ところでこれはどうやって食べるのが良いんだ、」

 算盤眼鏡は代金と引き換えに私に使い古しの保存袋を渡しながら肩をすくめた。

「正解は一つとは限らない」

 さんざ迷った挙句、私は肉を鍋にして食らうことにした。南国風の、香辛料を思いきり利かせたやつである、何せ臭みがきつかった。久し振りに食す自信が持てないほどだった。まだ病弱な子どもだった頃、泣きながら珍味を食べていた時の感覚をおもい出した。

 だが私にバケモノの肉を教えてくれた男によると、この臭みが乙なのだと云う。なあに、ひとくち喰べるまでの辛抱さ。ふたくちめからは至福となる。たしかにそのとおりであった。不快感を押しやってのひとくちの向こうには、極上の世界が存在した。

 たちまち私はその肉の虜になった。火傷しそうに熱いつゆにもかまわず急いで口に運ぶ。噛みしめれば脳が陶酔に喘ぐ。悩ましく舌は痺れる。これまで味わったことのない甘美な体験に、瞬く間に鍋は空となった。はじめのためらいが嘘のようだった。

 私は噯気げっぷをしながら今しがた喰べたバケモノの姿を思い描いた。あの怪しい男たちの云うとおり、まことバケモノだったのだろうか。もしかしたら熊猫パンダだとか象だとか、丁重に保護されている動物なのではないのか。しかしそれにしては安かった。案外そこらの山の獣の肉かもれない。だが今までに食べたことのない味だった。考えれば考えるほどに、正体は摑めなかった。

 けれどもこれほどまで夢中になって喰べたものは無かった。もはや正体などどうでも良い。血流が良くなったおかげか、全身が踊るように温かい。二百年でも三百年でも生きられそうだ。代謝も活発になったのか、私は珍しく寝る前に排泄をして、寝床に就いたのだった。

 さてさてそうして今朝のバケモノである。澄ました面持ちで廁から出てきたこのバケモノを如何しよう。こいつは昨夜俺に喰べられたバケモノらしいが、何故喰べたものが廁から生きた姿で現れるのだ。しっかりと我が胃袋で消化したはずだ。おかしいじゃないか。それに俺が喰べたのはバケモノの肉の一部だった。なのに目の前のバケモノは完全体のようだ。奇妙奇天烈きてれつにも程がある。

 それにしてもこのバケモノには、俺が思い描いたような牙が無い。目玉も六つじゃないし、はだは鱗に覆われてはおらず変にすべすべとして、尻尾すら生えていない。だがこんな不思議な生きものを、俺はまるでらなかった。

 バケモノは落ち着き払って宣った。

「さあ、いいかげんにその手を放すと良い。僕はもうすっかり自由の身なのだから」

 俺はバケモノをめつけた。

「手前は全体、何と云うバケモノなんだ」

 するとバケモノはふたつしかない目を見開いて、

「ははあ、それが判らないのか。だがそれが判らないのがバケモノなのさ」

「何だって、」

「つまりお前はもうすっかりバケモノなんだよ。お前の思い描いたとおりのね」

「何だって、」

 俺はバケモノの肩らしきあたりから手を放した。否、自然と手が落ちたのだった。

「自分が何を喰べたのからないと云うのは、おそろしいことだね」

 バケモノは笑った。いやに四角い歯が、整列しているのが不気味だった。

「お前はあまりにいろんな命を食らい過ぎたね。おかげでお前の血肉はさまざまの生きものの養分で、ごった煮している。そうしたものが、バケモノにならない訳がないだろう。あまつさえ、同胞をも喰らうだなんて」

「何だって、」

 俺にはこのバケモノの云うことがさっぱり判らない。俺が何を喰らったと云った。判らない。

「そうだよ。僕もお前と同じように、過ぎるゲテモノ食いの所為せいでバケモノになったのさ。そうして昨夜お前に喰らわれて、バケモノから生まれ変わることが出来た。嬉しいね。これは元の顔からだとは違うけれど、このさい贅沢は云っちゃいられない。バケモノと比べたら、随分まし・・だからね」

 高揚しているようにバケモノはべらべらと喋る。だから、と、俺は乱杭らんぐいの牙を不器用に動かしながら云う。「手前は一体、何者なんだ?」

 バケモノは自分の心臓のあたりらしいあたりに手のひらを当てた。

「お前、本当に僕が何者か判らないのか。そうそう、そうさ、それがバケモノと云うものなのさ」

 高らかに笑うと、バケモノはひらりと去っていった。

 俺は尿意を我慢しきれずに廁に入った。用を足している途中に屠殺人が来て、容赦なく俺は縊られた。解体された俺の肉はあのバケモノに似た別のバケモノに喰べられた。そいつは炭火で焼いて、玉葱のソースをかけて俺を喰らった。鍋も美味うまかったがそれも良いなと、俺は思った。

 次の日の朝に私はかわやから外に出て、これまで見たことのないバケモノと鉢合わせた。一つ目に蒼々とした皮膚は全身溶けかけて、弛緩した分厚い唇からは長い舌が股下まで垂れ下がり、三本の脚の形は蛙のよう。

「これは失敬。お先に」

 唖然とするそのバケモノの前を悠然と通り過ぎて、前に自分が廁で出会ったバケモノ。あれはかつての僕の姿だったなあ、と、ようやくおもい出したのだった。


【 終 わ り 】

*ギャラリーより素敵な作品をお借りしました。どうもありがとうございます*

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