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Design&Art|デザインを探して 〈05. 神秘の森のその先へ〉

日本でも世代を超えて長く愛されている、フィンランドのデザイン。アアルト大学でデザインを学び、現在は日本とフィンランドを繋ぐデザイン活動を行っている、lumikka(ルミッカ)のおふたりが、フィンランドデザインをつくる様々な要素を探り、その魅力を紐解きます。

フィンランドの森には妖精がいると、どこかで耳にしたことがある。それはムーミンのことかもしれないし、赤い帽子を被った小さなエルフのことかもしれない。その真相は、森の中。誰も知る由もなく。

“ なにかがわかるまでに、とても時間がかかることがあるものなのよね ”

ムーミンママは、本の中でこう言います。あのムーミン谷すらも、どこにあるのかだれも知らないのだから、ひとつやふたつ、フィンランドの森に秘密があってもおかしくないでしょう。

フィンランドの森に惹かれて。
神秘の森の、その先へ。


今回は「Uhrilähde Spring」と呼ばれる、天然の泉がある静かな森の中を歩きます。場所は、フィンランド第2の都市タンペレから車で1時間ほど。人の気配のない森林地帯の一角に、その泉はあるようです。

入り口の看板には、地形の歴史や泉の形成についての説明が書かれています。フィンランドは、地形の変動に加えて氷河の生成・移動による大きな環境の変化が起こったため、森の風景は日本と似ているようで、少し違っています。

別の森で見た大きな岩

氷河が運んだ大岩が突然森の中に現れたり、森の一部となり苔に覆われていたり。日本で見られるような急斜はあまりなく、穏やかなペースで歩くことができるのもフィンランドの森のいいところ。

看板を通り過ぎて沈黙の世界へ、森の奥に進んで行きます。


人間の力が及ばない深い森の奥には、自然が生み出した美しい造形や色彩があちらこちらに点在しています。凛と佇む木々と、横たわる木々。濃緑の葉と、黄色みがかった葉。天から差し込む光と、それを柔らかく反射する地面の草木。すべてが計算されて置かれているようで、だけど実際はどれもそうではない。無垢な自然を目の前にして、つくづく、人の創造力というもののちっぽけさを思い知らされます。

水を含んでしっとりとした森の空気に囲まれて、苔は生き生きと、そして確かな存在感を放ちながら森の一部として溶け合います。部屋のインテリアを彩るテキスタイルのように、苔が生み出すパターンが、フィンランドの森の中をしとやかに彩ります。

朽ちた木々は長い時間をかけて大地の一部に姿を変えて、そしてまた新たな生命の養分となります。生と死が、分け隔てられることなく共存し、絶えず循環している。その美しい混沌と秩序が、フィンランドの森をつくっているのでしょう。


歩みを進めると、足元に穏やかな水の流れが広がります。この風景を、人為的に「川」と形容することをためらうほどに陸と水の境界はあいまいで、互いに溶け合い、繊細な調和を保ちつづけています。

さらに奥を目指して、歩みを進めます。



サーーーという微かなそよ風。
ひらひら舞い散る木の葉。
沈黙の時間。

そよ風にゆられて葉が雨のように降り注ぐ風景は、異なる時間軸を持ったどこかの別世界みたいで、東山魁夷の絵画の世界に飛び込んだかのような心地がしました。刹那的な美しさと儚さが共存した、うたかたの時間です。

まるで大海に浮かぶ小舟の群のように、色とりどりの葉は秩序を伴って水の上に浮かんでいます。


水面下に見える縞模様はすべて泉の噴出口。雨水が長い時間をかけて地下を進み、より純度の高い状態で地上の世界にかえってくるのです。「地球が呼吸をしている」という言葉は決して比喩ではなく、泉は不規則なリズムで水を噴き出たり砂を吸い込んだり、生命のような動きを絶えず繰り返していました。


かつては、この神聖な泉にお金や食べ物を献上したり、病気が治るようにとお祈りをしていたようです。日本のアニミズムの精神とも似ているのかもしれません。

そしてその精神こそが、「フィンランドの森には妖精がいる」という言葉のはじまりなのだと思います。人智を超えた存在を、否定することなく(時にユーモアを含んだ)想像を交えながら受け入れること。その脱支配的な姿勢が、フィンランドの民族性や現代文化の根底にはあるはずです。

水面に描かれる小さな波紋の連なりも、実は森の妖精の足跡なのかもしれないな...。なんて想像をしながら、静かな雨にただ身を鎮めるのでした。

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