やることがない

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神学

ヨブ記がなにであろうと 他者の苦しみは苦しみとしては存在していない 他者は神とともにある 自分であるということは 神と共にないということ 男性は女性を通じなくても 神と直接関係することができる また女性は男性を通じなくても 神と直接関係することができる そのことを意識しようとしないだけ 神とはなにか 君が本当に望んでいる物のことだ 君が名指しで欲しがっているものはすべて偽りの水準にある 君には君が本当に欲しがっているものがある 恩寵とは本当に欲しがっているものがあるとい

    • 1/26 「映画嫌い」

       映画嫌いだ。観終えてもいいことがないから。すてきな生活がほしい。今日は一日中新宿を彷徨っていたが、やりたいことが何もなくて驚愕だった。この世にあるものの殆どは僕にとってどうでも良いものだ。どうして未だ生きているんだろうと疑問に思う。神様。カム・オンなのだ。

      • 1/25「ジャン・アラン」

         バッハは1000を超える曲を作っている。総再生時間にするとどれだけになるんだろう。普通の人ならバッハだけ聴いていれば、他の作曲家を聴かなくても一生満足できるくらいの曲数だ。いろんな曲を作っているけれど、バッハといえばフーガ、フーガといえばバッハというくらい、バッハのフーガはすばらしい。フーガはひとつのメロディーを何度も繰り返しながら、そこに第二、第三のメロディーを絡みつかせて作った曲だ。バッハは複数のメロディーを同時に鳴らす「対位法」の名人で、膨らみながら曲が蠢き這い突き進

        • 1/25 ビッグマック

           午後三時に起きて昨日の流れで昔聞いていたアニメソングを聞き返していた。そのうちアニソンを聞いている自分の姿が滑稽で、神がどうだとか、死がどうだとか、超越的なことを考える気持ちが失せ、ネットサーフィンしていた。ネット上にはいろんな人がいてなんとなく自分が相対化されていく気がして気持ちいい。それでもなんとなく気持ちが落ち着かない。最近一人でいると寂しさが募ってだいたい気持ちが落ち着かない。それでいてやることもやれることもやりたいこともなくて、部屋でじっとしている。  寂しいけ

          1/24 「アニメソング」

           一年に一度か二度会う旧友が連絡してきて半日遊んだ。人と会っている間は、一人きりの時間では絶対化していた自分自身が相対化されて、超越的な発想が意味を持たなくなって面白い。それで高校生だった頃を思い出しながら家に帰った。ベッドに潜り込みながら当時聴いていたアニソンを聴き返していた。  寂しいという気持ちは貪欲だ。音楽が良いわけでもなければ歌詞が良いわけでもないのに無根拠の賑やかさがアニソンを彩っている。こういう軽さの良さみたいなものは、重たい芸術作品にはなかなかない。モーツァ

          1/24 「アニメソング」

          1/22-23 映画「Into Great Silence」

           朝起きてから憂鬱で、もう何もかも終わりにしたいと思った。死にたいという思いはもうずっとあって、それに今年に入ってからはさらに膨らんでいる。人は死ねるなら死なないといけないと真面目に思っている。誠実に生きようとすれば死を選ぶ他ないのだと思っている。この世で生きながらえている人は論理を突き詰めていないか、あるいは僕のように、死ねなくて困っているかそのどちらかだと本気で思っている。  それで朝目が覚めてからPCのファイルを全削除して1/22-23の二日間ずっと寝ていた。その間思

          1/22-23 映画「Into Great Silence」

          1/21 「ハマスホイとデンマーク絵画展」

           1/21に「ハマスホイとデンマーク絵画展」を見に美術館へ行って1600円もの(ニートにとっての)大金をはたいて絵画を見てきた。もともと芸術なんて大嫌いだけど例外的にきれいだと思う絵や音楽があって、そういうものを見るためなら、少ない貯金を崩す気になる。ハマスホイの絵も、自分にとって美しく感じられる数少ないもののうちのひとつだ。もともと、この画家を知ったのは、このチラシを見たことがきっかけだった。右上の絵。開いたドア。これがたまらなく美しく見えた。  いざ現地につくと、この手

          1/21 「ハマスホイとデンマーク絵画展」

          なぜ書き始めるか

           話すのはかんたんだが書くのは難しい。だが話してみた内容をあとから聞き返すと、その内容の薄さに驚く。文章におこせば数十文字で済む内容を数十分かけて話している。話すのが簡単なわけだ。もともと言葉というのは極めて単純な意味を表現するためのものなんだ。書き言葉は仰々しく意味ありげな単語を積み上げていくけれど、それも極めて単純な意味を廻り道して射抜きうるに過ぎないんじゃないかという気がしてくる。  この数週間書くことに倦んでしまいそれ抜きで過ごそうとしたけれど、本当に何もすることが

          なぜ書き始めるか