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ビューティフルでないname♢

いつどこでだったか全然おぼえてませんが、この歌は素晴らしい、というお話のブログ記事を読みました。名前の歌。 
とてもいいことが書いてあって、わかるのですが、共感はできなかったのです。 

というのは、私は自分の名前がとてもキライだったからです😶
なんでこんな名前なのかとずっと思っていたし、名前呼ばれるのも苦手で、一瞬ユーウツになったり、違和感もいつも感じていました。



名前を好きになれないって、けっこうかなしいものです。ずっと自分を否定してるようなものなので。

意味合い、というかエネルギー?のようなものがわかってきたのは、この10年くらいのことです。
少しずつ感じるようになってきたところに、歌がきっかけで、ああそうかと、初めて少し気持がラクになりました。



歌はこちらです。特に歌詞というのでもなく、やっぱエネルギーなのかな🎼
サビの部分がとても印象的な歌で、何度も聞いてるうちに何か感じて、Gloriaってなんだっけと調べ、栄光?ちょっと違和感。
“光”だな、シンプルに。恵みの光。天からの。




自分の波長が変わり始めた頃でした。
ほんとうにきれいな歌です。


名前がキライだと言うと、ええ〜っカワイイよ〜、いい名前やん、とか言う人いますね。
気持はわかります。でもツラいです、かなり。
自分もそんなふうに、気づかず人を傷つけたことも、きっといっぱいあるのだと思います。


キライの一番の理由はここだったか、と気づいたのもほんの数年前のことで。
音で、からかわれていたこと。くりかえしくりかえし。父に。今も子供のような人で😯

母も古いかなしみといかりを抱えた人だったので、その上名前まで×となると、ほんとに自分は、いてはいけないものなんだなと。

それは消えないです。どこまでもそれをリピートしていくことになります。その状態以外の在り方がわからないし、通常があるということが想像の範囲外なのです。

そうか、あるのか、と気づいたのか気づかされたのか、それが5年前でした。




もう、いろいろ遠くなりました。
親とも、ここまで改善した自分は奇跡のようにすごいと思うし、長い間向かい風の砂の中を歩き続けてきたような自分には、あとはほんとうに好きなことだけをしてほしいです。


Cold in the Heart of Mankind,
Could Disappear in Time.


今は、すべてここへつながるものだったとわかります。ここまで来てくれてありがとうという声が、最近ずっと聞こえています。





名前の話に戻ると、そもそも“名前”というものに、自分は違和感を持っていたような気がします。名前同一性障害(!)じゃないかと思うくらいです。

自分は名前じゃないんです。
名前ってなんなんだろう。名前を思うとかたまります。とじこめられる気がします。


あの歌がよかったのは、拡がっていくから、というのもあったのかもしれない。境界なく、どこまでも拡がっていく光💫✨



何もかもに線引きして、その線引きがどんどんギチギチになりそうな世界に疲れるけれど、10月くらいから、それでも拡がっていく気持になっています。


皆さんの、光とあたたかさもいつも感じています。

ありがとう💖beautiful world🌏🌅✨



たくさんの物語を作っていこうと思っています🙂💖電子書籍販売準備中。大切に使わせていただきます🌐🎀