1/21 「ハマスホイとデンマーク絵画展」

 1/21に「ハマスホイとデンマーク絵画展」を見に美術館へ行って1600円もの(ニートにとっての)大金をはたいて絵画を見てきた。もともと芸術なんて大嫌いだけど例外的にきれいだと思う絵や音楽があって、そういうものを見るためなら、少ない貯金を崩す気になる。ハマスホイの絵も、自分にとって美しく感じられる数少ないもののうちのひとつだ。もともと、この画家を知ったのは、このチラシを見たことがきっかけだった。右上の絵。開いたドア。これがたまらなく美しく見えた。

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 いざ現地につくと、この手の展覧会ではおなじみだが、僕と同じように時間を持て余した年寄り共がたむろっていた。特に美術館に来ることを「嗜み」に堕落させてしまう女性たちが目についた。全員がそうだと言っているわけではないが。男が少なくて少し意外だったかな。

 主役のハマスホイは後半に置かれ、まずはそれ以外のデンマーク絵画界の巨匠たちの作品。

 ティーオド・フィリプスン(Theodor Philipsen)という画家の晩秋のデューアヘーヴェン森林公園という作品は妙に良かった。横幅が2mくらいある大きな作品で、光の表現が絶妙で、ぐっと惹きつけられた。デジタルで見るとまるでクレヨンで描いた落書きのようにすら見えてしまうのがあまりに残念だ。

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 それからカール・ホルスーウ(Carl Holsøe)の絵は一枚で一作品の映画に匹敵するような密度を持った素晴らしい作品だった。

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 ハマスホイの絵は、実際に目にしてみると、もともと良いと思っていた後期の作品よりも、初期の作品が美しかった。

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 古いストーヴのある室内。この作品が妙に感動的だった。この画家は生涯にわたりドアを描き続けてきたが、この作品はドアを描き始めた最初期のものらしい。展覧会ではハマスホイの描いた(概ね)時系列順に絵が並べられていたが、この作品の純な、あるいは単純な、天国的な、ひとつのゴールと言える美しさが、時が経つに連れ、どのように一般化されていくか、という流れを見たというような気さえした。ある時期を経てからハマスホイの絵はあまり魅力的ではなくなっていき、僕は首をかしげながら美術館を後にすることになった。

 ハマスホイという作家の面白いところはもうひとつ、人が描かれている作品がめちゃめちゃつまらないということだった。

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 人がいると大げさにドラマチックになってしまい、こんな露骨に「劇的な」絵なら、他の作家にでも描けると思ってしまう。元来ドラマチックすぎる絵を描く人だからこそ、人がいなくなって、劇性が失われると、ちょうどバランスが取れるのかもしれない。あるいは、ハマスホイも人間嫌いだったのではないか?僕が人間嫌いだからそう思ってしまうのかもしれないけれど。

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