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『処刑軍団ザップ』タイトルの意味

B級ホラー映画『処刑軍団ザップ』(1970年)のWikipediaページには、気になる一文がある。

邦題・原題共に内容とは特に関係ない。

Wikipedia『処刑軍団ザップ』(2022年2月4日時点)

原題が『I Drink Your Blood』で、邦題が『処刑軍団ザップ』である。Wikipediaに書かれているタイトルとストーリーが無関係という点に、違和感を覚える。

本当に『処刑軍団ザップ』のタイトルは、ストーリーと無関係なのだろうか?

『I Drink Your Blood』 の意味

『処刑軍団ザップ』は、アメリカの田舎町を舞台に、狂犬病の感染者たちが人々を襲う話である。キンキン高鳴るBGMが鳴り響く中、狂犬病感染者達が泡を吹きながら走り回る姿は、低予算映画ならではの味を感じさせてくれる。

原題の『I Drink Your Blood』 は、直訳すれば「お前の血を飲む」となる。ニュアンスとしては「お前の血を飲んでやる」の方が近いのかもしれない。

作中、狂犬病に感染する引き金となるのは、血である。

田舎町を訪れた若者たちが、ミートパイを食べるシーンがある。その若者たちに恨みを持つ少年が、ミートパイに狂犬病患者の血を混ぜることで、狂犬病感染者が大量発生することになる。

このミートパイ・シーンを表す表現をタイトルにするなら「お前たちに血を飲ませる」の方が正しい。

しかし、原題は「お前の血を飲んでやる」である。ただし、「お前の小便を飲んでやる」でないし「お前の糞を食べてやる」でもない。”血がきっかけで何か恐ろしいことが起こる物語”というニュアンスは十分伝わる。

また、「お前の血を飲んでやる」のように、台詞のようなタイトルは昔も今もある。『シコふんじゃった。』のようにラスト、タイトルが台詞となって印象に残る作品もあるし、作中でタイトルについて何も触れないケースは普通にある。『男はつらいよ』にしても台詞として「男はつらいよ」とは言っていない。『明日に向かって撃て!』『俺たちに明日はない』にしても同じである。

原題の「飲む」という動詞が、実際のストーリーでは「飲ませる」という使役係になっているという関係であり、それは、無関係というよりも、タイトルから連想される内容からのどんでん返しストーリーと言えるのではないか。

そのため、「I Drink Your Blood(お前の血を飲んでやる)」だけが特別変とは思えない。そのため、原題はストーリーと無関係とはいえない。

『処刑軍団ザップ』の意味

邦題の『処刑軍団ザップ』のタイトルについては、映画感想を書いたブログやFilmarksのレビューでも、「ストーリーと関係ない」「処刑軍団が出てこない」「ザップって何だ?」といったコメントが多く目につく。

確かに、本編中に「処刑軍団」も「ザップ」も出てこない。一見、無関係のように見える。

しかし、何か意味はあるはずである。

しっかり『処刑軍団ザップ』のタイトルの意味を解釈するため、「処刑軍団」と「ザップ」に分解して考えていく。

「処刑軍団」の解釈

作中、具体的に「処刑軍団」という名称は登場しない。また、軍団="誰かに統率された組織''も登場しない。

しかし、「処刑軍団」は、”処刑という恐ろしいことをする複数の人間が集っている”ことを連想させる。そして作中では、狂犬病に感染し、口にブクブク泡を吹いた多数の人間が集団化する。「処刑軍団」から得られる連想とかけ離れていない。

70年代、80年代の特に低予算映画の邦題は、誇大表現するクセがあり、それは『処刑軍団ザップ』だけの話ではない。

例えば、1980年代アメリカの人気テレビドラマシリーズ『The A-team』の邦題は『特攻野郎Aチーム』である。Aチームは特攻つまり自爆攻撃をするわけではない。しかし、”何か凄い奴ら”というニュアンスは伝わる。

『処刑軍団ザップ』の「処刑軍団」も、”何か恐ろしい集団”というニュアンスは十分伝わる。

「ザップ」の解釈

”ザップ”の方であるが、『特攻野郎Aチーム』のように、誇大表現+チーム名(名詞)と捉えようするとおかしくなる。

別に難しい解釈が必要ということもなく、単純に、ザップとはつまりzapということだろう。

この場合、ザップは名詞でなく動詞であり、weblio英和辞書から引っ張ると、zapの日本語訳は「急に動かす」とか「 急に強く打つ」とか「急襲する」とか「殺す」である。

「処刑軍団」と「ザップ」をつなげて考えると、以下になる。

「恐ろしい複数の人間が急襲する」

ちゃんと、タイトルはストーリーの意味を伝えている。むしろ、原題より邦題の方が正しく伝えている。

そのため、邦題も、ストーリーと無関係ではない。

当たり前の壁

このように、『処刑軍団ザップ』の原題も邦題も、Wikipediaに書かれているように、"内容とは特に関係ない"とは違うと考えられる。

Wikipediaは、誰でも編集可能で、時にWikipedia内での炎上もあるが、それでも、客観的事実が書かれている百科事典としての役割がある。

そのため、Wikipediaに関係ないと書いてあると、どうしても『処刑軍団ザップ』のタイトルと内容は関係ないという認識を持つようになる。

その認識は、当然のこと、もしくは当たり前のこととなる。それは、当たり前の壁となって、事実を見ることを妨げる。

客観的情報とされる情報は、時にやっかいである。Wikipediaや新聞のような客観的情報が書かれているとされる媒体やメディアから、時に誤報として、時に意図的に誤った情報が発信されるときがある。

例えばフェイクニュースのように。

しかし、そのような情報はどこかに綻びがあるはずで、その綻びは、読む側に違和感を発生させる。『処刑軍団ザップ』のWikipediaを見た時、最初発生したのは、モヤモヤとした違和感だった。

その違和感という名のモヤモヤを、すぐに消し去らず、モヤモヤの原因を考えていくと、事実を見ることを促したり、新しい発見であったり、または、別の解釈が生まれることがある。

当たり前の壁を超えるきっかけは、モヤモヤにあると感じる。

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