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business「ビジネス」の意味は「不安」?みんなが好きでよく使う言葉の本当の意味

私たちの日常で「ビジネス」という言葉に違和感を覚える人は少ないだろう。TVをつければそれなりの頻度で耳にする言葉だし、仕事に行けば職場などで聞く頻度が高い言葉だ。意味としては、「仕事」「商売」と言った意味で使われることが多い。商売(ショウバイ)は音読みなので、おそらく漢語だと思うが、大和言葉では「商い(あきない)」という言い方もする。なお、「商い」と「飽きない」をシャレにしたりすることもあるが、「商い」の語源はどうやら「飽きない」ではないようだ。農民が作物や工芸品を交換した季節が収穫後である秋だったようで、その取引を「秋なふ」(秋なう)と呼んだそうな。このネット用語みたいな「秋なう」から動詞の「あきなふ」→その名詞形「あきない」が生まれたんだそうな。「秋ない」が「商い」に漢字が変わったのは、やはり「あきない」という音韻に文字を当てた、当て字であろう。言語はまず音があって、その後に視覚表現としての文字が後からやってくる、ということは何度か触れたかと思う。

このビジネスという言葉について考えるときに、否定的な印象、後ろ向きな印象を持つ人は少ないと思う。The business is not going well.=商売はうまく行っていない(≠身の回りの景気はあまり良くない)という表現もあるが、これはnot以下が否定的な内容であるだけで、別にbusinessという単語自体に否定的な意味を感じることはない。ところがこのbusinessという言葉の語源はそんなにありがたいものでもなかったりする。

ではまずbusinessの語源をたどろう。元々は古英語(ノーサンブリア地方方言?)でbisignesと綴られていた模様。意味はcare(心配)、anxiety(不安)、occupation(占拠された状態)で、bisigにnes(s)を付けて名詞形にしたものだ。bisigはもちろん現代ではbusyと綴り、意味は「忙しい」なのだが、古英語のbisigは「心配な」「不安な」「忙しい」を意味した。つまり、bisignes(=business)は頭や心(心理)が何かに占拠され、不安・心配な状況を意味していた。それが14世紀半ば頃には「何かに占拠された状況」から転じて「何かに手一杯忙しい状況」を意味するようになった。

ところで英単語の綴りのデタラメさと言ったらない。現在のbusyの綴りで[bɪ́zi]と読むのはかなり無理がある。何なら千年以上前の綴りbisigの方が、発音に忠実じゃないかとさえ思う。。英語の綴りの不規則性、規則性は別の機会で書きたいと思っているが、英語の歴史的背景・経緯、外来語からの借用、音韻変化、などを経ており、近代化の際の言語としての近代標準化などを経ても、英語の綴りは非常に多様なもの(=デタラメ)になっている。英語の綴りの多様さ(デタラメさ)にうんざりしている人はまず「そもそもデタラメなものだ」と割り切ることをお勧めしたい。

occupation[n]は、「占領」という意味以外に「職業」という意味がある。国境を越えるときに書く入国カードにもoccupationの項目がある。そしてbusinessも「仕事」という意味で使うことがあるらしい。これは、この14世紀以降のbusinessの意味や用法の「仕事」「雇用状態」から来ているのだろう。occupy[vt]支配する・占領するという意味、人間が持っている時間の大半を占めているのは仕事、ということか。そして仕事とは働いて金を稼ぐことなので14世紀以降、いわゆる「ビジネス」「商売」「企業・起業」といった使い方が定着するようになったと思われる。

なお余談だが、businessの意味が、大半の場合「商売」「仕事」と言った商業的な文脈で使われ、「多忙」「忙しい状態」で使われなくなったため、busyness[n]という新しい単語が別で現れるようになった(上記リンク先に記載の通り、記録の有る限りで初めて文献で使われたのが1849年で比較的新しい)。英語本来語やゲルマン諸語由来の単語で語中の[ɪ]音や[aɪ]音が、"i"で綴られずに"y"で綴られるのはかなり稀。通常、silky >> silkilyやsilkiness、と言った具合に語中の"y"は、"i"になる(注・ギリシア語由来の単語(例:psycho、toponymなど)と、-yで終わる動詞のing形(例:hurryingなど)は除く)のだが、businessとの区別のために作られた単語なので、busynessは"y"のままになっているのであろう。

つまりbusinessの語源は「何かに心が支配されて落ち着かない不安な状況」ということである。そんなに良い意味ではない。なお、businessは、スペイン語ではnegocioという単語を使ったりする。もちろんこのnegocioはnegotiation[n]=交渉と非常に関係の強い単語であるわけだが、negotiationも元々はそんなに良い意味の言葉じゃない。negotiationの語源は、元の起源は羅negotiationemで→古仏negociacionを経由して英語に入った。ラテン語も古仏語でも「取引」を意味していた。そして興味深いことにこのnegotiationemのさらに元はnegotiumで、その意味はやはり「仕事」「職業」そしてそれ以外に、「面倒」「困難」「苦痛」と行ったことも意味した。
なぜかというと、negotiumの語源を見ると、neg(否定)+otium(安心・余暇)、つまり「安心や暇がない状態」を意味していたからだ。もちろん、negativeネガティヴの前半分の「neg」も「否定」の意味である。

古英語(元をたどればゲルマン諸語)のbusinessも、ラテン語起源のnegotiationも、同じ「暇がない」「不安・心配」といったかなりネガティヴな意味を持っていた。これは面白い。

さらに面白いことを言うと、日本語の「忙しい」の「忙」だが、よくありがちな解釈は「『忙しい』の語源は心が亡くなる」で、忙しくなるとと心を失ってしまい、些細なことで人に辛く当たったり、小さな幸せを見つけられなくなる、といった理解のされ方が一般化している気がする。「忙」のより確からしい語源を調べると、若干違うようだ。

会意兼形声文字です(忄(心)+亡)。「心臓」の象形と「人の死体に何か物を添えた」象形(「人がなくなる、ない」の意味)から、落ち着いた心がない事を意味し、そこから、「いそがしい」を意味する「忙」という漢字が成り立ちました。

意味は、「心臓(=つまり心持ち)」と「亡くなった人」の組み合わせで元々の意味は「落ち着いた心が持てない」ことであるらしく、busyやnegotiationの語源と近似である。東洋と西洋の違いを越えて、昔の人たちは「忙しい」と言うことをネガティヴに考えていた、という言語の神秘!

私の周りは忙しくて疲れている人が多いが、世間には「忙しくしているのが好きな人」もいるし、「忙しいアピールにはウンザリ」みたいな言説をしている人もいる。言葉と語源から人間の考えを辿ると、昔の人たちは、忙しい状況は「心の平静を保つのが難しい状況」と考えていたようだ。

では漢語の「忙」ではなく、大和言葉の「いそがしい」の語源はと言うと、動詞の「急ぐ」の形容詞形らしい。なお、「急ぐ」の語源は「息狭く(いきせく)」だそうで、本当に忙しくてアップアップの時は息が乱れる様を示している。

余談ながらnegotiation以外に、businessの類語の語源も見ておこう。

例えば、commerce[n]=商業・通商だが、これはcom(ともに・一緒に)+merx(商品)で、そんなに悪い意味はない。

deal[vt]分配する・[n]取引 dealの語源は印欧基語の語根"dail"(=分ける)に由来する。これも特にネガティヴな要素は皆無。

trade[vt]取引する・[n]貿易・通商  これは、ゲルマン基語の語根"tred"に由来するようで、元来の意味は「経路」「小道」であった模様。おそらく船の通る航路のことではないか、との由。

traffic[n]交通・輸送、不正取引。trans(超えて)+fricare(繰り返し触れる・扱う)

bargain[n]契約・掘り出し物。古仏語ではbargaignierは「価格についてやりあう」と言う意味。さらに遡り、印欧基語の語根*bherghに由来。意味は「貸す」、「借りる」、「抵当」など。

businessの「商売」の意味における類語を見ると、元々の意味がbusinessほどネガティヴなものはない。なお「職業・仕事の」意味だと勿論ネガティヴな意味を起源に持つ単語は多い。語源的つながりはないが、travel[vt/vi]旅行する、は元々は、「骨を折る」「労働」を意味していてそこから、「辛い旅をする」となり、現在の「旅行」の意味となった。なおtravelと同じ語源の単語でtravail[n]という英単語があり、こちらには本来の「骨折り」の意味がしっかり残っているが、古風な単語なので、現代英語では使用頻度は極小である。そしてこの英travailの綴りを見て、フランス語を習ったことがある人はハッと気づくに違いない。フランス語で「仕事」は仏travail[n]である。仏語travailの発音はトラバーユではなくトゥラヴァイユである。そしてこの英仏両語に存在するtravailの語源は、「3本の杭で拷問する」ことだそうな。traは「3」を意味する「tre」の異形なのだろう。そもそも、かつての旅は今よりも断然辛いものの方が多かっただろうし、「旅行が必ず休暇の余暇でポジティヴ」と言うこと自体が現代人の思い込みだのだと思う。

そして興味深いことに、このbusinessと対極的な意味を持つ、我々に馴染みにある単語の一つにschoolがある。もっぱら「学校」と訳されているが、元々のこの単語の根底にある考え(ギリシア語のskhole)は「暇・余暇」であるそうだ。それが「役に立たない議論」と言う意味になり、さらに「役に立たない議論をする場」と言う風に発展したんだそう。つまり暇を潰す場所だったんだそうな。日本語でも「床屋談義」って言うものがある。暇がないと、物事の真理を議論して突き詰めたいと思わない、という事なのかもしれない。暇って本当に大事、床屋談義って本当に大事です、ハイ。最近、人と交流して床屋談義的な話をする機会ってあるんだろうか。。

なお、漢字の学校の「校」という字の由来は、「木の垣根」と「枷(かせ)」という意味だそうな。「交」(まじわる)という意味もあるので、人が交わって教え・学ぶ、という解釈もある他方、「囲いの中で枷を嵌める」という解釈をする人もいる。果たして昔の人が考えた本質はどちらなのか・・個人的には、後者でないことを望む限り。
大学は基本的に「学問の自治」が大事で、産業界や、行政からとやかく口を出される筋合いはない。学びたいことを学べるという状態であるべきで、それを支援すべく行政は目的を問わずに支出するのが当たり前なのだが、産業界や行政からやたらとあれこれ注文をつけられる日本の大学の現状を見るにつけ、日本の学校の本義は「木の垣根で囲って枷に嵌める」という状況に、事実としてはなっているのかもしれない。

そういえばeducationはラテン語のeducare、つまりex外に+ducare導く(おそらく「外に引っ張り出して、視野を広げさせる」みたいな考えなのだろう)の由来なのに、日本語の「教育」という語の由来は「大人が打(ぶ)って育てる」といった意味だという説があり、その「教育とeducationの対比」が、「学校とschoolの対比」になんだか方向性が似てるなぁという気がした。learning1.0の精神がどっちを大事にするかというと、明々白々、言わずもがな。無論、school(余暇・暇つぶし)の方である(笑)。

トップの写真は世界の巨大金融センターの一つ、"商売の中心"ではなく、ビジネスの中心New York City。中心に見えるのはthe Empire State Building「帝の国家(邦)のビル」 。the Empire Stateとはニューヨーク州のことで、なお、あまり知られていないが、Londonにはthe Empress State Building「女帝の国家(邦)のビル」があるのだが、同じディベロッパーが開発したのだろうか・・

なお、stateはアメリカの影響が強すぎるせいか、すぐ「州」と訳してしまう傾向があるのだが、stateの最も肝要な意味は「状態(statusも同語源)」「国家」「国家権力」のことである。the United States(合衆国)はそれぞれの独立した「国家」が集まった連邦国家、ということである。我々の悪い癖としてcountry、nation、state、の3つの単語を「国」と呼んでしまうのだが、これはとんでもない思考停止を生むので、ぜひ、「国(土地として)」、「国民(人々)」、「国家・統治権力(機構として)」という近代社会では当たり前の理解がなされてほしいな、と思う今日この頃。


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