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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈06. エイヤ・コスキ〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

首都ヘルシンキから北西へ370km。ポホヤンマー地方に位置するヴァーサは、ボスニア湾に面した学園都市。スウェーデン語を母語とするスウェーデン系フィンランド人の文化の中心地として重要な役割を担っています。

隣り合うムスタサーリでも、7割近くの住民がスウェーデン語を母語とします。南部はどこまでも続く田園地帯。この町の住民わずか50人の小さな村マルトイネンを拠点に活動するのが、ヒンメリストのエイヤ・コスキさんです。パートナーが営む有機農場で昔ながらの方法で有機のライ麦を育て、フィンランドの伝統的な装飾ヒンメリを製作しています。ライ麦の藁を糸で繋げて生み出される幾何学模様のモビールは、今では日本でも広く知られるようになりました。

今回は、ヒンメリ文化のルーツに軸足を置きながら、多様なルートでその可能性にアプローチする、クリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

Eija Koski(エイヤ・コスキ)/ ヒンメリスト

エイヤさんが生まれたのは、フィンランド東部の町クオピオ。森と湖が広がる風光明媚な港町です。幼少期の原風景は今も彼女の創造性を刺激します。苔むした秋の森。柔らかな輝きを放つ地衣類。やがて迎える冬時間に心華やぐアドヴェントは、母親に教わりながら、特別なシーズンを彩る装飾を手作りするのが楽しみでした。

高校卒業後は国内外を転々とし、24歳のときに経営学を勉強するためにヴァーサ大学へ進学。そこで現在のパートナーで有機農家のカリ・コスキさんに出会いました。大地を敬い、その営みを享受する暮らし。カリさんは祖父母がはじめた有機農場を受け継ぎ、化学肥料や農薬に頼らず、丁寧な土づくりをしながら農業を行なっています。作物を慈しむ、ひたむきな覚悟はエイヤさんの心の琴線に触れました。

「カリは私にライ麦を愛することを教えてくれました。その美しさに気づかせてくれました。カリに出会っていなければ、私がヒンメリ作家の道を志すことはなかったでしょう。カリが近くにいてくれなかったら、その道を歩き続けることは決してできなかったでしょう。」

エイヤさんには、40年以上経った今でも忘れられない光景があります。

「10歳のとき、クリスマスに家族で訪れた叔母の家では、天井から麦わら飾りが吊りさげられていました。叔母がライ麦のわらで作ったヒンメリです。大人たちがおしゃべりに夢中になっている間、私は宙を揺蕩うヒンメリをじっと見つめていました。ひとときも目を離すことができませんでした。」

ノスタルジーに掻き立てられるように。カリさんに出会ってまもなく、エイヤさんはヒンメリの教室に通い、やがてその歴史を多面的に研究する旅をはじめました。大学を卒業した後は、ヘルシンキにある中央商工会議所で会計士として働きましたが、2001年には再びヴァーサに拠点を移し、地元の大学で研究職に就きました。その間も変わらずヒンメリを作り続け、腕前はめきめきと上達。日々を忙しく過ごすなかでも、暮らしの身近にヒンメリはあり続けたのです。だからこそ、心の声は彼女に問いかけました。

“あなたが人生で本当にやりたいことは何?”

「その答えは、ヒンメリ以外には考えられませんでした。はじめてヒンメリの教室に通って以来、30年以上、ずっと私はヒンメリに恋をして作品を作り続けています。」

大学を退職したエイヤさんは屋号「EKoArt」を立ち上げ、翌年には、ヒンメリの魅力を紐解く著書『HIMMELI』(2012, Maahenki)をフィンランド語で書き上げました。これまでに4冊の本を出版し、フィンランド語・スウェーデン語・英語・日本語・スペイン語にそれぞれ翻訳されています。今年9月に刊行された新著では、母語ではないドイツ語での執筆にも挑戦しました。

ヒンメリの魅力を伝える展示会やワークショップのために国内外を飛びまわる日々。体調を崩してしまうこともありましたが、パートナーのカリさんと二人三脚で今日までヒンメリの道を歩き続けています。

エイヤさんはライ麦のわらを使って作られるヒンメリのルーツに根を張りながら、先入観を持たずに新しい枝を育てることが大切だと考えています。日本の伝統的な麻の葉模様からヒントを得て考案した《ASANOHA》もその一つです。ヒンメリの伝統的なイメージを刷新した功績が評価され、2017年にはポフヤンマー協会の文化委員会から文化賞を授かりました。

「 Himmeli on minun Ikigai ― ヒンメリが私の生きがいです。 私が本当にやりたかった仕事です。ヒンメリの道は、私に沢山の出会いを与えてくれました。」

夜眠りに落ちる瞬間までヒンメリのことを考えているというエイヤさん。好奇心と研究熱心な姿勢はヒンメリの固定概念に新たな息を吹き込み、その創造性は勢いよく世界に枝を伸ばしています。

\ エイヤさんにもっと聞きたい! /

Q. ヒンメリの可能性について教えてください
世界には目を背けたくなるような現実が存在します。争いが絶えず、今この瞬間もテレビや新聞にネガティブなニュースが報道されています。ヒンメリを通して世界に美しさを伝えることが、人生における私の使命です。毎朝ベッドから起き上がるとき、そう決意します。ヒンメリは私の生き甲斐です。

ヒンメリの美しさを形作るのは素材とデザインです。それらは私にとっては、ライ麦のわらと神聖幾何学と言い換えることもできます。麦わらは繊細で、ガラスやプラスチックなどの素材と比べると扱いづらいと感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、軽量な麦わらはヒンメリに独特の動きを生みます。また、神聖幾何学は人の目に美しさと調和をもたらします。幾何学は「ことば」です。国境を超え、誰もがその美しさを理解します。

Q. アイディアの源は?
私は「ヒンメリの目」をもっています。目に入ったものを、それらがヒンメリの幾何学模様でどのようにみえるかを反射的に確認してしまうのです。あるときはカーテン、またあるときは日本の伝統的な麻の葉模様からも着想を得ました。

ある同一の動作を繰り返すことで生まれる美しさや秩序は、麦畑から生まれる幾何学模様のヒンメリにも自然界にも存在します。それらは、美しさを語るときに理由や説明を必要としません。そうした自然の偉大な知恵を、私たちは日々の生活に生かすことができます。私にとってはヒンメリの創作活動です。

私たちが日本から学ぶこともたくさんあります。私とカリは日本が大好きです。日本語の響きに惹かれ、日本語を勉強しています。日本の人たちのフレンドリーな人柄はとても素敵ですし、日本の美学に関心があります。日本の文化には、書道や金継ぎ、生け花などがありますが、いずれも所作がゆったりとしていますよね。ヒンメリづくりにおいても、焦らずに、ゆっくりと針を運んで大丈夫です。心を落ち着けて取り組むことができるのは素晴らしいことです。

Q. どうやってヒンメリストローを作っていますか?
伝統的なヒンメリには長くて真っ直ぐなライ麦のわらが必要です。私たちの農場で育てている有機ライ麦は毎年の天候次第で麦わらが柔らかくなったり、厚くなったり。さまざまな反応を見せてくれるのがとてもユニークです。

秋に植えたライ麦の種はしばらくすると赤い芽を出します。雪の下で越冬し、春を迎え、夏に花を咲かせると収穫の合図。機械は使わずに、手で刈りとります。一束ずつ手のひらに集め、地面に近いところにハサミを入れます。刈りとったわらの束は、元々は牛舎だったのを改装した「ヒンメリ小屋」に吊るしてしばらく乾燥させます。このとき麦わらはまだ緑色ですが、太陽の光を浴びながら、4週間も経てば黄金色になります。ここでようやくヒンメリのパーツとなる、ヒンメリストローを準備する用意が整うのです。

ハサミで茎(稈)の節と節の間を切り分け、毎日が等しく同じ時を刻むようになるべく正確な長さにカットします。母親が手伝ってくれることもあります。作品を完成させることと同じくらい、その制作過程が大切です。ヒンメリをつくるとき、わたしはとても穏やかな気持ちになります。

Instagram:@usami_suomi