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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#スキしてみて

バス停

「待っててね」ってキミは 一緒に帰ろうと誘ってくれたのに あなたの望みを想像しなかったボクは ひとつ離して 椅子に座る 並んで歩く この道の 短い時間は好きなのに バイバイしか言えなかった キミの家があるバス停までは ボクのより ひとつ先なのに 夜を埋め尽くすのは星じゃないって知っていたのに それでも 夜空ばかり見てる 今日で最後の帰り道 じんわりと仲良くなんてならないと分かっていたのに きちんとボクの世界で一番を決めるべきだったのに ひとつ離して 椅子に座る

雪の国の住人

それはビニール傘の上に乗った積雪を見上げたときのように かつて、巨大な大陸が割れて形を変えたことを想像させるように 雲が動いている スノードームの硝子の上にある「埃の国」 毎日、よく晴れていて 毎朝、月と太陽が見える いがみ合っているのか 仲が良いのか それは「埃の国」の住人たちが想像すること 多分、月には誰かいて 太陽にも誰かいる その誰かになりたくて スノードームの中で空を見る

やさしく、しずか。

絵を描くのは、指がとっても冷たいの いつもわたしは、最後にわたしを描く 窓ガラスに描いたわたしは、勝手に泣いてしまうから そんなに泣かないで 大丈夫、独りぼっちにしないよ すぐに何か描いてあげる 指がとっても冷たいけど、わたしは泣かない 独りぼっちは嫌だから

窮屈な退屈。

完成と未完成のどちらが良いのかは、意見が分かれるところだ。 眠気覚ましにいれたコーヒーをこぼす朝と、眠りたくて作ったホットミルクでお腹を壊した夜のどちらが良いか選ぶくらい決めるのが難しい。 理想をイメージしてコツコツと構築するのが健全。そして、完成図も描かないで、いきなり好きな色のクレヨンを握るのはいけない事。でも完成図を描いているうちに、お絵描きに飽きると叱られるような気がする。 道端に咲く花を見るのが好きな人は、他所見をしないで真剣に走る人と一緒のマラソン大会に参加する

死生観

ここ数年で、死生観が変わった気がする。 いや変わったののではなくて、フワッとしていたのが固まったというほうが近いのかもしれない。 わたしはのんびり者で人嫌いなところがある。 これは自分なりに多少折り合いをつけて、ストレスを感じながらもそれなりに楽しもうとしている。 コロナ渦で数年経つうちに、やっぱり自分の周りの状況も変化した。それだけではなく、当然のように年齢も重ねる訳だから、またいつか会えるのが当たり前だと思っていた人たちが、二度と会えなくなる、そんなことも経験した。

花より団子

今日から天気が崩れるらしい。週末には雨とのことで、新潟の桜も今週で終わっちゃうかな。 こんなにも旬の期間が短いのに、「桜」の言葉にはかなりの強さがあるように感じる。それは「さくら」でも「サクラ」でも強い。 あんなにも淡い色の花なのにインパクトは凄いものがある。もしかすると、実際に咲いてる時間より世界中の人が「桜」をイメージする時間のほうが長いのではないか。そんなふうに言われても納得できる気がする。樹の幹と花の色とのコントラストがいいのか、日本人だからなのか。 そして、不思議

寝るために起きて、夢見るために今日を過ごす。

寝るのが好きだ。 これをすごく恥ずかしいことのように感じてしまう。それでも、ひっそりと思う。眠たいときの瞼の重さも、起きたくないと考え出すよりも前のなんにも頭の中に入っていないリラックスした、悪く言えば、ぼーっとしてるだけの時間も。それから、意識は起きているけれど全然目を開ける気のない時間と、そのとき肌に当たるスベスベした感覚に足が熱くなったら少し出して感じるヒンヤリ感も好きだ。 ぐうたらしてることを優雅と言ってほしい。 決められた素材を華麗に刻んで調理するシェフの料理を味

夏に向う春

下水の音すら涼しく聞こえる暑さが嫌になった。今年もこの調子なのかと午後の空を見る。 湿気はない。 近くの無人駅を出た列車が通り過ぎる。 風は気持ちいいから雀が求愛して飛び回るのを見ても目を瞑ることができた。気持ちよくは無い、そんな眠気がべっとりと目のまわりを覆う。 ぼくは寒いほうが好きだ。あの罪深い気持ちにさせるには十分なほど暖かい毛布が好きだ。 駄目だ、今は考えたくない。 自然と目が閉じる。このまま寝たら、確実に寝汗をかくだろう。そして、気分悪く目覚めるから眠りたくない。

幸せについて

ヒタヒタに、お湯を張る。 それだけで良いとも悪いとも、この時点では決められない。 幸せだってそれと同じはずで、その時点で決まるものではないというか、決める決めないじゃなくて。 小さい幸せにだって、たとえば足湯だったり無数のドクターフィッシュが角質をつつくのを上から見下ろす時間だったりで。 水が勿体ないって言われても関係なく後頭部を伝うシャワーの温度が大好きで、それが只々、排水溝にながれるからと周りから顔をしかめられたって、偉そうな学者や占い師が地球環境を訴えたってそれをや

いつか、選べるなら。

鬼になりたい。 ひとりが好きで無言に耐えられるというか、どちらかというと話しかけられる可能性を潰しておきたいほど静寂に憧れを感じてしまう。 風のこすり合うだけの夜の音に、月がうたた寝するような空が広がっている穏やかな時間を独り占めしたい。 ふらふらと声をかけてくる人間がいれば、馬鹿正直に怒鳴るだろう。 恐らく人間が嫌いなんだ。 五月蠅い鳴き声なんだ、虫や鳥のように静かにしゃべってほしい。 それでも何となく人間への未練を残したまま、怒りと悲しみとを区別できなくてあんな顔をして

実際よりも少し先にいたようです。

時計の針は、もっと重いものだと思っていた。 その時、そのタイミングだけ進むことが許されていて、それ以外は何かを壊してしまうほどの力が必要なんだと。時計に歯車が使われていることは知っていたから、その歯車たちが軋むほどに尋常じゃないパワーとなにか壊れてはいけないようなものが壊れてしまっても構わないという覚悟のような思いとで、放っておいても一秒後に進む未来を無理矢理こじ開けなければ持ち上がらないものなのだと錯覚していたらしい。 クッカカカッ。 聞き慣れない音。軽い。 音のする方に

世界は膨張し続ける

刃は形を変えたいときに、いつも使われる。 植木を剪定し、髪型を整え、生地から品物を生み出す。そして、相手を退かせ、心を傷付ける。 風通りをよくしたり丸みを出したりと、それが互いの納得の行くところに落ち着き喜びとして昇華されれば、まわりも大方良しとする。 問題は、そうならないときにある。 使い方、まずはこれを気を付けるのは当然だ。これは昔からそうなのだから、「刃」はそれ程に危ない物だということを気にしながら生活する必要がある。 それと同時に、向き合い方を忘れてしまっているように

太陽が笑ってるんじゃないんだ

影、光、影……光。 影なんていうとなんか陰気くさいけど、ただの木陰のことだ。 こんなに天気の良い朝は、日陰と日向のコントラストが美しい。寝起きの伸びをしている公園脇の緑たちが深呼吸をしている。心なしかシャンプーしたあとの少女の髪の毛のように、キラキラ光る。彼女たちのカラフルで無邪気なパワーの恩恵を受けて、一日が動く。こんな日は、ぼくの車もガソリンだけじゃ動かないだろう。 風が、美しい街路樹たちの髪とスカートと身体を通り抜けている。もとより鈍感なぼくには、彼女たちのフェロモンが

期待

なぜ音楽は、こんなにもズルいのだろう。 不意に大好きな曲のイントロが聞こえただけで、いやイントロの最初の一音だけで、うれしい。その音がどんなふうに空気の上で弾んだかは好きな曲なればこそ分かってしまうから。 そして、少なくとも気持ちの半分くらい、意識の半分くらいは、寄り添うことに躊躇うことなく身体をあずけてしまう。そう、あなたとわたしは、知った仲なの。 この「半分くらい」というのもズルい。 もしも、聞いた瞬間にすべてをもっていってしまうような乱暴者だとしたら、もっと好き嫌いが