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なんのために生まれて、なにをして生きるのか

小さな頃からよくこのアンパンマンのマーチを一緒に歌う娘が、「私はお父さん、お母さん、お兄ちゃんと、みんなの為に生まれて来た」と伝えてくれて感動します。

8歳の娘のように明確な答えを持ってなかった私は、学生時代から「なんの為に人間は生まれるのか?」とよく悩みながら、缶コーヒー片手に夜中一人で散歩していました。ずっと悩んで、やっと見つけた腹落ちする答えは、「自分と関わりがある人に、何かしら役に立つ為に生まれてきた。そして、より役に立てるように自分を高め、出来る限り多くの人と関わりを持って今を生きる」でした。

この答えに辿り着いたのは、プロセス・コンサルの仕事に関わり、自分の活動を、何らかの外部からの「インプット」 を 自分という 「プロセス」が処理して、何らかの「アウトプット」を出すと単純化して定義できると気づいたのがきっかけです。

また、相手の気持ち、与える影響やその結果を考えず、一人よがりで、自分の信じる事を無理強いする人への大きな失望から、「自分を理解してくれる人がいると期待するべきではない」「人は変えられない、変えられるのは自分の接し方だけ」と子供の頃に学んだお蔭でもあります。

自分の活動を「インプット・プロセス・アウトプット」と単純化して定義できると、社会は関わりのある人々とそれぞれの「インプット・プロセス・アウトプット」が網の目のように繋がっていると考えれます。つまり自分の「アウトプット」は それを「インプット」として受け取った人の「プロセス」を通じて、次の「アウトプット」に繋がります。この関係が相互にも成り立つし、永遠に、そして時を超えて網の様に繋がって社会は構成されていると理解できます。

そして、関わる人にとって価値のある「アウトプット」に繋がらない限り、自分が出す「アウトプット」は独りよがりでしかありません。

社会への価値を高めたいなら、独りよがりな自分の「アウトプット」ではなく、それを受けた関わる人の「アウトプット」こそが自分の生きた価値と考えようと思いました。

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また、自分が過去に得た「インプット」を振り返ると、勿論楽しい事や素晴らしい事だけでなく、酷い目にあったり、辛かった事、反面教師からの「インプット」も少なくありません。 しかし、今の自分を肯定出来ているなら、過去の辛い事や反面教師からの「インプット」にも大きな意味があり、この世の全ての物事は自分次第だと考えれます。

この世の地獄を経験するような「インプット」であったとしても、自分の解釈とプロセス次第で、自分や誰かの為に役に立つ「アウトプット」に繋げられるし、自分の生きた意味に繋がるという事です。また逆に、どうしようもなく、独りよがりな意味のない「アウトプット」しか出せない自分であっても、関わる方の素晴らしい「プロセス」を通じる事で、社会にとってとんでもなく素敵な「アウトプット」の一部になり生きた価値を社会に提供できる事もあると気づきました。

どんな経験にも意味があり、存在し続けて「アウトプット」するだけで生きる意味がある。 どんな悪人でも・どうしようも無い人でも、存在するだけで意義がある。そうであるなら、折角だから、関わる人や社会に役立ちたい。 関わりある人の「プロセス」をあるがままに受け入れて、その人のより良い「アウトプット」に繋がる為に、自分を高めるべきだと理解できました。

そして、自分を高めると共に、できる限り多くの人と接して、できる限りユニークな「インプット」を得て、できる限り多くの関わる人に意味のある「アウトプット」を出す事で、自分の生きたの価値は最大化できると理解しました。 自分の「アウトプット」は本や映像や人々の記憶の中で時空を超える事にも気づきました。(私が本を出したい理由の一つです。)

この気づきが腹落ちしたとき、人は生きているだけで価値がある。その事をシンプルに誰にでも理解して貰えるように説明できる。生きる事に悩んでる多くの人を救える!!! なんて考えてもいたのですが、、、最近、この考え方は、お釈迦様の縁起の思想の一部であると学びました。

で、最近、高名な宗教家の方(幼なじみですが・・・w)ともお話して、縁起の思想を判りやすく説明できていると認めて頂きました!

あなたは、なんのために生まれて、なにをして生きますか?



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