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「生きづらさ」をともに─「勢いアイドルプロジェクト」応募のきっかけと結構な本音と本気─

人間どうして堕ちようとする欲求があるのかなんてずうっと考えていたけれど

私自身もそうだから「生きづらさ」を抱えている人を少しでも支えたい、おこがましいかも知れないけど救いたいって思ってる部分はずっとあって。
ただNPOやボランティアの存在ではどうしても限界があることは、特集番組観てても、ネットで調べてもすごく感じていたから。

どうすればいい?

私にお金があれば、世の中の人を振り向かせるだけの知名度があれば、誰もが着目して問題を捉えてくれる位、私に魅力とそれを生かせる場所さえあれば………!

何も出来ない自分が歯がゆかった。
周囲もしんどい、自分自身もしんどいなんて、どうしていいかわからなかった。何も言えない、何も出来ない、ただ時間だけがすぎていく、焦りだけが募っていく。

今回のアイドルを私が目指したのは、自分の生きづらさが限界に達したから。「もう何も出来ない」「なんでここまでして今いなきゃあいけないのかわからない」

死にたいなんてきっとそれなりに恵まれた、何より甘ったれた私には明確にはおてもじゃないが言えないけれど。消えたい、誰かの中に取り込まれてしまって終えたい、好きな人に絞められて終えられるならそれでいい、そんな欲求は渦巻いていたから。

限界だと思った。私が私でない、もう自分自身誰の人生を生きてるのか分からないんだと、そこでやっと気づいた。

自分が自分の人生を生きれてないないなんて、そんなことが自分の人生にあるなんて思わなかった。だって、程度の差はあれずっとこれ以外の生き方を知らなかったから。

「誰の人生を生きたって、どうせ死ぬんだ」

そこでやっと気づいた。

周りの目、親の心配、ネットのアンチ、Twitterの愚痴、全て私のやりたいことに関係はないと思った。

私のやりたいことは、私が欲しかったモノは、周りの環境のなかにあらざるをえなくても、私の人生にある限り、握りしめている限り、影響されない事を選ぶことが出来る。

「生きづらさを抱えている人と共に進めるアイドルになりたい」

そう、明確に思った。

「アイドルになりたい」そう周りに告げた時の反応の怖さは薄れた。脳内物質が狂ったみたいにあんまり怖くなくなった。どうにでもなれ、なるようになれ、そんな気持ちだった。

この気持ちで応募するのが正しいのか分からない。まるで、自殺する前の人みたいだから。

それでも、そうやって伝えたことで、周りのみんなは私のnoteの拡散に協力してくれた。
「昔自分にもやりたいことがあったから」
「このままミアが埋もれるのはもったいない」「ミアが有名になったら自慢するわ」
そう言って、支えてくれた。

私に気づくきっかけ、そして機会をくれた大切友人は、今の私の姿を見て「私も動きたいと思った」って言ってくれた。

確かに私は、私の人生は存在して、誰かに影響を与えて、そして自分自身も与えられているんだ。

私は周りに支えられているのだと気づいた時、それは大きな力になった。
恥として、後に引けないという単純な思いだけではなく、純粋に私のわがままのために動いてくれて、それを応援してくれる人がいるという事実を知った時「人の為に人はここまで動けるのか」と驚いたし、素直に感謝できた。何がなんでも頑張らなきゃいけない、そう思った。

きっと、周りの環境は何も変わっていない。何を良しとし悪しとするか、私の感覚全てにかかっている。この感覚だけは誰も変えられない、まわりの環境なんてもっと変えられない。私が変えようとしない限り、感覚をきちんと自分の為に自分のものに出来ない限り幸せになんてなれない。

意識しているしていないに関わらず、「誰かのために生きる」には人生長すぎる。出来ることなら、早い時点で「自分の生きる自分の人生」に気づきたいものである。きっと気づけない限り、本当の幸福は訪れない。

自分の出来る精一杯を全て声を大にして叫びたい。今すぐ京都駅で「アイドルになる!」って宣言したっていい。

だって、支えてくれる人がいるから。

そんな気持ちです。

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