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機能不全家族で育った私の人との距離

私はいわゆる機能不全家族で育った。
一見、そうは見えない。
父も母も健在で弟が一人いて、過去には犬を飼っていた。
私自身、自分の家族が機能不全家族であることに31歳まで気が付かなかった。
家族を愛していると思っていたし、愛されていると思っていた。
実際、それに偽りはない。

幼少期は比較的幸せだったと思う。
第一子として生まれて、祖父母にも可愛がられ、大事に育てられた。
実家は自営業なのだけれど、その時は父も精力的に仕事をしていて景気が良かった。
ファミリアの服や北欧のベビーチェアなど、
高価で質の良いもので私の周りは彩られていた。
誕生日やひな祭りのときは、祖父母が集まり家族みんなでお祝いした。
クリスマスの朝にはクリスマスツリーの下にたくさんのプレゼントが並べられていた

弟と5歳離れているため、一人っ子の期間が長かったこともあり、
誰かと比べられることもなく、のんびりと育った。
父と母は教育にも力を入れ、
いわゆるお受験をして地元から離れた幼稚園に通った。
そのまま小学校に内部進学をして、
友達とよく遊び、家族旅行にも毎年出かけた。

しかし、小学校高学年に入った頃から翳りが見え始める。
父と母がよく喧嘩をするようになった。
実際は喧嘩ではなく、母が父に何かを訴え、父が逃げるように家を出るという光景だ。
おそらく父の仕事が上手くいかなくなっていたのだと思う。
次第に、父は仕事場で生活するようになり、
中学生になる頃には家族揃ってご飯を食べることはなくなった。
それから家族4人が揃ってご飯を食べることになるのはお葬式などの法事のときのみとなった。
家族4人だけではなく、他の親戚も含めてという意味だけれど。

話は少し飛んで高校時代のこととなるが、
中学まで進学校に通っていたものの内申が足りずに、
地元の公立高校に入学することとなる。
当然、友達もほとんどいない世界。
でも最初はどちらかというとワクワクしていた。
それまでの親の選んだ世界から新しい世界へといけるように感じていた。
実際に入学前から友達ができたし、
入学後すぐに彼氏もできた。
それまでいた学校とは違う友達にドキドキしていた。

ところが調子が良かったのは最初だけで、
彼氏ができたことによって、友達だと思っていた子に急に無視されるようになる。
そしてその友達の友達から無視され、
そんなことは望んでいないと彼氏と別れるが、
今度は彼氏のクラスの女の子たちから屋上に呼び出しされ、
なぜ彼氏を傷つけるのかと非難されるようになる。
今書いていてもなぜ自分にこんなことが起こったのか、
本当に起こったのか不思議に思うぐらいだ。
よくある青春ドラマの1コマのよう。

それからそれを心配してくれる友達もいたし、
しばらくは学校に通っていたけれど、
とにかく学校に行きたくない日が続いて、
学校に行ってもずっと寝ていたし、
単位も足りておらず、結局高校2年の夏に学校を辞める。
このときは、家にいても母に無理やり学校に行かされ、
家にも学校にも居場所がない状態だった。

唯一の救いはバイト先だったけれど、
バイト先の人間関係でこの後もっと傷つくことになる。

10代の終わりは絶望の淵にいたと思う。
毎日どうやって死ぬかを考えていた。

このときでもずっと連絡を取っており、
変わらずに接してくれたのが幼稚園からの幼馴染の友達と、
高校生の時から髪を切ってくれていた美容師さんと祖母だった。

なんとかここから高卒認定を取って大学に入学するけど、
機能不全家族で育ち、信頼し合わないわかり合おうとしない両親を見て育ったこと、
高校時代のトラウマから、
人と関係をつくることがこわかった。

最初から人を信じない、どうせ理解されないと諦め、盾をつくることで自分を守ろうとしていた。
大学に入って友達ができても自分のことを自分からは話さず、距離を取って接していた。
唯一信頼していたと思っていたのは恋人だったけれど、
それは実際には信頼関係ではなく依存関係だったと今になって思う。

そんな私が変わり始めたのは25歳になり、
転職をして実家を出た頃からだ。
一人暮らしを始め、友人と過ごす時間が増えた。
20代後半は仕事も楽しくなり、
数年ほどかかったけれど職場の人たちとも信頼関係を築けるようになった。
もちろんどうしても苦手な人、合わない人たちもいたけれど、
その中でも気が合う人、相談できる人ができた。

プライベートでもたくさんの人との出会いがあり、
その中で今でも連絡を取って本当の友人になれたのは数人だけど、
今まで誰にも話せなかったようなことも話せる友人を得た。

この10年間で、
ずっと自分は変わっていないような気がしていたけれど、
気が付けば大切な人たちができていた。
彼ら、彼女らに感謝せずにはいられない。

物心ついたときからずっと孤独感を感じていて
誰ともわかりあえないのだと、
一人でいるのが楽なのだと信じていた私。
それでも本当は誰よりもわかりあうことを求めていた。

もちろんお互いのことを100%わかりあうことはできない。
それでも相手を知ろうとすること、
ただ受け入れること、
否定しないことはできるはずだ。

今、私の周りにいるのはそういう人たちばかりだ。
大切な人たちを大切にすること。
当たり前のようだけれど難しいことでもある。

大切な人たちの幸せを願い、
嬉しいことを自分のこと以上に喜び、
必要であれば力になり、
幸福の光を拡げていけるような人間になりたいと思う。