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Life Design Booksの仲間たち #1 早坂妙子

同じ会社で働いていても、他のメンバーがどんな考えをもって、具体的に日々どんな仕事をしているのかは意外と分からないもの。リモートワークだったりプロジェクト単位で動いていたりする会社であればなおさらでは?  前野健太が『興味があるの』という曲で、「僕は君に興味があるの/君の生き ていることに興味があるの」と歌っていて、ズキュン。これはラブソングだけれど、恋愛じゃなくてもあらゆる人間関係は、誰かの「興味があるの」から始まっているような気がするのです。一緒に働いている仲間たちが、日々どんなことを考えて、どんな仕事をしているのか興味があるのーーから始まるインタビュー企画です。

石垣島に根を張りながらも、永遠に外からの目線を持ち続けたい

早坂妙子
株式会社ジャパンライフデザインシステムズ  プロデューサー
 
Life Design Booksの母体である弊社、株式会社ジャパンライフデザインシステムズ(JLDS)は東京・渋谷にオフィスを構えているのですが、実は、沖縄の石垣島にサテライトオフィスがあります。そのサテライトオフィスに常駐しているのが早坂妙子プロデューサー。組織というものは様々な人がそれぞれの持ち味を活かしながら日々働いているものですが、それでいうと、JLDSでの彼女は、まさに“開拓者”。枠に囚われず、新しい取り組みにどんどんチャレンジしていく。今から約10年前に石垣島と出会い、島のハーブを再発見するコンセプトブックを出版。その後、石垣島に移住し、サテライトオフィスをつくるまでに至った彼女にインタビューしました。

石垣島の課題解決のためにつくった1冊のコンセプトブック

石垣市市制施行70周年事業の企画運営をした時の写真。右が早坂

____石垣島に興味をもったきっかけは?
 
早坂:2013年に医療冊子で石垣島の離島医療を取材する機会がありました。それまで石垣島の存在すら知らなかったのですが、仕事で知り合った方から、石垣島に行くなら入口初美さんというハーブのカリスマがいると紹介していただいたのです。それで仕事で行った時に、入口さんのハーブ園などを訪問。自然に生えているハーブを摘んでハーブティーにして出してくれる入口さんの暮らし方や考え方に触れ、衝撃を受けてしまいました。
 
____そこから、『足元にある、大切なもの。石垣島ハーブ暮らし』(ライフデザインブックス発行)が生まれたんですね。
 
早坂:そうです。2013年というのは石垣島に新しい空港ができた年で、観光客が増え、土地開発がどんどん進められている時期でした。島にはそこら中にハーブが自生しているのですが、雑草と扱われ除草剤を撒かれてダメになってしまうような状況。アーユルヴェーダで使われるような貴重なハーブもあるのに、その価値を島の人もよく分かっていなかったんですね。
 
日本メディカルハーブ協会(JAMHA)の方たちと島のハーブを巡るツアーの企画を考えていたのですが、私はそれと同時に、足元にあるハーブの価値をみんなで理解し、観光の質を変えていくようなコンセプトブックが必要だと思いました。すぐに会社に持ち帰り、社長(谷口正和)に直訴してコンセプトブック制作の許可をもらったんです。社長からは制作の条件として、地元の方を編集者に迎えて作ること、素敵なものを作ること、地元に根ざしたものを作ること、この3つが提示されました。

『足元にある、大切なもの。石垣島ハーブ暮らし』(ライフデザインブックス/2014年)

____この本は、石垣島で約2000冊も売れたとか!
 
早坂:島では、同時期に発売した村上春樹氏の『1Q84』を超える部数と聞きました(笑)。観光で訪れる方に、石垣島のことやハーブのことを理解するきっかけになればとつくった本でしたが、実際には地元の方が多く手に取ってくれたみたい。そういえば子どもの頃、こういうハーブを使っていたとか。この本を読んで、これまで何となく使っていたハーブの価値を再発見していただいているようです。
 
____この本をきっかけに石垣島関連の仕事がどんどん増えていますね。
 
早坂:本の制作は、社長から言われたように、地元の方を編集に迎えて一緒に作りました。本が完成した時にその仲間の一人からの提案で、本を持って市役所に挨拶に行ったのです。そうしたら、当時の企画部長さんが、会うなり「僕たちは君のような人を待っていました!」と大歓迎。新しい空港ができたことで、これからの島の観光の在り方を明確に指し示していかなくてはいけないタイミングだったようです。だから、本のコンセプトでもある「足元にある財を見直す」というところに興味をもってくれたんですね。当時、私の拠点は東京だったので、石垣島と往復する生活を送っていましたが、石垣島に行った際は必ず市役所に挨拶に行き、情報交換などをしていました。
 
____谷口社長が、石垣島の観光大使も務めましたね。
 
早坂:ある時、市役所を訪れる時に、考え方の参考になればと思って、『ビジットデザイニング 訪問に値する価値の創造』(谷口正和著/ライフデザインブックス)を1冊持って行ったんです。それを読んでくださった観光文化課の担当者の方から、ぜひ、谷口社長に石垣市の観光アドバイザーになって欲しいとご依頼をいただきました。社長も快く引き受けてくれて、石垣市で講演を行ったり、2014年からは地元の八重山毎日新聞で『島あずかりの思想』という月1回のコラムを寄稿したりするようになりました。
 
コラムの原稿は、私が社長に聞き書きして作っていたのですが、この原稿作りが私にとって大きな学びになりました。社長が一貫して伝えていたのは、島を所有するという考え方ではなく、世界からこの島を預かっているという思想を持ち、今、自分たちは何ができるのかを考えていかなければいけないということ。こうした学びを得ながら、私自身も石垣市だけでなく、八重山諸島(石垣市・竹富町・与那国町)の観光事業を担う八重山ビジターズビューローや沖縄県との仕事が増えていきました。

石垣市制施行70周年を記念して行われた事業「石垣みらいカレッジ」では、地元のサンサンラジオで週に1回、『島の耳塾』という番組を担当した。一番右が早坂

島の人が気づかない財を、掘り起こして磨いていく

____石垣島へ本格的に移住したのは?
 
早坂:石垣市に住民票を移したのは2016年です。それまでは住民票は東京のまま、石垣島と東京を行ったり来たりする生活を送っていました。友だちもたくさんでき、自然と暮らしの中心が石垣島になっていたから覚悟を決めた感じです。東京では3食とも外食で、そのうちの2食が富士そばという食生活でしたが(笑)、石垣島に暮らすようになって毎日料理をするようになったし、友だちに手料理を振るまったりするようにもなりました。
 
何よりも島という規模感が合っていたんですね。島外の魚や野菜以外は手に入りにくいですが、逆に言えば、自ずと食べるのは地元産の旬の物ばかりになります。魚1つとっても、どのエリアで獲れた魚か、誰が獲った魚かは大抵分かります。もちろん、台風が来たりすれば漁には出られないので食材は品薄になる。でも、私はそこに“豊かさ”を感じたのです。顔が分かる範囲の規模感で暮らしていると、よいことも悪いことも自分のやったことが返ってきてしまうから、暮らしに責任をもてる感じがして。それは仕事に関しても同じで、自分のやったことが顔の見える島の誰かのためになっているか? よい影響を与えられているか? 島の仕事をする時はそういうことを考えて取り組んでいます。
 
____サテライトオフィスを設けたのは、コロナ禍の2021年でしたね。
 
早坂:そうです。会社と相談し、私の自宅をサテライトオフィスとして登録しました。現実的な話でいうと、沖縄県のコンペなどに参加しやすくなるというのがあります。本当はもっと早くサテライトオフィスにしておけばよかったと思っています。たぶん、それをしなかったのは、自分に自信がなかったのもあるし、仕事を取りに来ているだけじゃないかと周囲に思われるのが嫌だった。ようやくプロとして成果を出せるようになったから進められたんです。あとは、ちょうどコロナ禍で、リモートワークや二拠点で働くスタッフも増えていたので、私は次の段階に進みたいというのもあったかな。

石垣市にある自宅兼サテライトオフィス

____島の仕事だけでなく、医療冊子の仕事などで全国を取材して回ったりもしていて、大変じゃないかと。
 
早坂:島に住み、島の仕事だけをしていくことは正解じゃないと思っています。医療冊子の仕事で全国を取材で回り、そうすることで見えてくるものもあるから。日本の中央の経済活動に参画しながら、島のローカルな仕事もしていく。もちろん大変なことも多いですが、両方やっていくことが大事だと思っています。
 
私は石垣市民ですが、これからも島の外からの目線を持ち続けることが大事だと思っています。その目線を持ちながら、島の手仕事や農業といった足元財の掘り起こしと磨き方を情報化し、さらには仕組みづくりまでを行うのが私のやるべきこと。JLDSでは、21世紀は文化が経済を牽引していくという考えの下、「文化経済研究会」というものに長く取り組んできています。この研究会での学びが大きかった。ハーブもそうだったように、島のもつ魅力的な文化を、島の人は気づかなかったりするんです。そこを掘り起こして磨くことが、私の使命。そう考えながらやってきて、今は、島の文化経済の実現に貢献できているという手応えを感じられるようになりました。
 
____今度はどんなチャレンジをしていこうと思っていますか?
 
早坂:石垣島の暮らしも仕事もまだまだやりたいことはいっぱい。でも、私の場合は石垣島に永住するのが目的じゃないんです。もちろんそれは島を出たいという意味ではなく、惰性ではなくここに住みたいと思って住んでいることが大事だということと、永遠に外の人であり続け、外からの目線で価値づくりをしていきたい。そして、石垣島でやってきたことを他の地域でも生かしていけたらと思っています。石垣島は“アジアのおへそ“とも言われていて、アジアの中の1つの島という感覚です。台湾などとも交流が深いので、石垣島を拠点にアジア圏の仕事もしていきたいですね。谷口社長に言われたことがあるんです。「早坂さんは、人からどこに住んでいるかと聞かれたら、『地球』と答えなさい」って。この言葉を、これからも大事にしていきたい。

与那国島での取材風景



文・丸山一十三
元 株式会社ジャパンライフデザインシステムズ・プロデューサー。健康情報誌『セルフドクター』編集長。日本一の長寿県である長野県に暮らす人々をインタビューし、これからの時代の生き方、暮らし方を提案するコンセプトブック『長野インタビュー 生活芸術家たち』(Life Design Books)を編集・執筆。