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かつての私は世間でいう非リアオタクと全く同じです






はじめに

今でこそ私は学校や事業所で愛される様になり、周囲からの印象も比較的安定している。しかし、そんな私も最初から現在の様に誰からも好かれる様な性格だったという訳ではない。それに小中学時代の私が周囲からどう思われていたかを知っている人は少ないのではないだろうか?






まず二次元=現実逃避の道具ではない

二次元文化やアニメ・マンガは、一部の非リアにとっては現実逃避の手段として捉えられているが、そういう扱いを受けるのは純粋な興味関心や選択によって二次元を楽しんでいる人達には失礼であろう。

なんならアニメやマンガはファン同士のコミュニティや交流の場となることすらある。共通の趣味や興味を持つ人々が集まり、アニメを通じて新しい人間関係を築いたケースはいくつも存在する。






嫌われる事が怖い人が理解できない

嫌われることが怖い人々は、自己肯定感が低く、自分を受け入れてもらえないことを恐れている。このような人々は、他者の承認や評価に依存し、自分自身の決定権を他人に委ねてしまう。所謂依存というものか。







現代では漸く恋愛にこだわらない私に世間が追いついてきた

現代社会では結婚や恋愛に対する価値観が多様化しており、必需品から贅沢品にシフトしている。結婚や恋愛にこだわらず、自己実現や個々の興味・関心に向けて生きる人々が以前よりは増えて来ており、2020年を過ぎてとはいえまさしく世間体が漸く私に追いついてきたと言える。






かつての自分は所謂非モテオタクと全く変わらない

容姿の美醜で好感度や人生が決まると思っている人が一定数いるらしいが、私にはそれが理解できない。何故なら容姿に恵まれている私が言っても信じてもらえないかもしれないが、私は小中学時代はコミュニケーションや独特な考え方をしている事が理由で親しい先生を除いて同級生からは嫌われて無視される事が多かった。しかし、私は身内以外から嫌われて無視されていてもノーダメージ、というより当時の私はただの馴れ合いを不要なものと考えており、なんならその分自分の趣味に没頭する事が出来るという意味ではむしろ好都合であった。アニメにハマったきっかけや何を望んでいるかが違うだけで周囲からの好感度においては当時の私と相手にされない非モテオタクは全く同じである。最初から自分は何をしても無駄だと諦める前にまずは趣味や関心事をはじめとした出来る事から始めてみてはいかがだろうか?もしそれが仮に失敗したとしても何らかの形では必ず成長しているのだから。