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憂鬱な気持ちを包んでくれる毛布みたいな小説のはなし。

3月。
もうすぐ新生活が始まりますね。

まだ体験したことのない日常が来ることに浮き足立つ人もいれば、例年通りにはいかないという不安知らない土地で初めて一人で生活することに少し憂鬱になってしまう人もいるかもしれません。

私は中学生の時にうつのような状態になってしまい、高校を卒業するまで両親にも言うことができずに、その鬱々とした気持ちを抱え続けている期間がありました。

苦しくなった時、いつもそばにいてくれた作家がいます。
その作家の名前は、太宰治

太宰 治
本名は津島 修治(つしま しゅうじ)。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。戦後は、その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称されたが、典型的な自己破滅型の私小説作家であった。
Wikipediaより引用)

彼は様々な挫折や精神的な苦痛に悩みながら、破滅的な人生を送ってきたことで有名ですね。
苦しみながら生きた彼の作品は、鬱屈とした気持ちに寄り添ってくれるような、そんな作品が多いんです。

今回はそんな彼の作品の中でも、『女生徒』という作品を紹介しようと思います。

太宰治のファンの女学生から、太宰のもとに実際に届いた手紙を基にしたこの作品。
決して明るくはない、でも読むとなんだか少し安心するこの作品の魅力を紐解いていきましょう。

お茶でも飲みながら、ゆっくりと読んでみてください。

「朝は憂鬱」そう思うのは自分だけじゃなかった

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『女生徒』の冒頭は、ある女学生が朝目が覚めたときの気持ちを綴るところから始まります。
それも、すっきりと起きることができなくて、ちょっと憂鬱な気持ちになっている時の気持ち。
その時の気持ちを表した文章がこちらです。

パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み、少しずつ上澄が出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。
(引用:本書17ページ)

「起きたくない」
「1日が始まってしまうなあ・・・」

なんだかすっきり起きられなくて、ぼんやりとそんなことを思ってしまうこと、きっと多くの人が経験しているのではないかと思います。

朝、憂鬱な時の気持ちを的確に表したこのフレーズを読んだ時、どうしても起き上がる気が起きなくて布団の中でうずくまることが多かった私の心をそっと撫でてくれたような気がしたんです。

「人の憂鬱と自分の憂鬱は別物。人が自分と同じように苦しんでいるとわかったところでどうにもならない」
普段はそう思っていても、いざ共感されると少しは安心できるものだと、私はこれを読んだときに初めて知りました。

失恋した時に失恋ソングを聴くと気持ちの整理がつきやすくなるのと同じで、悲しい気持ちや苦しい気持ちになっているときは励ますような内容のものに触れるよりも、その気持ちに共感してくれる内容のものに触れたほうが落ち着くのだそう。

「自分は一人だ」と感じるよりは、「自分は一人じゃなかった」と感じる方が確かに穏やかな気持ちになりますよね。

『女生徒』には、このようなフレーズがたくさん登場します。

「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに翻弄される主人公

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自分で、いつも自分の眼鏡が厭だと思っている故か、目の美しいことが、一ばんいいと思われる。
(中略)
私の目は、ただ大きいだけで、なんにもならない。じっと自分の目を見ていると、がっかりする。お母さんでさえ、つまらない目だと言っている。こんな目を光りの無い目と言うのであろう。
(引用:本書19ページ)

「人から見た自分」よりも、どちらかと言えば「自分から見た自分」のことを気にしてしまう
自分に満足できない。
自分のことが、好きになれない。

特に学生の間は、進路や就職について考えるときに「自分がどんな人間であるか」を問われることが多く、これについて悩むことも少なくないのではないかと思います。
それは内面についてだけではなく、外見についても同じこと。

私はこの作品の主人公と同じように目がコンプレックスです。

他のパーツにはそこそこ満足しているけれど、この一重の目だけには納得がいかない。
目が細いから光が入らなくて、なんとなく鏡の中の自分が自分を睨んでいるようにも見えてきてしまう。
お世辞にも綺麗とは言えないから、好きにもなれない。

ささくれ立ったこの気持ちを、太宰は綺麗に言葉にしてくれたような気がしました。
主人公が感じているのはきっと私と同じような気持ちなのに、太宰の言葉で「今しか感じられない特別な気持ち」に昇華されていく。

もしかしたらこの先もこの目を気に入ることはないかもしれない。
でも、社会人になって今よりもっと忙しくなったら、この一生付き合っていく自分の目について考えることすらなくなってしまうかも。

そう思ったら、少しだけ、ほんの少しだけこの目に愛着が湧くような気がしたんです。

「良い子になれない」でも「良い子でありたい」のは、きっと"普通"のこと

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親の期待に応えたい。
「親が考える理想の子」でありたい。

この記事を読んでくれている人の中には、そう思ったことのある人も少なからずいるでしょう。
私も、そして作品の主人公も同じです。

お母さんの気持に、ぴったり添ったいい娘でありたいし、それだからとて、へんに御機嫌をとるのもいやなのだ。
(中略)
お母さんたら、ちっとも私を信頼しないで、まだまだ、子供扱いにしている。
(引用:本書48ページ)

主人公は、彼女の母親と二人で暮らしています。
父親は既に亡くなっており、姉は結婚して遠くの土地へ行ってしまったのです。

大切な親から信頼されたいし、自分も親の期待に応えたい。
でもそのために特別何かをするのはおかしい気がする・・・。
それに、親のことは大切に思っているはずなのに、自分をわかってくれないことになんだかちょっといらいらする。

そしてそんな自分が嫌だ

主人公はずっとそう悩んでいます。そして私も。
でも読者側の目線で見ていると、彼女は彼女のやり方で頑張っていることがわかるんです。

悩むのは、向き合おうとしている証拠。

自分が悩んでいるときは考えられなくても、悩んでいる人の姿を客観的に見るとわかってくる大切なこともある。

この作品は、家族について悩む自分を肯定してくれたような気がしました。


太宰治の作品は「暗い」というイメージだけを強く持たれがち。
実際に暗い雰囲気の作品も多いのですが、悩んでいる人の気持ちを落ち着けてくれるような内容のものもあるんです。

それは太宰の本当に伝えたかったことや表現したかったことではないかもしれませんが、「私の気持ちにこの作品が共感してくれた」と私が感じたことは事実。

『女生徒』は、苦しくて憂鬱になった心を優しく包んでくれる毛布のような作品でした。

もしあなたが、今悩んでいることがあったり塞ぎ込んでいるならば、この作品を手に取ってみてください。
あなたの心にも寄り添ってくれるかもしれません。

『女生徒』を含む14本の短編が収録された書籍が角川書店から出版されているほか、青空文庫でも読むことができます。

また、青空文庫をご紹介している記事もありますので、そちらも併せてお楽しみください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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