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『NOTE ホンキで始めます』の為に必要なコト。

まず最初に言いたいことがある。

「私は”書き方”を間違えていた!!!!!!」


一度自分の立ち位置を振り返ることにした。

いや立ち位置といっても自分は大層な人間ではない。
漠然と過ごす日々に非日常的なエッセンスを取り入れたくて、”書く”という極めて一般的な結論にたどり着いた、そんな有象無象の一人でしかない。

学生時代、勉強は嫌いだったし、書くこともそれなりに苦手だった。
私にとって書くことは、定期的に出題されるテストで点数を取ることであって、コミュニケーションの手段ではなかったからだ。

そして気づけばすっかりコミュ障になってしまった。長年サボってきたツケが溜まってきたのかもしれないが、それも後の祭り。人に伝える能力が大きく欠如したまま社会の解き放たれてしまった。

社会の厳しさを痛感すること、人はそれを「社会の荒波に揉まれる」と表現する。しかし私にとっては少し違う。

たしかに、荒波は巻き起こっている。
だがどちらかといえば、未知の海域に挑戦する私自身の心構えにも、大きな問題があったのだ。

社会という海域への航海を踏み出す時に

「どんな装備」(Equipment)
「どんな船」
に乗り込み(Ship)
「どんな方法で漕ぎ出し」(Method)
「どこに向かうつもりなのか」(Destination)

これらの吟味をまったくもってサボってしまっていたのだ。

勉強とは、これらの選択肢を明確にし、安全かつ危険な航海に望むための準備そのものなのだと、感じたのです。

これまでの私の人生は、

装備選びをサボり
良く知らない人に指し示されたドロ船に乗り込み
言われれるがままにボロボロのオールでボードを漕ぎ
かつ目的地を知らされない状態で
行くあてのない船旅を続けてきたのだ。

それでいて「社会の荒波に~」などと抜かしているわけだ。



正直なところ、自分で自分が情けない。。。

だからこそ、”書く”にも入念な準備が必要なものだと感じた。

まずどこから取り組もうか。

実は、答えはもう決まっている。

私には、明確な目的地(Destination)、が必要だ。

では目的地を決めるために、どんな学びが必要だろうか。

↓↓↓私なりにまとめてみることにした↓↓↓

必要なことその①『サイトマップ』


こちらの伊藤 翼 様は、「全人類サイトマップを書け」とアツいパッションを発信されている方です。

まず「我思うゆえに我あり」と哲学を繰り広げる前に、わたしに必要なのは自己紹介でした。

どうなりたいか。どうありたいか。

それはサイトマップが教えてくれる!
言わば自分のこれまでの経験や人生が包括されている”名刺”のようなものです。”名刺”を持たずに界隈を生きていくことは、それこそ引く手数多な才能を持たない限り厳しい。
だからこそ、凡人はまず”名刺”を作るところからなのでしょう!

このnoteが書き終わったら、しばらくは紙のノートに書きなぐる作業に没頭するつもりです。

必要なことその②『誰に読んでほしいのか』


おそらく、今の私が最も影響を受けている山門文治様。
知識、情熱、行動力、彼の文字から伝わる熱量は、モニター越しでも汗を書いてしまうほど。

「おっしゃ!やったろう!」「わたしももっと貪欲にいかなきゃ!」

そんな気持ちを奮い立たせてくれます。漠然としたものが、彼の文章の力によって輪郭を帯び始めてくる。自身の心の内側にあった「なんとなく」がどんどんと「決意」に変わっていく。

彼が新書をこの世に出版したら、まっさきに手に取ります。私は、既に彼の放つ『魔法のコトバ』の虜なのです。

彼からの学びは「自分の大義や野望がどこにあるのか」を明確にすることでした。

自分が「誰に読んでほしいと思ってこの文章を書いているのか」
そんな根源的な動機に立ち返るキッカケを与えてくださいました。

誰に向けた文章なのか、時間をかけて明確にしていきたいもの。
現状自己分析する限りは「自分が好きそうなテーマを自分に届ける」だけの文章になっている。うーん、孤独。
noteに書く以上は、この思考を昇華させる必要がありそうです。

そもそもnoteを書いている以上、わたしにも潜在的に「人に伝えたいテーマ」があるはず。でなければ公共の電波に乗っているnoteなんてサービスを始めていない。私はまだまだ自分の心を赤裸々にできていないのです。


必要なことその③『キャラクター性』


不思議と読んでしまう魅力を秘めたクロサキナオ様のnote。

冒頭で「さむくないかい?」のようにまるでこちらに語りかけてくるその様は、ユーザーフレンドリーの権化そのもの。もはやnoteの中に『クロサキナオ』という人物が生きているかのように錯覚をさせるのです。

そう、まさに生きている。生きた文章なのです。

電子世界の中で生きる為には、「キャラクター性」は欠かせない要素です。
「語り口に生き様が現れる」ように、このnoteの世界には文字しか存在しない。であれば、自在に文字の中を泳ぎ回るような、水生生物ならぬ文字生生物を目指さなければならない。

おそらく、彼女の生き様は私が目指す理想に、とても近しいnoter様でも在る気がするのです。

Vtuberは、仮想のアバターに身をやつして、リアルを模倣する。

ASMRerは、声に言霊を宿して、すべてのユーザーの聴覚に己を主張する。

であれば

noterは、どんな生き物なのだろうか。

そう答えは明白だ。

文字に魂を込めて、すべてのユーザーの視覚を通し、脳みそに自分というキャラクターを刻み込む。

わたしは、「読者の脳に住みたい」のだ。

この文字の世界に生き、ここで生涯を終えてもいい、という気概で取り組む。

その為には、私はどんなキャラクターになりたいのだろうか。これを本気で考えてみることにした。

【※引用noteの掲載、もしご迷惑でしたら消しますので、お手数ですがコメント頂けると幸いです。。。!】




うん、自分の中にこれほどの情熱があったのかと、書いてる途中で気がついた。

わたしは計算で物事を進められるほどの頭はもっていない。どっちかっていえば全ては突発的な行動から始まるタイプだ。ADHDの判定をもらったことはないが、幼少期の多動性と衝動性はすさまじいものだった。なんにでも興味を持つのに、飽きるのは恐ろしく早い。次から次へと習得していっては忘却していく。
しかし、どんな興味関心ごとにも、まずは”文字”が私の前に立ちはだかっていた。

そうか。文字だ。

すべての共通点は文字なら『わたしが文字になればいい』

・・・・何言ってるんだわたし。

いや、でも方向性は間違っていない。

文字とともに生きる、ということを何か別の形で実現できればいい。

その為にも、生涯勉強をし続けて

「どんな装備(Equipment)」で
「どんな船(Ship)」に乗り込み
「どんな方法で漕ぎ出し(Method)」
「どこに向かうつもりなのか(Destination)」

この選択肢を無数に広げていきたい。


幼い頃は勉強が嫌いで仕方なかった。
でも今は、勉強が楽しい。大人になってはじめて勉強が楽しいと思えている。これは結構なチャンスなのではないだろうか。

純粋にこう思える人が世の中にどれだけいれるだろうか。

わたしにしか歩めない人生があるとするならば、分水嶺は今まさにこの瞬間だろう。

これからは、偉大なる先人noter様にも負けないくらいの情熱を秘めて、いずれ肩を並べられるようなキャラクターを確立する! と決意を新たにするネコぐらしでした。

そして、私がどんな記事やnoter様が好きなのか、マガジンにまとめるということも始めてみました。

題して『マグニフィセントなnoter様』

小説/映画『悪の教典』の登場人物である蓮実教諭が放つ特徴的な言葉です。
ちょっと参考にするには恐ろしい人物ですが、「感動した!」って事実は、それくらいおおげさな言葉で伝えたいのです。

授業では、正解なら「Good!」、さらに良ければ「Great!」、秀逸な答えならば「Excellent!」、心底感動するほど素晴らしい場合は「Magnificent!」と生徒を評価している

『wiki:悪の教典』より

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