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人生を変える「ソロ旅」とは...?人生に「ソロ旅」という選択肢を—、を掲げる理由について語ります。

人生を変えるソロ旅プロデューサーのかほです。

人生の節目を迎えるたび、自分と向き合い納得して答えを出すために、そっと一人になり旅をする機会を重ねてきました。訪れた国と地域は33ヶ国120都市以上。今の私があるのは間違いなく旅のおかげで、自分らしく生きるきっかけをつくってくれた「旅」そのものに私自身とても感謝している人間の一人です。

私にとって、「旅」はこれまでもこれからも人生になくてはならない存在ですが、一般的には旅 ≒ 旅行はレジャーや娯楽と捉えている人が多く、衣食住など生きていくうえで必要不可欠な対象と比べられてしまうとどうしても優先度が下がるのかなと思います。

なので今日は、どうしてそこまでして「ソロ旅」を推すのか、また複数人の旅行や女子旅ではなくどうして「ソロ旅」なのか私がこれほどまでにソロ旅にこだわり、推す理由を徹底的に言語化して熱く語っていきたいと思います。

本記事は、「ソロ旅」を愛する人はもちろん、「ソロ旅」の良さって何よ?と興味はありつつもまだ「ソロ旅」の魅力が今ひとつ分からないと思っている人へ届いたら嬉しいです。


誰かとともにいる時間では自分の「本音」を押し殺してしまうから

誰かと一緒にいる時間はつい自分の本音を押し殺してしまう…。

優等生や長男長女気質が強い人は、いい意味でも悪い意味でも他者の存在を優先してしまいがち、ではないでしょうか?

まさに私自身がそうです。

昔から誰かと一緒にいる時間の中で、何かを選択しなければならないときには、心の中ではハッキリとこうありたい、という明確な希望や選択肢があったとしても、まずは目の前の相手の動向や希望に耳を傾けようとしてしまう癖が顔を出します。

ある意味、これは生まれ持った気質だから仕方ないのかなと割り切っているのですが、かといってその選択をしている自分=(イコール)嫌だという訳では決してなく、親しき仲にも礼儀ありという言葉があるように、相手を立てることがそもそも嫌いではないし、その方が慣れていて楽だからという無自覚の上での選択的行動であることが本音です。

その分、ソロ旅をしている時は、ここぞとばかりにいつも人前で押さえている自分の本音を思う存分向き合い、解放する機会をつくっています。

「どんな時に、心が触れた?」
「この時、本当はどんな風に感じていた?」


肩の力を抜いて、自分の心の声に素直に耳を傾け、「今日はどうしたい?」「何が食べたい?」と丁寧に自分の希望を聞き、それをまずは真正面から受けとめ、尊重しようと努めることで日頃バランスを取っているように思います。

ひとりで自分と孤独に向き合う時間にこそ、自分との対話が進む。それは寂しさではなく、愛すべき孤独。

“誰かと一緒に行くのが旅行だとしたら、今日は敢えてひとりで旅したい”

価値観の合う好きな人たちと過ごす時間はもちろん楽しいこと。彼らと心の奥底で分かり合い、温かなつながりが強化される瞬間は何度重ねても非常に価値あるものだと思います。

その一方で、語弊を恐れずにいうと、心のどこかで常に一緒にいる相手が機嫌よく過ごせているかなど過剰に気を遣ってしまい、自分との接続時間が途切れてしまうように感じることがあります。

これは私がエンパス体質(相手の気分や感情の影響を受けやすい)ゆえの感覚かもしれませんが、エンターテイナーのような楽しませ方でなくとも、一緒にいる相手が心地よく過ごしてくれていることが自分の喜びに感じる人によって、誰かと一緒にいる時間は常に周囲にアンテナを立て気を張り巡らせているからこそ、意図的にひとりの時間をつくって自分を見つめ直す機会がとても大切だと思うのです。

そうすることが、自分とは異なる他者と付き合い、サスティナブルにいい関係を築いていくために必要不可欠な要素のように思えてなりません。

画一的な正解のない時代だからこそ、自分のものさしで生きていきたい

真面目な人であればあるほど、さも存在するかのような世間の正解になぞらえた人生を送らないといけないと強迫観念のように思ってしまうことはありませんか?

そうしないと、まるで認めてもらえないかのように。

かつての私が、まさにそんな一人であり、今でも気を抜くとつい顔を出してしまうやっかいな要素だと思っています。

これは過去の一例に過ぎませんが、あろうことか社会のレールを降りるまでは(以降、フリーランスに転身)社会の駒として優良企業で長く勤め上げることが是、そのレールから一度でも降りたら二度と真っ当に評価される人生を送れないのではないか。

些か、こんな固定観念を持っていました。

また一方で、結婚して、子どもを産んだら、みんなが幸せになれるという価値観もすでに終焉を迎えていますよね。

世の中に未だに深く根強くある、こうある“べき論”。

生まれ育った場所も、時代背景も全く違うのに、たった一つの画一的な正解の箱に閉じ込めようとする観念が私は昔から苦手でした。

どうして世間は“女子”は、“若者”は、とカテゴライズして、こうあるべきだと同じ箱に閉じ込めようとするのか。気づいたら、ひとつところの価値観に括られてしまうことに強烈な違和感を覚える自分がいたものです。

私自身もまだ実践段階ではありますが、誰かの思惑に左右されず、自分の頭で考えて決めて行動する。柔軟さは持ち合わせながらも、ソロ旅を通してそんな選択をする機会を少しずつでも増やしていく女性が一人でも多く増えれば、きっともっといい世界になっていく。そんな世界に私は生きたいと思います。

自分の心の声を聞いて、自分と仲良くした方が人生はきっとうまくいく。

人生の岐路にこそ、立ち止まって考える時間が必要

簡単に他者と比べられてしまうSNS全盛の時代において、ありのままの自分の可能性を信じて、自己信頼を重ねることは容易なことではありません。

日本人は先進国の中でも特に自己肯定感が低い、というデータがあります。

ですが、誰かと比べる相対的な幸せではなく全ての女性に自分らしく幸せに生きる権利が等しくあるはずです。

これまでの環境と大きく変わる瞬間、

失恋、転職、結婚、妊娠、出産(するかどうかも含めて決断する局面で)…etc.

人生の節目で、「ソロ旅」を通して、改めて自分の歩んできたこれまでの人生を振り返る機会を意図的につくる。

そして、自分自身を見つめ直し、誰がなんと言おうとありのままの自分を認める。どんな自分も決して否定しない。

そうすることで、一人一人が本来の自信を取り戻し、本当の意味で自己信頼を高めることができたら、これから向かう方向性に希望を見出し、自身が最も納得したかたちで答えを出していけるきっかけをつくることができるのでは、と私は考えます。

そんな新たな門出を「予祝する」ような気持ちで、納得感をもってあたらしい一歩を踏み出せたら、最高にハッピーだと思うのです。

誰かの正解をなぞるのでもなく、
優等生が好むようなそれらしい答えを見繕う訳でもなく、

本当の自分は、どう思い、どうしたいのか。
ただただそこにフォーカスする。

世間的な正解、誰かと比べた相対的な幸せ、親世代の当たり前…etc.

そんなのはあたらしい私には全部いらないん、です。

真面目で社会性が抜けず、ついついいい子を演じてしまう女性の自己解放を促すことを、「ソロ旅」の素晴らしさを伝えていく中の裏テーマとして取り扱っていきたいです。

このnoteでは今後も、自身の体験を通して、自分を感じるソロ旅の “新しい楽しみ方” を発信し人生を自在にデザインする女性の生き方を後押しする発信をしていきます。いいね、コメントいただけるととても励みになります。

かほ|旅とエッセイ。
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