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Peace*祈りの地

半月ほど前か、なぜ急に行ってみようと思ったのか、はっきりはわかりません。それから地図を見て、何度も行っている宇佐、一度だけ行った温泉神社、行ってみようかと思っていた霧島と、なんだか十字になってるみたいだなぁと思いました。

ほんとは天河にも行ってみたいと思っています。遠い・・

その感じです。温泉神社、フシギな空気感でした。フシギな祈りの場がありました。
全国にはあのフシギな空気感の神社が、まだいっぱいあるのだと思います。


お参りでお天気が変わるのはよいことと聞きました。雲が切れて天気雨。

いつもの神社では、ついにこないだ、お参りせず森だけ歩くというのにチャレンジしましたが、さすがに初めてのとこでそれをする気にはなれません。
でも、ああそうか、気持ちなんだと思いました。

‘型’として、力入れて、願いごとしながら、はちがう。やわらかく、あいさつ、のような?


型としてのお参りは、私は今は、それは封印ではないかと感じています。
年明けに、豆まきのことを書きました。それと同じです。四拍手のとこって、特別に強いそれということなのかな。
ただ私の感じたことというお話です。


神社にもいろいろあって、‘神社’と考えてしまうとわからなくなるんですよね。聖地、ととらえた方がいいでしょうか。

昔は鳥居なんてなかったし、二礼二拍手一礼などというものもなかったと、どこかで読みました。
もっと自然に、ただそこへ行き、祈った。


大昔からの、その土地の自然の力、自然霊、土地そのもの、山、岩、樹、海、泉、河、洞窟。その、気。
それがちゃんと残っているところ。が、私は好きなんだと思います。


この写真の向こうの方の田んぼは、以前に宇佐の奥で見た田んぼと、よく似ていました。



そしてこちら側の池。これが、すごい・・・

これですね。

写真はちょっとひかえめで。

龍神さま。ありがとうございます。


龍神さまも、龍神というイメージにとらわれず感じなければならないと思います。



元の姿を見たかった。桧。
イメージして、いつか描いてどこかに登場させたいです。


ほんとうの力、ほんとうの姿を。
それを今年になってからずっと思っていたのかもしれません。
それは、この今の世の中で、とても大事なことに思えるからです。



https://note.com/leenaharmony/n/n2b7717a200d5



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