営業はクリエイティブじゃないと思っていた話

そろそろとある覚悟の話が書きたい、と思っているのだけれど、そのためにどうしてもしておきたい話をする。
5年以上、望まぬ「営業」にいた話。

編集者になりたくて、クリエイティブな世界にいたくて出版社に入ったのに、わたしは5年以上、営業部から出られなかった。何度も何度も異動願いを出し、何度も何度も転職活動をした。

最初の方は説得力のない「希望じゃないから」という届け出だったと思う。人生短いのに、女性のキャリアの両立は時期が大事なのに、こんなところにいる場合じゃないと思っていた。
焦りに焦って、菅付雅信さんの「編集スパルタ塾」というものに通ったりもした。そういう場に集まるやる気のある人たちは、わたしの予想以上に次元が違った。みんな「生み出せる」人たちで、何も生み出していない自分の日常との真剣みの違いを思い、より一層焦った。さらにみんな口を揃えて、「営業にいるなんてもったいないよ」と言った。
見ること聞くことどれも羨ましくて、わたしは「営業なんて何も作っていないところにいちゃだめだ」とさらに深く思うようになった。

それからしばらくも異動は叶わなくて、やっと辞令をもらったときには、入社から5年半が経っていた。引き継ぎをしながら編集部の仕事が少しずつ増えてきて、そこでわたしはやっと、営業が決して「クリエイティブじゃない場所」なんかじゃなかったことを知った。

新しい仕事は、名前だけ「編集」でも、作業ばかりだった。それは、編集がそういうものだということじゃない。わたしがまだ慣れていないせいで、良し悪しも見えていないせいで、そうすると、とりあえずは考える割合の低い作業から分担していくことになる。学びのタームでの当然の流れだった。
連絡係になる。線を引く。文字を指定する。各所と連携する。赤入れをする。色校を見る。作業は編集だし、目の前にある文房具や紙面も、確かに編集のもので、わたしの名刺も「編集部」だったけれど、わたしはまだ編集者ではなかった。

考えていないわけじゃない。でも、とりあえず譲り受けた企画で、作業を優先して進めていく。その本をよくするために、その瞬間どっちのフォントを選ぶかということを考えていても、「この本がいい本なのか」というところには届いていないのがわかっていた。
自分が出した企画じゃないからというのももちろんある。でもそれはむしろありがたいことだ。来たばかりの何もできない新人に、作業から慣れる機会をくれている、かなりまともな場所だ。それでもわたしは毎日、気持ち悪さと戦っていた。そのとき、

ああ、とりあえず編集になればいいってわけじゃなかったんだ。

という、今思えば当たり前すぎることに気がついた。
そして、ものづくりの現場で、「自分が心からやりたいことをやる」ことの難しさを痛感した。

数ヶ月前までの営業のわたしは、ちゃんと頭で考えていた。常に最善を選んでいた。
もしそれが最前じゃなくなって来たら、次の手も用意する。やれることを全てやる。
さすがに5年以上もいればわからないこともあまりなかったし、裁量ももらっていたし、わたしはかなり自由に、自分の考えと言葉で、担当の本を愛情を持って売っていた。
編集として定規で線を引きながら、文章を読みながら、営業のときの自分の方が生き生きしていたことをはっきりと自覚していた。わかってる、まだ目が育っていないだけで、営業だって最初からできたわけじゃなかったんだ。でも、年月が経って、そんなことすっかり忘れていた。

営業のときは、作ったのは編集なのだから、何も生み出していない編集はクリエイティブではないと思っていた。0から1を生み出せる人が一番すごいのだから、あくまで「助けること」しかできないし、売れる本は営業がいなくてもある程度売れるからね、と思っていた。でも。

離れてから振り返ってみると、

●その本が読んだ人にどんな風に刺さるのかを読んで考えて(読まなくてもある程度営業はできてしまうけど、読むのだ)、まず魅力を探す。
●その魅力が届きやすいターゲットを定める。
●感想を言っている人のクラスタを見極めて、普段他にどんな生活をしているのかを探る。
●最初はPOPやポスターを作ることが「必要」だと思っていたけど、ターゲットに書店に行く癖がある時代は終わったので、ほかの趣味や生活地を見つけることを優先する。
●ターゲットの生活する場所に届き、かつ目立つ言葉やアピールを探して、魅力を最大限伝える。
●その反応を見て、少しずつ軌道修正していく。
●たまに大胆に違うところに投下してみる。
●もちろん毎日数字は見る(グラフが大好きなのだ。この世で一番裏切らないもの)。
●編集部の売り上げも見つつ、足りないようであれば何を売り伸ばすのかを計画する。

……けっこう、ちゃんと、働いていたのではないかと思えてきた。
あんなに出たがっていたけれど、営業、途中から本当に本当に楽しかったんだ。

作業の「編集」をやりながら、わたしはやっと、「クリエイティブっていうのはものを作るってことではなくて、頭で考えるってことなのか」と腑に落ちていた。やっと、ストンと納得がいって、これまでの自分の仕事を愛せるようになった。

担当していた編集部の皆さんから、ありがたい言葉をたくさんもらったことも、わたしの納得を助けてくれた。
「まるちゃんが担当だと年間30万部違いますよ」と言ってくれたこと、お世辞だとわかっているけど嬉しかった。
「次回作もまるちゃんが良かったのに」と各所で言ってもらえたことも。

編集部に来て少しして、やっと考えられるようになってきて、ほんの少し、気持ちが楽になった。自分の頭で考えていない仕事は、結果がどうなっても痛くも痒くもないし嬉しくもないということが怖かった。感動したり後悔したりできるのは、考えた人の特権なのだと思う。
心の底から売りたいと思って本を売っていたように、心の底から作りたいと思って本を作るようにしたい。

そういえば、「スパルタ編集塾」で一番記憶に残っているのは、とあるゲストの方の、「登山し続けていると、ほかの道から登って来たプロに出くわすことがある」という言葉で、今でもわたしのモチベーションを支えている。
少しずつでも諦めずに真剣にやっていたら、いつかきっと、すごい人にたくさん出会えるんだと信じている。

本当は、本を売るのがあまりにも楽しかったので、売り方コンサルタント的なことを他社本でもできないかなとちらっと思った(営業をしていると他社でも手がけたくなる本があるのです)けど、得意ジャンルがあまりにも狭いので断念……。でも、いつか誰かと一緒にやってみたい。もっと突飛な売り方をしたい。本を売りたい人がいたら一緒に考えませんか。

数年前の営業から出たくて仕方がなかったわたしに、今の気持ちを早く知ってほしい。そして数年後のわたし、ちゃんと頭で考えているだろうか。期待してるぞ、とプレッシャーをかけておく。

読んでくださってありがとうございます!あまくておいしいものか、すてきな本を探しにゆきます。