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「明日は買い物です」 ”Tomorrow is shopping"の闇

「明日は買い物です」
"Tomorrow is shopping." 

「この水は飲めません」
"This water cannot drink."

こんな変な英語に遭遇すること、ありませんか?

本来なら
"I'm going shopping tomorrow." とか 
”You cannot drink this water." ですね

このような間違いは日本語を単純に英語に置き換えてしまう時に起こりがちなのですが、ある共通点があります。

それは「主語が適切でない」ということですね。

多くの日本人が主語と聞くと「~は」の部分だと思ってしまうので、思いついた日本語をそのまま英語に当てはめておかしな文になってしまうわけです。

冷静に考えれば、明日という「時」が買い物という「行為」とイコールの関係にはならないですし、生き物でない「水」が「飲む」という行為をすることはあり得ません。

しかしこのような間違いが良く起こってしまうのは、我々が無意識に使っている「~は」という言葉が実は機能がひとつではないという点にあると思います。

私たちが自覚していない「~は」の機能

例えば「私はピアノを弾きます」の「は」は行為を誰が行うかを特定する働きを持っています。これを「私がピアノを弾きます」にすると、「ピアノを弾くのは他の誰でもない、私だ」と強調した感じになりますね。でも、この「は」と「が」は行為を行う人を特定するという機能は同じです。

ところが、「私は会社員です」という表現になるとその「は」にはある種be動詞に似た、イコールの意味を感じませんか?
つまり、「1+1=2」と同じように「私=会社員」みたいな感じです。

学校で be動詞の意味は「~である」という意味だと習った記憶がある人も多いでしょう。

つまり、「私は会社員です」の中の「です」がbe動詞にあたるわけですが、日本人には「です」が動詞だというのはどうにもピンときません。

しかも「私は会社員」のように「です」が無くても我々の生活の中ではごく普通に通じてしまうので、「私=会社員」が成立してしまい、「~は」がいっそう強くbe動詞と連結されてしまうんだと思います。

たぶん、日本中の英語学習者がやたらbe動詞を使ってしまうのはここに原因があるのではないかと。

実際には「明日は買い物です」も全然違和感ありません。
「ああ、この人明日買い物行くんだ」と普通に思います。
同様に「この水は飲めません」と張り紙に書いてあったら「この水は誰にとっても飲むのにふさわしくない」のだということがすぐにわかります。

むしろ「あなたはこの水を飲めません」とわざわざ「あなた」と書かれてしまうと、「え?私だけ?」みたいな違和感を感じたり、外国人が話す日本語みたいな感じがしますよね。

こうして普段自分たちが話をしている時のことを振り返ってみると、私たち日本人は「私」と「あなた」があまり意識に置かれていないのか、わざわざはっきり言わないことが多いようです。

例えば、日本語なら愛の告白は「好きです」という一言で十分伝わると思いますが、「私はあなたが好きです」になるとちょっとストレートっていうか、ややグイグイきている感じがしませんか?

理由がわからないんですが、このように主語を明示することによってある種の圧迫感、わざわざ感、グイグイ感みたいなものを日本人は避けたいのかもしれません。

よく考えてみれば「私が私が」って言う人って嫌われる傾向ありますしね。

さて、では次回はこのような伝達のミスを私たち日本人が防ぐにはどうしたらいいかを考察していきます。





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