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Design&Art|デザインを覗く 〈12.人間と自然〉

日本でも世代を超えて長く愛されている、フィンランドのデザイン。アアルト大学でデザインを学び、現在は日本とフィンランドを繋ぐデザイン活動を行っている、lumikka(ルミッカ)のおふたりが、フィンランドデザインをつくる様々な要素を探り、その魅力を紐解きます。


「自然」という言葉には、ふたつの意味があります。

ひとつは、「人工」の対義語としての自然。これは空や海、木々や海など人間の手が加えられていない対象を示しており、日常生活でよく使われている言葉です。

もうひとつは、「状態」を指し示す言葉としての自然。こちらは自然物・人工物に関係なく、自然(体)な状態にある様々な対象に対して使われています。

わかりやすく分類すると、これらは英語の「Nature / ネイチャー」と「Natural / ナチュラル」の違い、つまり名詞と形容詞の違いでしかないのですが、日本語の場合は、時にそれらの意味が混合されて使われることがあります。


フィンランドデザインは「自然」である、と称されることがよくあります。では、この文脈における自然とはいったいどのような意味を持つのでしょう。

これまで12回にわたってお届けしてきた「デザインを覗く」シリーズでは、フィンランドデザインへの新たな視点をお届けすべく、様々な「自然」を取り上げてきました。私たちは、初めはひとつ目の意味としての自然(物)を意識しながらデザインの分析をしていました。しかし次第に、フィンランドデザインの本質的な部分には、ふたつ目の意味の自然(体)の概念が大きく関係しているのではないかと気づきはじめました。


”かんじんなことは 目に見えないんだよ”

Saint-Exupéry, The Little Prince(星の王子さま), Reynal & Hitchcock, 1943


デザインを巡るささやかな旅も、これで最終回。今回は、サン=テグジュペリによる言葉を手がかりに、フィンランドデザインに潜む「自然」について再考してみます。


ひとつ目の「自然」ともうひとつの「自然」の違いは輪郭線にあらわれます。例えば、「自然物の絵」を描くことはそう難しくありませんが、「自然な状態の絵」を描くことはなかなか難しいものです。それは、状態を示す「Natural / ナチュラル」の定義がとても曖昧なためです。

同様に、フィンランドデザインには時に曖昧さが内包されます。それは「計画的な不完全」或いは「想像の余白」とも言い換えることができるかもしれません。


Kivi / 石

こちらは、石を意味するKivi(キビ)と名づけられたイッタラのキャンドルホルダーです。ただ、石の形をしているわけでも、石の模様が描かれるわけでもなく、“石のような”静かな佇まいをしています。そのため、このプロダクトから想像される「石」の姿は十人十色で自由です。石と言われると確かに石っぽさを感じられるけれど、それがなぜなのかはよくわからない。その曖昧さの中に「自然」な美しさが潜んでいるようです。


Temppeliaukio Church / テンペリアウキオ教会

ヘルシンキの中心部にある、テンペリアウキオ教会。岩の教会とも呼ばれるこの教会は、岩を中心とする自然の素材の組み合わせにより空間がつくられています。特筆すべきは「自然の素材を使っていること」に加えて、「自然の素材が自然体で置かれていること」だと言えます。壁の岩は剥き出しの姿で、天井は木目を生かしたデザインに。計画的な不完全とはこのことで、人と自然のフラットな関係性がデザインにも表れています。


フィンランドには美しい自然(物)で溢れているという視点と、フィンランドで生まれたデザインは自然(体)であるというふたつの視点。前者は対象そのものを示しているのに対して、後者は対象の佇まいや周囲との関係性を示しています。また、前者は具体的でわかりやすいですが、後者は抽象的で曖昧です。


「美しい自然から生まれたデザイン」という言葉はわかりやすく魅力的ですが、時に表層的で、広告的にも聞こえます。より現実的な視点のひとつとして、フィンランドデザインは、人間と自然の対話=関係性の中に存在しているのではないかと思うのです。

言葉と知恵を持つ人間と、そうではない自然(物)が対等な関係を築くこと。簡単なようでとても難しいことですが、それでも、できる限り自然と対等であろうとする姿勢がフィンランドの社会や教育の根底にはあるように感じます。


いつまでもピュアな心でいられたら、人と自然はもっと美しい関係性を築けるのかもしれません。

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