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グッバイ、下北沢。他人と暮らした335日のこと。

あの日はたしかやけに晴れていて、引越しをすでに終えているとは思えない量の荷物を両手に坂を下ると、汗をかくほどに暑かった。

ただでさえ夜明けまで飲んでしまって寝不足な上に、薄い寝袋で仮眠をとったせいで全身が痛む。さらにそこに季節外れの暑さと荷物の重さは、かなり堪えた。

よく足を運んだ「古書ビビビ」の横でふうと一息をつき、恋人と待ち合わせ。ここで落ち合うのも最後、これからは毎日同じ家に帰ることになる。わたしのお気に入りだったタイ料理屋さんで一緒にグリーンカレーを食べ、まだ明るいうちに下北沢を後にした。

2022年10月1日土曜日、わたしは正式に一年間のシェアハウス生活に終止符を打った。

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一昨年の10月、文字通りしぶしぶ「シェアプレイス下北沢」に引っ越してきてからの一年は、月並みな表現だけれど本当にあっという間だった。

ひょんなことから下北沢で暮らすことになったが、前回のnoteでも書いたように、幼い頃から演劇に関わってきたわたしにとって、この街は特別だった。当時はあこがれの街に住むことに現実味が湧かず、うれしいよりも、何だか大きなものに立ち向かうような恐れの方が上回っていた気がする。

でも実際に暮らしてみた下北沢は、思ったよりもこぢんまりとした街だった。

一年も暮らせば方向音痴でもだいたいの道は覚えたし、さも慣れたような顔をして日々、下北沢の街を闊歩した。(といっても、隣の池ノ上駅周辺の落ち着いた雰囲気が好きで、実際にはそちらの駅ばかり使っていたのだけど)

カレー、古本屋、劇場、居酒屋、ライブハウス、古着屋。散歩がてら、これらにひょいと立ち寄れてしまうのは、やはりこの街で暮らす特権だと思う。

住んでいる間に、駅周辺にはどんどんと新しい商業施設ができて、好きだったお店はいくつか消えていった。休日や学生の長期休暇の時期になると人がごった返し、ものすごい賑わいを見せる下北沢が、何だか別の街のようにも見えた。

以前何かの小説で、下北沢は毎日違う人でできている街、というような表現を見て、妙にしっくりときたのを覚えている。実際にこの小さな街を構成する人の割合は、ここで暮らす人よりも、下北沢を目がけて訪れては散っていく人の方が多いのだろう。

おなじみの一番街の看板。最後のAまで写りきらなかった。

そんな街に来て、シェアハウスで暮らしたことで、本当にたくさんのことを経験した。

入居したてで誕生日を迎えたとき、みんなの​​サプライズに本気で気づかなかったこと
仕事を放って平日の昼間にスズナリ劇場で大人計画の舞台を観たこと
みんなでZeddの『Beautiful Now』を歌いながら洗い物や片付けをしたこと
メンバーから仕事依頼をもらい、大好きな芸人さんやアーティストの方に取材できたこと
本多劇場の支配人を「本多くん」と呼ぶ間柄のママのいるスナックに行ったこと
5年以上本棚で温め続けてきた吉本ばななさんの『もしもし下北沢』を読んだこと
悲しみで世界が真っ暗だったときにメンバーが一緒に泣いてくれたこと
真冬のシモキタの街で、着物を着せてもらって撮影会をしたこと
ご飯をつくってもらったり、病気のときに薬や食べ物を分けてもらったりしたこと
大好きな「古書ビビビ」の店主・馬場さんに取材できたこと
平日なのにみんなとお酒を飲むのが楽しくて、気づけば朝6時だったこと
そのまま早起き組と一緒に朝焼けを見たこと
そして、それを懲りずに何度も繰り返したこと

……振り返れば、本当にきりがない。ここに書いたことは、忘れたくない思い出のほんの一部だ。

実は一度、一つひとつの思い出を拾い上げてつらつらと書いてみたのだけど、結局そこには本当に言いたいことなんてあんまりない気がして、思い切って消したあと、今こうして書き直している。

世代も価値観もバッググラウンドも違うたくさんの人たちと、生活をともにする。ネガティブで気にしいなわたしには、それだけで大冒険だった。

蓋を開けてみたら、びっくりするほどいい人ばかりだったし、みんなと過ごす時間がこんなに楽しいなんて思わなかった。写真を見返すと、今でもふふっと笑っちゃうくらい、良い思い出がたくさんだ。

でも一年を通して何もかもが順調だったかというとそうではない。

気を遣いすぎる性格はやっぱりそう簡単に変わらず、仕事の忙しさと相まってなかなか顔を出せない時期もあった。人はたくさんいるはずなのに、漠然とした孤独を感じて泣いたこともある。遠慮を捨てて踏み込んでいけたら、もっともっと新しい世界が見えたのかもしれない。

ただ、今までの自分であれば絶対に選ばなかったシェアハウスに住むという選択をし、一年こうしてみんなと過ごした経験は、わたしの人生にとってこの先、とても大きな意味を持つんだろうなと思う。

2021年10月23日。高円寺から下北沢へと引っ越してきた日。
2022年9月23日。引っ越し当日は、入居したときと同じく仲良しの後輩男子に車を出してもらい、恋人にもお手伝いをお願いして3人で荷物を詰め込んだ。

一年なんて、人生で見れば点にしかならないくらい短い期間だ。でも、これだけ多様な人たちと暮らしをともにしたことで、みんなを通して自分自身の輪郭がよりくっきりと見えてきた。

得意なこと、苦手なこと、落ち着く環境や人とのちょうどいい距離感、何に幸せを感じて、何を大切にしたいのか。フリーランスになって一人でいる時間が圧倒的に増えたぶん、こうして他人を通して自分を知る機会がわたしにとってはすごく貴重だったのだと思う。

あともうひとつ大きかったのは、無条件にやさしさを与え合える関係の素晴らしさに気づかせてもらったこと。

仕事ができるとか、頭がいいとか、年齢が上だとか下だとか、そんなことはどうだってよくて、シェアハウスにおいてはみんなただの一人の人間だった。もちろん一人ひとりに素晴らしいところがあるけれど、立ち返ればみんないち住人。会社とも違う、利害関係のないフラットな関係だからこそ、ここは一人ひとりの無条件のやさしさと思いやりで回っているんだなと気づかされた。

わたし自身も日々、本当にいろいろな人に助けられた。家族でも恋人でもない他者からの無条件のやさしさに触れるうちに、わたしも素直に受け取って、もらった人に返したいと思うようになった。正直、もらってばかりでまだまだ全然返せていない気がするけれど……でもだからこそ、卒業してもみんなとの関係をなくしたくないなと思う。

この関係を「家族」と呼ぶにはまだ少し腰が引けちゃうけれど、もう「ともだち」ではない、今はそんな感じ。日々の生活のなかでいろいろな気持ちや価値観を教えてくれたみんなに、ただただありがとうの気持ちでいっぱいだ。

何度も行ったやきとりの西田屋で、初期から一緒のメンバーから一足早い送別をしてもらった。
一緒にエディターとして過ごしたPさん。いつの間にかお兄ちゃんのような存在になった。一年前、カレー屋の『茄子おやじ』でシェアハウスに誘われたときには、こんな関係になると想像していなかったな。


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(エピローグ、のようなもの)

正式な退去日の前日、9月30日には同じく卒業するPさんとわたしの最後の送別会をやってくれた。

オープニングから一緒だったおなじみのメンバーをはじめ、最近入ったばかりのメンバーも集まってくれた。何だか照れくさかったけれど、素直にうれしかった。

Pさんと同じくらいはじめからお世話になった“いお”。ちなみに、いおは酒ギャングでわたしは酒ヤクザと呼ばれていた。

みんなでピザを食べ、お酒を飲み、良い感じに酔っぱらっていたなか、サプライズのスライドショーを流してくれた。何より驚いたのは、BGMがシェアプレイス内で結成されたバンドメンバーたちによるオリジナルソングだったこと。

スライドショーのオープニングは、スタジオの様子から。こんなふうに練習してくれていたのだと思うとうれしすぎる……

ボーカルを担当しているメンバーに以前、何気なく言った「わたしとPさんが卒業するときに曲つくってよ~!」の言葉を覚えていてくれたらしい。自分でも言ったことを忘れていたくらい小さなつぶやきだったのに、拾い上げて形にしてくれたことが本当にうれしかった。

このときの曲は、その後一週間くらい頭の中を巡り続け、気がつくとしょっちゅう口ずさんでいた。

カメラマンさんをしているメンバーにカメラを渡して撮ってもらった。酔っ払ってたのにちゃんとおさまってるのはさすが。

結局この日も、あっという間に0時を回り、残っていたメンバーと朝4時にすずなり横丁近くのバーに繰り出し、朝日が昇るまでお酒を飲んでしまった。(最後の最後まで付き合ってくれたみんな、本当にありがとう……)

ぼんやりとした頭で、シェアプレイスのベランダで朝焼けを見るのは、もうこれで最後なのだと考えたらやっぱり少し寂しい気持ちになって、でも一方で、あまりに旅立ちにふさわしい景色に何だか清々しさもあった。

ここからまた、次の暮らしが始まる。
不安だけれど、何だか大丈夫な気がした。

グッバイ、みんな。グッバイ、下北沢。
お別れは悲しいけれど、忘れられない日々をありがとう。
たまに思い出しながら、わたしは新しい場所でどうにか楽しくやっています。

……そんなこと言っておいて、またすぐに遊びにいっても許してね。ピース!

photo by Pさん(Koji Yamanaka)

この文章は、株式会社リビタからの依頼により、「シェアプレイス下北沢」のコミュニティエディターの活動の一環として執筆したものです。



(おまけ)コミュニティエディターのお仕事で書いた、思い出深い記事。

シェアプレイスに住み始めた頃に書いたエッセイ。ネガティブ&気にしいのわたしが、どうして下北沢のシェアハウスで暮らすことになったのか、事の経緯を書きました。めちゃ懐かしい……。

引っ越す直前、どうせならこの街の大好きなお店に取材をしたいと思い、勇気を出してインタビューをお願いした「古書ビビビ」の店主・馬場さんの記事。本当に最高の古書店です。この先もビビビに行きたいから、結局下北沢に立ち寄っちゃうんだよなあ。

(おしまい)

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