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新婚生活もVR恋愛も充実!「互いのバーチャル」尊重し合う - 新しい家族の価値観と実践

【LIVE】とあるバ美肉の新婚生活【蘭茶みすみ】ねむちゃんねる【人類美少女化計画】

 仕事から帰ると、私は法定パートナーと一緒にごはんを食べる。リアル・バーチャル両方での出来事を語り合い、各々の部屋へ戻る。パートナーは本を書き、私はヘッド・マウント・ディスプレイを被り、バーチャル世界で大好きな姿になる。そして大好きな人と一緒に遊んでえっちする。そんな生活をずっと続けている。

 新婚生活をしながらVR恋愛「お砂糖」を何回もしている。私が大好きなねむちゃんとえっちをしたら、法定パートナーも「よかったね」と喜んでくれる。私が生放送で「今のお砂糖は…ねむちゃん大好き」と言えなくて後悔に苛まれているときも、「ねむちゃんは、みすみちゃんと何回もえっちしてるし、大好きって言ってくれてるから大丈夫だよ」と慰めてくれる。ときにはパートナーが私のおま⚫こをいじってイかせながら、私が「ねむちゃん大好き」と喘ぐこともある。私はパートナーに、バーチャル世界の喜怒哀楽を常に共有している。リアルでもバーチャルでも、つらいことも楽しいことも、いつだって一緒だ。

 バーチャル世界で、パパ活をしたり授乳をしたり、風俗嬢になろうとしたりしたこともパートナーはすべて知っている。授乳をすれば「がんばったね」、パパ活をすれば「お金を稼いでくれてありがとう」。風俗受験に関しては、昔から「なりたい」と言いながらも受験しなかったことで「(女の子だが)男らしく正々堂々と風俗嬢に応募しろ」と怒られたくらいだ。

 ここで「なんかおかしくない!?」と思った人はいるかもしれない。私の場合、2年前に結婚した法定パートナーと、VR恋愛「お砂糖」の相手は違う。現在の価値観では違和感を抱くのは、結婚は恋愛の末に行うものだと広く思われているからだ。

 しかし、我が国の基本法たる日本国憲法の24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。3月に札幌地裁が、同性婚を認めないのは違憲だとする判決を下した。14条の法の下の平等を根拠に、同性愛者が異性愛者との婚姻と同等の法的な保護や利益を受けられないことを指摘した内容だ。婚姻とは、究極的には両者が合意のもとに協力し、法的な利益を享受する制度に過ぎないと言えるだろう。

 「そうは言ってもパートナーは嫉妬しないのか?」と心配になる人もいるかもしれない。好きな人に別の好きな人ができたら当然だろう。確かに羨ましいがられることはあるが、それは相手に対してではなく、好きな人との関係性に関してだ。パートナーに「みすみちゃんは好きな人が実在してコミュニケーションが取れて羨ましいな」と言われたことがある。パートナーの好きな存在は創作の中にいて、コミュニケーションができないからだ。

 しかし、私はパートナーが好きな存在がどういうものかを知らないし、知らなくていいと思っている。私のバーチャル世界での出来事をパートナーが知り尽くしているのは、私がバーチャル世界をオープンにしているから。一方、パートナーが自分のバーチャルとも言える創作の世界での出来事を私に話したがらないのは、自分だけの世界にしたいから。互いの「バーチャル」との付き合い方そのものを尊重しているから、こうした情報開示の非対称があっても平等なのだ。

 婚姻と恋愛は全くの別概念だ。いくら好きでも、価値観やライフスタイルが違えば一緒に長く生活していくのは難しい。逆に、ライフスタイルが違っても、違いを受け入れられれば長く付き合っていけるかもしれない。我々はライフスタイルが違うけれど、違う状態を良しとして、互いの自由を尊重していれば、両者が違う存在が好きでも問題は生じない。

 私たちは肉体を介した性行為をしたことがないし、今後もするつもりはない。性行為により新しい意識を産み出すことは苦しみを生み出す行為だと考えているからだ。そして近い将来に、人類は技術的な手段で肉体から解放されて、永遠の生命と自由を得ることになる。人類の文明と知性は、すでに人類の肉体で活用できる範疇を越えている。人生100年は短いし、手が2本しかないのも不便だ。人類の文明の進化に、従来の生物学的手段で進化で追い付くことはもうできない。自らが肉体を改造し、やがて捨て、文明と同化でもしなければ、個人が文明の利益を最大限享受できる自由と幸福には至れない。

 私は、当分の間はこうした生活様式を続けていくだろうと思う。肉体があって、バーチャル世界があって、まだまだ肉体に意識があることで、完全な解放は実現していない進化途上の時代。しかし、バーチャルな世界である程度の「存在としての自由」は実現しつつある時代。これから、だんだんと物理的なリアル世界が、複数あるバーチャル世界と合わせて、「数ある世界のひとつ」に収まっていく時代に、「肉体側の生活は安定させつつ、バーチャル側で自己実現を進めていき、さらにリアル側にフィードバックしていく」価値観は大切になると思う。二つの肉体で三つの世界を楽しむ新しい婚姻生活は、今後の生き方の一つの選択肢にしてみるのもいいかもしれない。

 相手を求め合うことだけが愛ではない。束縛することで、互いの幅広い選択肢や人生の可能性を奪う可能性すらある。相手が大切ならば、自由を尊重し合い、疑念により崩壊しない信頼感でつながっている状態だって愛だ。 

 

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