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そのひょうきんな顔立ちに、わたしあるいはあなたの行く末に|文章チートデイ!

文章チートデイとは?

とにかく思いのままに書くことです!!!!!!



天才を自負するあなたのひょうきんな顔立ちに、見覚えがある。

見覚えといっても、それは記憶の彼方に出会ったことがあるだとか、以前映像として見た記憶があるなどという海馬に刻まれた厳密なイメージではなく、世間にはびこった膨大なパターンから導き出された一種の予測のようなものだ。

そのひょうきんな顔はぬくもりに満ちているようで、その実頭をフルに回転させ脳内に格納されている辞書から類似の問題を即座に引き出し、その参考文に従って行動を起こした引用の結果にすぎない。
してそれは経験則をはるかに勝る真理の上で構築された精巧な辞書であり、おそらく寸分たがわずに模範解答に似た事例を持ち出せたことだろう。
まともな試験官であればのべつ幕なしに及第点の押印をおして心の奥の間へと案内させた気になるだろうが、気難しい私やあなたは、それがまったくの詭弁であることにきっと気づいてしまうのだろう。

いや、もしかしたら斜に構えているのは私のほうだけで、貴方はみすみすと辞書に当てはまらない特注パターンを引いてる事実にすら気づけないのかもしれない。だとすればそれはどんな悲劇よりも物悲しいことだ。しかし、その裏にわずかに秘められた拒絶の色と暗闇に包まれた道路で退屈している目がランランと輝いている姿もまた、そういった失念が私の推定にすぎないことを証明してくれているようで、安堵する。

どこまで気づいているかそうでないかはさして重要ではない。私がその事実を認識し、情動の檻に囚われず自由に開放できている構造的な認識が私に最上の安堵を与えるのだ。だから、どうにかその至上の幸福をあなたに伝えたいと躍起になるが、どうやら即席の言葉や行動では到底指し示せないと思い至り、こうして一人で情事に耽るがごとく文字にしたためるしかない無力さにまた打ちひしがれる思いを募らせている。

面白くなきことを面白く、とは私の辞書に刻まれた座右の銘の一つではある。

些細で感知しようがない世間とのズレが私を私たらしめるからこそ、ほころび、位相のすれ違い、情動の錯綜といったものに過敏に反応する。統計的なテンプレートに当てはめながら、私以外の他者が成功と正解をつかみ取っていく痛快なさまを見るたび、心に湧きたつ感動と暗く沈みゆく落胆が両立する。この感動と落胆は私の思い描く理想がまったくもって間違っていなかったことを客観視するのと同時に、私ごときの浅はかな思考や感情がズレを事象として捉えて、反応できてしまっている獣のごとき衝動性をそのまま肯定するようで、どうにも嫌になるのだ。


私はどこまでも自分を過小評価する。
凡人のイメージできることが天才たちに想像できないはずもない。絶対的な差が眼前に現れるたびに絶望と恐怖に陥り、同様に世界が広がったような感覚にとらわれる。知能指数の理論値の下で踊り狂い、世界の広がりのように感じたそれらがまったくの錯覚であると気づいていながら、自身を肯定していけるなど、どうして出来ようか。

自己肯定感とは、つまるところ自分の認知できうる構造に当てはめられる器量を、生まれながらにして携えていることを指すのではないだろうか。
聖書のように傍らに置かれた基準を、物心がつく以前から繰り返し反復して手繰っている。私が持っているのせいぜい文庫本サイズの大事な記述が削り落とされた単語帳くらいなものだが、比較して彼らの装丁は物々しく重厚で何篇にも渡って続く底なしだ。

だが、それをいつから携えているのか、彼らは気にすることはない。一心同体と等しいほどに存在を統一化した聖書の存在意義を図ろうとはしていないように思える。聖書は辞書にすぎないが、一種の神秘性が宿っている。生まれたその日から携えているから神聖やオカルトにその意義を寄せるしかなく、彼らは好奇心への敬虔な信徒でありながら、その敬虔さが自身の腰に据えられた聖書に向くことがまるでないように思えた。触れられない存在に神聖が宿るのも頷ける話だから、いずれオカルトじみた霊能性やら神霊性をその身一つで体現している彼らに多次元的な位相が重なって見えるのも、納得いくことだった。

これは、私という凡人が天才という隣の芝を見ているために起こりえる感覚だろうか。だとしたら、彼らの浮かべる微笑の意味を受け取ることができるのも、天才たちの敬虔な使徒である私だけが持ちえる「秘密」だとも思った。



こっから普通の文章!!


たまたま夜道でたばこを吸いながら、ウェブカメラを付けてくれた天才さんへ送るメッセージをつづってみました。

わたしの思った感動を伝えようとしたんだけど、どうにも普通の表現じゃあ伝える意味がない気がして、、、
いや結局このメッセージも本人に届ける気は一切ないんだけど、ちょっと変わった文章が書けそうということでまとめてみました。

おお~~~、なんか我ながら、ちょっとは深堀った表現できたんじゃない?!いいじゃんいいじゃん。

インスピレーションのままにダダダダーっと書いてはみたけど、こういう溢れ出るリビドー!みたいな書き方も気持ちがいいよね。

以前も、文章チートデイと題して、思いのままに随筆ってみたことがありました。

これも、気持ちよかった。
「読むための文章」というより、「書くための文章」。

表現方法って無限にあるけれど「目的」を定めてしまうと必然的に書ける言葉だったり、文章の選択肢は狭まっていく。

それがたまーにストレスになっちゃうんだよなぁ、ってつくづく思います。

うんうん、やっぱり人には遊びや余白が必要。
ドラゴンボールの修行みたいに自分を追い詰めていくのも楽しいけれど、それ一辺倒じゃ壊れちゃうからね。

適度に発散していこう~~~~~~!




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