「コスパの追求」だけで心は動かない
『ゴジラvsコング』(2021年)は期待外れだった。
『ゴジラvsコング』は、2014年の『GODZILLA ゴジラ』を第一作とするハリウッド版怪獣シリーズの最新作であり、世界各国で大ヒットを記録した作品でもある。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』と『ゴジラvsコング』
ハリウッド版怪獣シリーズにおける前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)は、東宝の人気怪獣が総出演、さらに東宝製作の初代『ゴジラ』(1954年)に登場する新兵器オキシジェン・デストロイヤーも描かれるなど、日本の怪獣映画へのリスペクトを感じる作品だった(各怪獣の造形に不満は残るものの)。
怪獣たちの迫力のバトルシーンとともに、人間ドラマやハリウッドお得意の自己犠牲ヒーロー演出もあり、満足の一作だった。
そのため『ゴジラvsコング』も期待して観たが、その期待は裏切られた。
『ゴジラvsコング』は一言でいってしまえば、ゴジラとコングの異種格闘技戦だった。ご都合主義すぎて無茶苦茶なストーリーに目を瞑ったとしても、登場人物たちのキャラクター描写もなく(そのため小栗旬の存在感は皆無)、人間ドラマも描かれず、登場人物たちはゴジラとコングのバトルを見物しているだけで、自己犠牲ヒーローの演出もない。CGによる派手なゴジラとコングのバトルを見世物にしたような、そんな作品だった。
『ゴジラvsコング』をみて暗澹とした気持ちになる中、仕事で付き合いのあるベテラン新聞記者が以前言っていた、二つの言葉を思い出した。
ベテラン新聞記者の言葉
一つは「新聞社のビジネスは、毎日各家庭に新聞という古紙回収のゴミを配ること」というもので、もう一つは「今のネット記事はコスパがいい」である。
前者は、発行部数の減少に歯止めがきかない新聞社のことを自虐的に語った言葉になるが、後者は、その凋落する新聞というメディアにとって、代替メディアであるネットニュースを揶揄した言葉となる。
彼曰く、
「ネット記事は、テレビを文字起こししたような記事、芸能人がどこで何を食べていたというだけの記事、そして、取材源が不明なフェイクニュース、そういう記事で溢れかえっている。だから、今のネット記事には取材がない。取材がないということは工夫がない。工夫がないからコストがかからない。工夫は興味を煽ることだけに向けられている。」
ということだった。
ネット記事が全てそうとは言わないが、確かに、彼が言うようなネット記事は多く目にする。
「コスパがいい」というのは、合理的でよい判断とされるケースは多い。しかし、コスパの良さだけで測れないものもある。
コスパを追求したチェーン店の食事は経済的で合理的だけれど、「美味しい」と感動するのは、普段なかなか行かない高級店だったり、家庭の味だったり、自分で工夫して作った食事だったりする。
『ゴジラvsコング』で絶えず繰り広げられる派手な映像、迫力あるバトルシーンは、CGで作られ大きな予算をかけておりコストが低いというわけではない。しかし、工夫というコストは低い。人の心を動かすには、工夫というコストがかかる。
人が興味を煽られる爆発、迫力というテンプレートに当てはめたシーンだけでは、興味を煽ることはできても、すぐに忘れ去られる。人の心に残るのは、心を動かす作品である。
コスパの追求とマッカーサー
ベテラン新聞記者は、ネット記事について嘆いた後こうも言っていた。
「そんなこと言ったところで、俺はマッカーサーになるしかないんだけどね」
人の興味を煽ることだけが主眼のコスパのいいネット記事は多くのPVを集め、『ゴジラvsコング』も大ヒットを記録している。それが事実であり、現代的ということなのかもしれない。現代的なことを受け入れ、適応する必要もある。興味を煽ることも必要である。コスパの追求も重要である。
しかし、人の心を動かすものは、古紙回収としてゴミに出されても、人の心には残り続ける。コスパの悪い人の心を動かすものは、決して、消え去るだけの老兵にはならない。
そんなことを『ゴジラvsコング』を観て思った。
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