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コミュニケーションの様々な分断とその理由について①

復習ユニバーサルコミュニケーションスキルとは


前回の記事で、「ユニバーサルコミュニケーションスキルとは、言語、国籍、文化、年齢、性別、身体の状況、さらには人間かAIかなどの様々な違いを乗り越えて、人と人、あるいは人とAIがより良くコミュニケーションをすることができるようなスキルだ」という大雑把な定義をしてみました。

工業製品などに導入されているユニバーサルデザインは、人が何に困っていて、どのようにしたらそれを使いやすくなるかをユーザーに直接聞いたりして試行錯誤しながら徐々に完成させたものだと思うのですが、おそらく私の提唱するユニバーサルコミュニケーションスキルもそのようなものになると思います。

工業デザインにおいては、これまで健常者中心の世界観で作られていたものが見直され、ファッションや社会制度もジェンダーの有り方が多様化したことに伴って見直され始めています。このような変化は結果的に個々の人間がより他者のことを思いやり、そしてより受容的になることを意味しています。

コミュニケーションにおいては、様々な違いやギャップを乗り越えて互いが理解できることがゴールになるわけですが、その際には「発信者」側と「受信者」側のそれぞれにスキルを構築していくことが必要になると思います。

どんなスキルが必要なのか

まず発信者側に必要なスキルから話をすると、端的に言えば「誰にとってもわかりやすい」表現を用いることです。例えば英語教師としての仕事ではできるだけ基礎的な英語を使って相手に伝える、親子であれば子供にわかりやすい表現を使うなど、まあ当たり前と言えば当たり前のことかもしれません。

私が小さい頃、幼稚園か小学校低学年の頃かと思いますが、何かいたずらをして母にひどく叱られたことがあります。その時に母は私がしてしまったことに対し、「理由を言いなさい」と何度も言ったのですが、その時の私の頭の中には「りゆう=龍=ドラゴン」が飛び回っていたのを覚えています。

これはその頃の私には「理由」という言葉がわからなかったというだけの話で、そこでその言葉を学ぶことができたわけですから別に悪くないとも言えます。ただ、その場面では「どうしてそういうことしたの?」とかだったらすぐにわかったと思うんですよね。

ちょっと専門的に言えば「理由」は抽象名詞で、「理由」という言葉の概念を持っていないと理解しにくいものです。例えば「アイデンティティ」という言葉が日本でもカタカナで使われだした1980年頃は、その言葉を理解できていない人が多数でした。

心理学者のエリクソンの代表著書で identity という言葉が「自我同一性」と訳されて久しいですが、この訳語は今でもピンとこないものです。むしろ今では「アイデンティティ」という言葉の方がしっくりくるのではないでしょうか?

このように発信者が通じるだろうと思って選んだ言葉や表現が、相手にとっては理解できない場合があります。しかもその要因の多くが我々があまり自覚できていないものだったりすることが多く、そのために「どうしてわからないんだ!」となりがちだったりします。

というわけで、次回以降はその様々な要因を述べて行こうと思います。

#英語 #英語学習   #語学 #コミュニケーション #共生社会   #伝え方   #教育


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