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ミレットゥ『性の政治学』

1934年7月、パリの46歳のジャック・キャーヌ(Jack Kahane、1887年7月20日~1939年9月3日)のオベリスク出版(The Obelisk Press)が、42歳のヘンリー・ミラー(Henry Miller、1891年12月26日~1980年6月7日)の長篇小説『カニ座回帰線』Tropic of Cancerを1,000部刊行した。
序文は31歳のアナイス・ニン(Anaïs Nin、1903年2月21日~1977年1月14日)だ。

1953年9月15日、「現代アメリカ文学叢書」、ヘンリー・ミラー著、48歳の大久保康雄(1905年5月1日~1987年1月12日)訳『北囘歸線』(新潮社、280円)が刊行された。

1957年6月、サン・フランスィスコで、34歳のノーマン・メイラー(Norman Mailer、1923年1月31日~2007年11月10日)著『白い黒人流行通についての表面的な省察』The White Negro: Superficial Reflections on the Hipster(City Lights)が刊行された。

1961年(昭和36年)6月、ニュー・ヨークで、69歳のヘンリー・ミラーの長篇小説『カニ座回帰線』Tropic of Cancer (Grove Press)が刊行された。
序文は47歳のカール・シャピロ(Karl Shapiro、1913年11月10日~2000年5月14日)「存命の最大の作家」The Greatest Living Authorだ。

週刊朝日』(朝日新聞社)1978年1月20日号(150円)から5月5日号(150円)まで、16回にわたり、下村満子(しもむら・みつこ、1938年6月17日~)のインタビュー記事「華麗に生きる世界の女性たち」が連載された。

華麗に生きる世界の女性たち」に、別の機会に会った四人と「飾り窓の女」とのインタビューを加えた、1979年2月20日発行、下村満子著『世界のトップレディーたち』(朝日新聞社、1,200円)が刊行された。

同書の43歳のケイトゥ・ミレットゥ(Kate Millett、1934年9月14日~ 2017年9月6日)のインタビュー記事「同性愛も含めた性の自由が実現したら社会も変わるケイト・ミレット 「性の政治学」の著者」より引用する(194~196頁)。

 ミネソタ大学の英文科を一番で卒業後、イギリスのオックスフォード大学の大学院に留学。ここでもまたトップの成績をおさめる。その後ニューヨークで彫刻家に転身。一九六一年から二年間、来日して東大で美学を勉強する。
 日本滞在中、彼女は吉村二三生ふみお・芳子という若い芸術家夫妻と知りあい、深い友情に結ばれる。が、間もなく芳子は癌で若い生命を落とす。失意の二三生とケイトは、芳子の思い出を共有しながら、ニューヨークで共同生活を始め、その後、正式に結婚した。
 二人は、彫刻の制作にはげむかたわら、ケイトはコロンビア大学で教鞭をとり、さらに博士論文にも取り組んでいた。完成したその論文が『性の政治学』だった。
「性の政治の諸例」「性の政治の理論」「性革命」「ミル対ラスキン」「エンゲルスと革命理論」「フロイト、および精神分析思想の影響」などなど、むつかしげな目次の並んだ六百十三ページ(日本語版)の膨大な博士論文が、そのまま商業ベースに乗って何十万部も売れるということじたい、思えば恐るべきことだが、彼女を一躍有名にしたのが、本業である彫刻作品ではなく、著作であったのも皮肉といえば皮肉であった。
 以来、彼女の生活は一変した。ラジカル・フェミニストとして、テレビ、雑誌、講演に引っぱりだこのスターになってしまった。
ところが、まもなく大事件が起こった。五百人もの女性が集まったコロンビア大学での講演の席で、彼女は自分が「バイ・セクシュアル」(男性と女性の両方と性的関係を持つ人間)だと告白したのである。会場は騒然となり、嬌声と罵声が彼女にあびせられた。『タイム』誌も、「リブのリーダー、実はレスビアン!」とセンセーショナルに書き立てた。
 輝ける女神は、一夜にしてその地位から引きずり下ろされるはめになった。

1963年4月12日~20日、東京・日本橋の南画廊で、日本滞在中の28歳のケイトゥ・ミレットゥの「ケイト・ミレット個展」が催された。
図録に59歳の瀧口修造(1903年12月7日~1979年7月1日)「物を言わぬ物たちの」を収めた。

1968年12月1日発行『美術手帖』(美術出版社)12月号「特集:現代美術と人間のイメージ」(250円)に、34歳の池田満寿夫(いけだ・ますお、1934年2月23日~ 1997年3月8日)の自伝『私の調書』11「リランとの出会い」が掲載された。

1968年12月1日発行、34歳の池田満寿夫著『私の調書』(美術出版社、630円)、第11章「リランとの出会い」より引用する(136頁)。

一九六三年 この夏サンパウロ・ビエンナーレ展の出品作家に選ばれる。落書きスタイルはじまる。秋、世田谷区松原三の十六の三、吉村雪方、吉村二三生(ニューヨーク在住)のスタジオに移る。それまでアメリカの前衛彫刻家ケイト・ミレットがここに住んでいた。そして雪さんの孫にあたる巌谷國士君(フランス文学者)が雪さんの隣室に住んでいた。引越しパーティーの大騒ぎをしてから、このスタジオでのパーティー全盛時代を迎える。サンフランシスコから北ジェームス・鈴木と親しくなる。

1970年8月、ガードゥン・スィティで、35歳のケイトゥ・ミレットゥ(Kate Millett、1934年9月14日~ 2017年9月6日)著『性の政治学』Sexual Politics(Doubleday & Company)が刊行された。

当時47歳のノーマン・メイラー、当時78歳のヘンリー・ミラーらの男性作家の女性差別思想が批判された。

1970年10月、ニュー・ヨークで、スーキー・スタンブラー(Sookie Stambler)編『女性解放未来への青写真』Women's Liberation: Blueprint for the Future(Ace Books)が刊行された。

1970年10月15日発売の『婦人公論』(中央公論社)11月特大号「特集:男はこうしてつくられる」(250円)に、ケイト・ミレット性の政治学」が掲載された。

1971年3月、『ハーパーの雑誌(Harper's agazine)』に、48歳のノーマン・メイラー著『性の囚人』The Prisoner of Sexが掲載された。
当時36歳のケイトゥ・ミレットゥによる男性差別的な主張に反論した。

1971年5月、ボストゥンで、ノーマン・メイラー著『性の囚人』The Prisoner of Sex(Little, Brown and Company)が刊行された。

1971年6月15日、ケート・ミレット他著、56歳の高野フミ(1914年10月8日~- 2013年12月7日)他訳『ウーマン・リブ女性は何を考え、何を求めるか?』(早川書房、680円)が刊行された。

スーキー・スタンブラー編『女性解放未来への青写真』Women's Liberation: Blueprint for the Futureの邦訳だ。

第四部「解放される女性」に、ケート・ミレット著、高野フミ訳「性(セックス)の政治」を収めた。

242頁の「原註19」に「アントニオの映画『爆破』」とあるのは、1966年12月18日、ニュー・ヨークの宝冠劇場(Coronet Theatre)で公開された、ミケランジェロ・アントニオーニ (Michelangelo Antonioni, 1912年9月29日 - 2007年7月30日)監督の映画劇『引き伸ばし』Blow-Up(111分)のことだ。

1967年6月3日、日比谷のみゆき座で、映画劇『欲望』Blow-Upの日本語字幕スーパー版が公開された。

1971年11月10日、ノーマン・メイラー著、72歳の山西英一(やまにし・えいいち、1899年6月5日~1984年6月22日)訳『性の囚人(とりこ)』(早川書房、800円)が刊行された。

1973年9月25日、ケイト・ミレット著、藤枝澪子(ふじえだ・みおこ、1930年~2011年)、41歳の横山貞子(1931年11月9日~)、33歳の加地永都子(かじ・えつこ、1939年9月26日~2009年4月13日)、滝沢海南子(たきざわ・かなこ、1934年~)訳『性の政治学』(自由国民社、2,100円)が刊行された。

1985年2月1日、ケイト・ミレット著、藤枝澪子横山貞子加地永都子滝沢海南子訳『性の政治学』(ドメス出版、4,800円)が刊行された。
装幀は入野正男だ。

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