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往復書簡#2 山から教わること/続けること

まえがき

先月から始まった「エッジのおうふくしょかん」。おかげさまで結構読んでいただいているようです。はからずも「続けること」について書いてしまった手前こう書くのもなんですが、皆様の応援を励みに続けてまいりたいと思いますので、今後ともご笑覧の程、よろしくお願いいたします。

なおちゃん to うっぢゅ

うっぢゅ様

クーラーをつけずに窓全開ですごせる季節。エッジの2階から見える木々も青々して、いい感じですね。さて今回も、わたしからお手紙を書いてみます。

今のわたしの関心事といえば、「木」と「神話」かな?どちらもエッジの授業関連ですが、「木」は今学期のConnectのテーマ「山とわたしたち」によるもので、色んなところの見学に行かせてもらっているのが一つ一つ面白い。竹中大工道具館、エッジの地元・灘区の家具工房、山の散策や手入れ...

「こうべ森の学校」(再度山)でさせてもらった、樹木の除伐体験も興味深かった。ちょうど前回の返信で、うっぢゅが「ガジュマルの剪定」について書いていて、「そうそう、元気な葉っぱがついてる枝とか、新芽が出てるのにとか。迷うよねー、剪定。分かる」と思っていたのですが、樹木の除伐って、そのダイナミックバージョン?「この辺りちょっと暗くなってるから、この木切ってみよか」と教えていただいて、ノコギリで根本からゴシゴシ。そこから木が2本なくなっただけで木々の間を風が通るようになり、足元まで光も。鉢に入った植木の枝葉を剪定する時には生まれるためらいが、山全体をイメージしながら一本の木を切っているときにほとんど消えていたのは、これまで知らなかった感覚でした。

こんなに細い木にも..
葉っぱがぎっしり

「キーナの森」(神戸市北区)で自然観察をした時は、木や草が丸ごと伐採されているエリアがあったよね。案内してくださったひょうご環境創造協会の堀田さんに後で理由を訊ねたんだけど、人が木を選んで手を入れていくより、一定の区画の植物を全部伐採する方が多様性が守られるんだとか...。

丸ごと伐採エリア

色んな人に教えていただいた「木」にまつわる話は、示唆に富んでいてとても興味深いね。山も木も面白い。 うっぢゅも、最近の関心事があれば教えてください!

うっぢゅ to なおちゃん

なおちゃん様

そうねー。キーナの森の「区画まるごと伐採」は、「あ、それアリなんだ」と思う一方で、剪定にも「坊主剪定」という枝葉を全部落とす方法があって、それって「どう生えるかは山(木)に任せる」てことだから、人間が小細工するよりも理にかなってるのかなと思いました。

さて、最近の私の関心事は、「続けること」についてかな。先日、ウルフルズの30周年記念ライブとサカナクションの15周年記念スタジオセッションを観て、感じ入るところがありました。節目の年という事で、初期・ 中期の曲が多く再演されました。私は、どちらもちゃんと聴き始めたのが最近なので、その時期の曲に特別思い入れがあるわけではなく、むしろ音としては若々しすぎる感じもしてあまり聴いてこなかったのですが、今回のライブを聴いて、「すごくいいな」と思ったのでした。もちろん、技術的にはキャリアの分だけ熟練するだろうけど、なんというか、「この人たちは、この曲をこのように演奏するために続いてきたんだな」と思えて、ちょっと感傷的にさえなりました。ウルフルズの「歌(2005年)」「サムライソウル(2006年)」、サカナクションの「三日月サンセット (2007年)」「白波トップウォーター(同左)」あたりは、今聴いてこそ。

メジャーデビューするだけでもすごくて、ヒット曲を複数生み出し、アルバムを作り続けられるのはほんのひと握りで、さらにそこから長く続けられるバンドは数えるほどしかいない。だからつい、「どうやって続けてきたんだろう?」と考えてしまう。でも、今の彼らの姿から受け取れるのは、「こうなるバンドだったから続いた」という運命論的真実。身も蓋もないように思えるけど、見方を変えれば、「続くかどうかは、続けていればいずれわかる」ということ。だから自分も、いろいろあるけど、流れに身を任せて、続けることを続けてみようと思った次第です。
ではまた次回。

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