教師という名の着ぐるみ
放課後、体育主任の3個上の先輩とともに体育館のモップがけにいった。(ともに学年を組んでいる方だ)
掃除が終わり、
出口の鍵を閉め、職員室に戻ろうとする。
すると、先輩が私に
「何か悩んでることある?」
と聞いてきた。
挙げればキリがないが、勇気を出して1番の悩みを話した。
それは子どもへの対応について、だ。
私は子どもに厳しくしてしまう対応癖がある。
特に“できない子”や“やろうとしない子”に対して。
「できるのになぜやらない。」
「やる力があるのだから、やりなさい。」
語気を強め、トーンを落とし指示をする。
もちろん、彼らができないことはよくわかる。
それでも厳しく対応してしまうのだ。
なぜか。
理由は1つ、新卒初任の頃の“子どもからナメられた経験”があるからだ。
だから、規律に関しては自ずと厳しくなってしまう。
そして、教師らしくいないといけないと思ってしまう。
そんなことを自分の教室で話した。
先輩は頷きながら、こんな話をしてくれた。
「規律って表面じゃん。足元さんの言う「規律をしっかりしないと!」とか「教師らしくいないと!」って本当の足元さんなの?そういう足元さんをみて子どもたちは信頼を持てるの?」
「今のあなたに必要なのは、“教師らしくいて厳しく規律を指導する自分”ではなくて、“子どもと真に信頼を結ぼうとする素のあなた”じゃないの?」
その言葉を聞いた途端、今まで暗闇で踠いていた私にパッと光が差した気分になった。
教師という着ぐるみを着ているのは私だったのだ。
その先生は、私のことをよく見てくださっている。
・先生はいつも笑顔
・朝、下駄箱に行き他のクラスの子と話をする
・優しい
・子どものことを本当によく見ている
だからこそ、上記のように言ってくださったのだ。
初任の頃、最後に子どもたちは私に手紙をくれた。
“先生の笑顔と優しさが安心感をくれました。だから教室に入れました。1年間不登校だった女の子からだった。(その子は2週間で教室に入れた)
2年目。子どもたちみんなから“にこにこ先生”と呼ばれ、「どうしていつも笑っているの?」と不思議そうに何度も聞かれた。
本当の私を気づかせてくれるのはいつもいつも子どもたちだ。
今の私は子どもたちの眼にどう映っているのだろう?
きっと教師らしくいる私ではない私をいつも見せられているはずだ。
明日もまた子どもたちがくる。
そんなすぐに脱ぐことはできない。
まずは、朝が勝負。
笑顔と安心感を存分に出して挨拶をする。
出発はそこからだ。
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