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Design&Art|デザインを覗く 〈06.日常から風景へ〉

日本でも世代を超えて長く愛されている、フィンランドのデザイン。アアルト大学でデザインを学び、現在は日本とフィンランドを繋ぐデザイン活動を行っている、lumikka(ルミッカ)のおふたりが、フィンランドデザインをつくる様々な要素を探り、その魅力を紐解きます。


“If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?”

「誰もいない森で木が倒れたら、音はするのか?」

この一文は、とある哲学者による問いかけです。曰く、答えはノーであると。もちろん解釈は人それぞれですが、この問いは「存在することとは、知覚されることである」というひとつの哲学的な思想を意味しています。(気になる方は“George Berkeley”で調べてみてください。)

では、「フィンランド」という言葉からはどのような風景が思い起こされるでしょうか。たとえば湖や森などの大自然、大聖堂やサウナなど、行ったことがある場所・ない場所を問わず、様々な風景が脳裏に浮かんでくることかと思います。「風景」とは、世界のどこかにただひとつあるものではなく、本質的には、私たちそれぞれの心の中に無数に存在しているものなのです。

その一方、メディアを通じて目にするフィンランドの風景には、ある種の偏りがあるのも事実です。大聖堂やサウナのようなお馴染みの風景は様々なメディアで散見されますが、人々の目に触れることがあまりない日常的な風景も実際にはたくさんあります。前者がいわゆる名画だとするならば、後者は名もなきスケッチだと言えるでしょう。

しかし、名画だけがいつも素晴らしいわけでは決してなく、手書きのラフスケッチが物事の本質を捉えていることもあるはずです。今回は、私たちの「ラフスケッチ」とも言える等身大の写真を通じて、フィンランドの日常的な風景と、そこに潜む生活と文化の輪郭を覗いてみます。


ヘルシンキ市内の名もなき風景です。窓の形や看板の文字から、ここがヨーロッパであることはなんとなく感じられますが、具体的にどこなのか、或いは何を意図した写真なのかは不確かです。しかし、平和な昼下がりであることは確かにわかる。ただそれだけで、充分価値のあることだと言えるのではないでしょうか。


何もない、誰もいない風景。日本よりやや小さいくらいの土地に550万人ほどの人々が住むフィンランドでは、「人間と自然が共存」というより寧ろ「自然が主役で当然」と言える風景が広がっています。そこに置かれた人工物も、ある意味「自然」な状態で風景に溶け込んでいるように見えますね。


春の訪れ、しばし冬とさようなら。青い空と白い雲、野の草花、そしてほのかな土の香りは、いま確かに生きているということを実感させてくれます。冬から春への移り変わりがいつもエモーショナルであるのは、カラフルな光と香りによるものでしょうか。日本の場合は、ちょうどこの季節の変わり目が出会いと別れの時期とも重なるため、その風景はよりいっそう印象的に映ります。


海を見る人、本を読む人、犬と共に歩く人。フィンランドで生活していて驚いたのは、まるで家のリビングかのように外でも人々が自由にくつろいでいたことです。街全体が大きな家のようで、外の自然が住民の共有空間として機能しているようでした。自然とのコミュニケーションは人と自然の距離を縮めるだけでなく、同じ空間を共有する人と人との繋がりをも生み出してくれます。


静かな夜に、ささやかな光。街に自然があるということは、夜が夜らしく暗いということを意味します。散歩をしていると、ささやかな光に目が留まることがよくありました。暗いからこそ気がつく光が、風景が、確かにそこにはありました。


今では、誰もが目の前の風景を写真として記録・共有することができますが、かつてその役割を果たしていたのは絵画でした。洞窟壁画から始まり、宗教画、肖像画などへと表現の幅は広がってゆき、「絵」を通じて人々は空想の旅を楽しんでいたのです。しかし、それらの中に描かれる風景の多くは宗教的、或いは政治的理由で過度に美化されており、ありのままの風景が絵画として認められるようになったのは近代になってからのことです。ロマン主義から写実主義へ、つまり誇張された風景からありのままの日常風景へと移りゆく流れが美術の世界にはありました。

それは、写真が普及した現代にも通じることかもしれません。いかようにも編集ができるデジタル写真と、世界中の華やかな風景が広がるソーシャルメディア。それらの風景は、私たちに瞬間的な心の揺らめきを与えてくれる一方で、どこかフィクションのような虚無を含んでいるようにも感じます。そうではない、もっと手触りのある風景とは、名前もつけられないような些細な一瞬にあるのではないでしょうか。そしてその手触りが、心の中に「風景」をかたちづくるのではないでしょうか。

変わりない毎日が、変わりなく続いていくこと。それはきっと何よりも素晴らしいことで、そのようなありふれた日常の積み重ねこそが私たちの心を豊かにしてくれているはずです。



instagram:@lumikka_official