優しい記憶とうどん

今日は僕の高校の吹奏楽部が定期演奏会をするらしいので見に来た。
吹奏楽部に友達がいるので、その子と関われる最後の思い出になるだろうと思って足を運んだ。
そしてこれは、一年前の出来事を思い出すためでもあった。

場所は一駅跨いで少し歩いたところにある。
早く来すぎて少しだけロビーの前で待つことになったが、久々の演奏会と友達の活躍が見れると思うと別に退屈でもなかった。
数分後、劇場の席に座って始まるのを待った。そこに行くまでの僕はやれ明日はバイトだの、後述する過去の記憶だので悶々としていた、あと普通に寝不足で瞼がピクピクしてた。ハッキリ言ってコンディション最悪だったけれど、開演してからの僕はずっと演奏に釘付けだった。統率の取れた連携や、その中でこそ映える単独の演奏、親しみやすい選曲のおかげで色々な悩み事や不安も、演奏会という目に見える努力の塊を前にすべて吹き飛んでしまった。芸術は時に「素晴らしい」という感想でさえ安っぽく見える事がある。

ふと隣を見るが、そこには誰も居ない、そりゃ今回は誰も誘ってないから。
でも確かに僕は隣に誰か居た記憶がある。
そういえば、この定期演奏会というものは自力で知ったのではない。
そうだった、僕は誘われたんだった。時は一年前の高校二年の終わりまで遡る。

高校二年の記憶は文化祭とか、修学旅行とか、それなりの行事はあったけれど、一番鮮明なのはとある女の子との記憶だ。

いつからだったかはもう忘れてしまったけれど、彼女は事あるごとに僕の方に近づいてきては、積極的に接してきた。
僕がうろたえて何もできなくても、それすら楽しそうにしていた。
学校から帰ったあともLINEやdmでやりとりしていた。
あの時の、赤熱したガラスがゆっくり垂れるような、心臓が熱くてとろりと落ちるあの感覚は忘れられない。
今思えば、ここでもう少し一歩が踏めていれば、何かが変わっていたのかもしれない。まぁ、なんとなく無理そうな気もするけれど。
兎に角、高校二年の記憶は彼女との楽しい関わり合いが大半だった。
つまり青春ってことですな。

そして春休み期間に彼女から「吹奏楽部の演奏会にいこうよ」という感じの連絡が来た。もうその時はどこまでも飛んでいけるような気分だった。
どんな形であれ、彼女と二人で何処かに行けることが嬉しくて仕方なかった。当日の残っている記憶は、普通に合流して、演奏会見て、そのまま帰らずに一緒に何処かへブラブラして、雨が降ってたから途中で相合い傘して、その後うどん食べて帰った。というものだ。

そして現在、一人で演奏会に観に行っている時点で察してるだろうけれど
彼女とはもうお互いに連絡を取り合っていない、簡潔に言うと、彼女は高校3年の中期に彼氏を作って、今年の一月にもう会うのやめようと言われ、僕の一年と半年の青春が幕を閉じた。

それでもあの時の優しい思い出が忘れられず、演奏会が終わった後、一人で駅前の服屋で服を買って、帰りに一人でうどんを食べた、同じ店で、当時彼女と座った席で食べた。ここまで来ると病気かもしれない。
けれど、共感してもらえないかもしれないけど聞いてほしい。

インスタで繋がってたのにフォロー外されて、今度は彼氏がフォローしてきたと思ったらすべての僕の投稿にいいねしてきやがった時は流石にキレてスマホぶん投げたけれど、聞いてほしい。

忘れたいけれど、無かったことにはしたくないんだ。

あの優しくて、甘い記憶が心の寄す処とまではいかないけれど、少なくともあの子と出会ったことが間違いだと上書きされてしまうのが嫌だった。
彼女が居なかったら、勉強ばっかりで他人と関わろうとしない人間になっていたと思う。終わり方は酷かったけれど、改めて感謝したい。

帰り道、うどんを食べた。
意外と空いていたから、一人でもあのときと同じ四人席に座っても違和感がなかった。メニューの前で沢山悩んだ末、かけうどんを頼んだ。

関係ないけど、中盛りで全然お腹いっぱいになるようになっちゃった。
あとこれで770円は最強だと思う。

いつもの磯辺揚げと、気になっていたイカ天も一緒に頼んだ。
そういえば、磯辺揚げが美味しくてオススメだと教えてくれたのはあの子だったな。

啜る。
もちろん美味しかったです。
大学生になるけれど、来年も似たような事をやろうと思った。
あの時の、幸せな僕に会いに行ってやるために。

終わり



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