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良くない日を書く。

派手な時期が終わると、落ち着いた匠のような時間を創れるものとばかり思っていたけど、どうやら思い違いだったらしい。
質素で、味気ない歯応えだけに喜びの一端を見出すような人。そうだな、多分、藍色か薄抹茶色の甚兵衛を羽織って土間で胡座をかくような人を想像していたから、そうならなかった自分への落胆と、そんなふうに見た目からイメージしている時点で、そちら側の、いわゆる職人肌の人間ではなかったのだろうから仕方のないことである。

無気力と言われても仕方がない。
そう間違えられてしまうほど、ある種の恐怖感から逃げていくのが、己のことなのに他人事のように分かるのだ。
綺麗な花火は、無事に打ち上がることを願うものだ。火薬がシケっていないか心配するなんてのは、準備を怠っただけのことであり、その場の成功を祈る花火師たちと同じような顔をして並んでいる事自体が馬鹿馬鹿しい。

惨めさだ。
このようにわたしは、たまに自分を惨めさに晒したくなる。答えのない答えを求めそれを楽しんでいるのに、いずれこのような後ろ向きになる日がやってくる。
冬の終わりを待つことにする。
少し楽しく本を読み、こんなふうに文字を書いて待つ。
痛くはない。シクシクするが、痛くはない。

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