読書|「あなたの日本語だいじょうぶ?」は言葉の魔法使いがおくる、世紀のエンターテイメントショー。
こんにちは。ネコぐらしです。
すごく些細な話なんですが、「こんにちは」というのは比較的年齢の高い人が使う書き言葉だそうで、現代の若者はもっぱら「こんにちわ」と口語ベースで書くそうです。
相手の素性が分からないMMO(オンラインゲーム)のユーザー間では、「は」か「わ」を即席の世代判別チェッカーとして活用しているとか何とか。
「匿名と自由」がウリのMMOで、相手を詮索しようとするのも野暮ったい話ではありますが、なるほど~面白いアプローチだなぁ、と人知れず関心していました。
さて、本日はそんな「言葉」にまつわる書籍を読了しましたので、感想を書いていきたいと思います。
「あなたの日本語だいじょうぶ?」
はじめ、この本のタイトルをパッと見た時に、どんなことを感じたでしょう?
そう、タイトルから、どこかチクチクっとした印象を受けるのです。
(あれ、わたしの日本語ってちゃんとしてるのかな…)みたいに不安や焦燥感が沸き立った方もいるかもしれない。私自身も、なにやら批判的なニュアンスが伝わるな、と身構えました。
しかし、いざ開いてみれば、とんでもない。
これは老獪な言語学者であられる金田一秀穂先生が現代の若者達と肩を組みながら、これから現れるであろう新日本語界のニューエイジたちに想いを馳せる、そんな夢と希望が詰まった本なのです。
ですから、このレビューを書くにあたっては、まず誤解を解くことから始める必要があると感じたのです。
思えば、前回もこんな書き出し方だった気がします…。
夢のある話をしたい、しかし挑戦的なタイトルでなければ手にとって貰えない、という一種のジレンマが、界隈においての共通課題なのかもしれませんね。
※前回のレビュー⇓ こちらも「みなさんの誤解を解きたい」から始まっている。
さて、この本を紹介するにあたって、外せない部分があります。
それが目次です。
じゃん。
どうでしょうか?
すでにワクワクしてはこないでしょうか?
私は、この項目だけですっかりこの本に惚れてしまいました。
一目惚れまではいきませんが、二目惚れくらいのスピード感はあった気がします。
いえ、たしかに本のタイトルでまず釣られたところは正直ありますので、厳密には一目惚れなのかもしれません。
ですが、この時点の好意レベルでいうと「ちょっくし、ちょっかいかけてくるか~」みたいな、好意に鈍感なままからかっちゃう男子小学生的な心境にすぎないのです。
しかし、いざページを捲ってみると、好意レベルが一気に100になりました。キュンです。いわゆるギャップ萌えというやつなのでしょう。とにかく心がガシっと掴まれてしまった。
著名な言語学者さんがこんな俗世の言葉をトピックとして上げているのです。果たして、どんな意見が飛び出すのか。
この瞬間、私はこの本の一挙一動が待ちきれなくなってしまったのです。
では改めて、気になったトピックを章毎に追っていきましょう。
第一章:失われた気配
コロナ禍においての人々の生活様式が変化している時代。
それに伴い言葉の様式も変化しつつある。
そういった見解を取り扱った章です。
リモートと対面、2つの接頭語が当たり前に使われる今、それまで何ら不都合なくあった言葉がいつのまにか細分化されている、と本項では語っています。
人の言語処理能力がいかに優れているかを考えさせる一節です。
私達はリモートや対面の概念を学校で事細かに習ったわけもない。急に世間にパッと現れた概念なのに、それこそ元々脳の奥深くに根付いていたかのように、自然と使いこなせている。
「言葉の変化は、本人にとっても到底無自覚な領域で起こっていること」を感じさせる話です。
しかもこの変化は、それまでの頭の中にあった辞書すらも一瞬で再構成して「ああ、この言葉には補助(接頭語)が必要になったね」と既存の在り方をリアルタイムに変えてしまうのです。しかも途方もない数の言葉が、その都度ふるいにかけられ、それでいて整合性が保っている。言語野シナプスのネットワークがいかに神がかっているかを再認識する話です。
さらに、日本語には常に「気配」があるのだと、金田一先生は言います。
例えば、万葉集。7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存する日本最古の歌集。やっと脱漢字が進み、日本語として確立されはじめた頃です。いうなれば最古の「日本語」の書籍といってもいいかもしれません。
この頃の日本語は、不完全でありながら、そこに表された情緒はすさまじく、今も昔も、人を惹きつけてやまない何かがある。言葉として独立していく過程で日本語は「気配」を取り込み続けてきたのです。
そこから現代まで時が進むにつれ、言語は高度に発達していきましたが、どうにも「気配」だけは今だその実体を言語化できずにいる。
しかし、言葉や文字の節々に、まぎれている。忍んでいる。生きている。
現代の生成AIにおいて、たとえば言葉に対して不気味の谷現象のように感じてしまうのは、具体化できない複雑な「気配」が欠如しているからではないか、私も考えさせられました。
といっても、今やチューリングテストを続々突破しているAIが在る、という話も聞きますし、「気配」の模倣すら示唆されているのもコワいところではあります。なんなら近い将来、気配を意図的に消せる「AI忍者くん」があらわれるかもしれません。人かAIか分からない、そんな存在。
第二章:これからの日本語
こちらの項では流行りのChatGptの話題に触れています。
どこまでAIが言語学の領域に浸透するか、経験を交えながら語っている。
上記に引用したのは、章節内でも、ただただ面白い!と思った表現です。
というかあるあるネタです。まえがきこそ、おカタい物言いで始まったものの、金田一先生のとてもお茶目な人柄が垣間見れます。
この本には特徴的な一面があります。
それは読み進めれば進めるほどに、文体自体がどうにも現代へと馴染んでいくようなのです。
こちらの本は小学館『サライ』連載に編集/まえがきを加えてしたためたものです。おそらく、連載をこなしていく中で、金田一先生の言葉自体も変化していったような印象を受けるのです。
執筆時点で70歳の金田一先生と比べれば、わたしはよっぽど現代っ子側の人間です。しかし、不思議なことに、段々金田一先生がこちらに寄り添ってくれる。本を読み終わる頃には、まるで年齢の差を感じさせない。そこにあったはずの世代間のギャップが消えてしまった。年齢の遠く離れた親友のような親しみやすさがそこには残っているのです。
正直、この本はとても笑えます。揶揄して、とか、くだらないなぁ、とか、そういう感じじゃありません。
たとえば、すべらない話のように、もしくは友達の奇想天外な失敗談を聞いているように、とにかくそのユーモアに笑わせられるのです。と、思えば、そこからシリアスな話に転じたり、この後どんな言葉が世に現れるのか期待が高まる一節につながったり。
ハッとさせられました。言葉のプロとは、こういうことをいうのか。
まさに、金田一先生の言葉に、親近感や共鳴とか等身大とか、そういった「気配」が、意図的に込められているからではないかと。
「言葉のプロ」とは、ある意味で「気配のプロ」なのかもしれません。
第三章:リモート時代の日本語力
メール文化を越え、SNS文化が到来し、人は文字を書くのではなく、文字を打つ、あるいは文字を”フリック”するようになった時代。
今必要な日本語力の変化について語っています。
章内で、若者に合わせようと頑張って打ったメッセージが「おじさん構文」だと笑われちゃった、というエピソードが語られています。
もちろん、円滑なコミュニケーションをはかろうとする意思は素晴らしいものだけども、そうすると、自分の言葉ではなくなる。
金田一先生は、こういったジェネレーションギャップがあることを前提とした上で、この世の中が面白い、楽しみでしょうがないと評しています。そして、若者には自分たちの言葉を語れるようのびのびと成長してほしい、という願いも込められている一節です。
また仕事柄学生のレポートを読む機会が増えるそうで、その話も話題にあげていました。しかし、どの学生のレポートも似たりよったり。PREP法につぐPREP法につぐPREP法。さらに最近ではAI生成も入ってきたようで、その類似性はさらに顕著になったそうです。
当たり前ですが、先生は言語学の第一人者です。
その先生から評価をもらおうと、既存の手法で挑んだところで、さて勝ち目があるのでしょうか。いえ、勝ち負けではないでしょうが、少なくともそういったレポートの中から光るものを探し出すのは容易ではないかもしれません。面接で機械みたいに同じことしか話さない志望者たちからダイヤの原石を探せと言われたら、私にはとてもできそうにない。それこそAIでよくなってしまう。
しかし、先生はありがたいコトに、そんな悩める若者たちにひとつヒントを出してくれています。
なんと専門分野外からの奇襲を許可したのです。バーリトゥードです。無差別級フリーマッチです。
ここのメッセージはとにかく深みがありました。
「自分の言葉」が、なにも「日本語」どころか「言葉」でないこともある。
先生にとっては言語学が「自分」であったけれど、今だ「自分」を探して彷徨う若者に、無限の可能性を提示してくれているのです。
きっと先生は、巌流島で待つ佐々木小次郎のように、次世代の宮本武蔵が現れることを期待しているのでしょう。そういったおもしろさを待ち望んで、今も言葉というさざ波の中、先生は佇んでいる。
第四章:不思議な巷の日本語
新しい言葉について、金田一先生なりの解説を加えていく章。
冒頭で紹介した、目次は覚えておいででしょうか?
実はなんですが、この本。
この第四章だけで全体の4/5ページを占めています。ここからが本番です。
そしてレビュー記事として在るまじき暴挙なんですが、先に謝っておきます。
ここからはあなた自身のその目でぜひ読んでいただきたい!!
見識深いワードチョイスと、高齢者世代特有の寂寥感だったり儚さの演出、若者のエネルギッシュなふるまいにアテられて情動に突き動かされたり、と思えば若者の浅慮に痛烈なツッコミが入ったり、おかしいものはおかしいという、だけど、それを面白いと表現する感性。
この章で公演されているのは、言葉のプロによる魔法のようなエンターテイメントショー。
特にブログやnoteという場で自己表現をする方にとって、ここにはノウハウ以上に秘められた価値があると、私は感じてしまいます。
多分、小分けにされた項目ひとつひとつをnote記事として投稿したら、個別に200スキくらいは付きそうなポテンシャルを感じてしまいます。
金田一先生、noteやって頂けないかな…。
終わりに。
繰り返すようですが、この本の本体は第四章です。
しかし、私の口から語るよりも、実際に魔法を目の当たりにしたほうがきっと良い。
ハリーポッターが初めて「魔法」だと認識したのは、ハグリッドがケーキを盗み食いするダドリーのお尻に尻尾を生やした「魔法」でした。私が「言葉の魔法」だ、とここで綴るのは簡単な事です。しかし、実感するには、実際の「魔法」に接してみるのが、もっとも衝撃的で、「わかりやすい」
元々図書館が大好きな金田一先生ですので、おそらく最寄りの図書館に十中八九置いてある、本書籍であります。
気になりましたら、ぜひとも、お手にとってみてはいかがでしょうか🐈
最後に、金田一先生の人柄よくわかる動画を引用させて、締めとさせて頂きます。
見てて思ったんですが、生まれる時代が違っていれば、金田一先生がトップnoterだった世界線もありそうですね🐈
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