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眞葛焼の高浮彫

横浜眞葛焼と聞いて先ず注目される技術が、高浮彫と釉下彩です。
釉下彩については、また後日お話します。

今日の話題は高浮彫。

香山作品において、まず目を引くあの立体表現……
鳥や蟹や植物が3Dで浮き出ているあの彫刻的技術を、

「高浮彫(たかうきぼり)」と呼びます。

香山が自筆の履歴書に「自分が発明した」と記していますが、
陶という分野は物凄く歴史が深いものでして、似たイメージの先駆は沢山いらして、別の名前で呼ばれています。

西洋では『田園陶器』と呼ばれていまして、とくにマニエリスムやバロックのリバイバルとして作られていました。

国内ですと、隅田焼などにも見られます。

香山と同じ明治期の陶芸界の重鎮、板谷波山も、葆光彩磁という装飾技法で、その前段階(素焼き時)に薄肉彫りという彫刻技法を用いています。
葆光彩磁も最高に美しい技術なので、板谷波山先生の重要文化財指定作品もぜひご覧になってください。

いやいや脱線しました。

今回の主役は私の最推し、香山先生による高浮彫ですっっ!!

私が大好きなのは高浮彫で、高校の時独学で真似をしたほどですが、
高浮彫は文献を読む程に日本人に不人気なんです。
いえ、実を言うと、発表当初から、国内外で賛否真っ二つだったんです。

(ちなみに山本さんも、香山といえば釉下彩がお好きだそうです。そんな山本さんが館長をしている眞葛ミュージアム、香山作品を間近で見れます!
下に貼っておきますね、ぜひその目で超絶技巧を目撃してくださいっっ)

明治期に活躍した工芸研究家の塩田真さんも、高浮彫はやめときなよ、とわざわざ香山の工房に足を運んでアドバイスしています。

第一回内国博覧会に、異例の嵌装の部へと出品した香山の作品も、コレ細工やり過ぎでしょと批判されてます。

更には、二代目香山も、先代の作品について
「故人は西洋向けのけばけばしいものよりも、日本向けの沈んだ雅致に富んだ物の方が得手のようでした」
と言ってます。このけばけば発言は、高浮彫はあんまり好きじゃないなあ、って二代目思ってない?と私的に感じるんです。(2024/01/20訂正。高浮彫そのものを否定しているのではなく、沈んだ雅致という日本古来の美観に基づいた高浮彫を晩年に制作していることから、二代目が初代の白薬陶器、初期高浮彫作品の特徴をピンポイントで指摘しているのだろうと思われる)

塩田真さんは、「高浮彫は児戯に等しい」と言っていましたが、
寧ろ、遊び心のカタマリみたいな人でしょう?香山さんて。
と私は彼への批判すら、コミカルに思えてしまうのです。

他の方の記事で、眠り猫の水指の可愛さにうっとりして、香山さんの遊び心を絶賛していらっしゃる方をお見掛けしました。

高浮彫牡丹に眠猫覚醒蓋付水指

他にも、宮川香山の高浮彫には、
「蛙が囃子細工花瓶」

蛙が囃子細工花瓶

という、ちいかわに劣らずメチャクチャ可愛い、扇子をあおいでいる蛙の作品とかがあります。

ユーモラスで楽しく、ビックリするほど細かく作りこんじゃっている。
花瓶の鳥の羽一枚一枚に、それぞれのディテールが見えるんです。
集中力ヤバすぎです。

それが香山世界の醍醐味なんです。

宮川香山が香山になる前。父長造さんの四男として生まれた虎之助さんは、お父さんからみっちり陶技を教わりながら、生家の東山眞葛ヶ原で、夜店に出歩いては骨董品に触れてまわり、和漢の陶器に詳しくなっていきました。

虎之助さんが12歳の頃には、双林寺の長喜庵義亮という画僧から、絵も学びます。

その義亮さんに筆洗を作ってくれんかの、とお願いされ、虎之助さんは白焼で作って、底に龍を浮彫りにして、墨を入れたときに龍が雲の中から顔を見え隠れできるように工夫した、という逸話が残っているのです。

子どもの頃からずっと、遊び心を大切にしていた人です。

さらに私が決定的だと思ったのは、宮川香山が晩年、亡くなる3年程前に立ち上げ、3カ月だけ続けた、狸亭というブランドです。

徳利とか楊枝入れとか湯呑とか、日常使いの出来る小物を作っていたみたいです。
タヌキモチーフの小物なんて、メチャクチャ可愛いに決まってます。

現代作家さんの作品で、X(旧ツイッター)で見かけた事があります、タヌキの陶小物。

(因みに、その大変貴重な狸亭作品の一つ「狸ノ酒徳利」は今、眞葛ミュージアム館長山本さんの家宝となっているそうです)

これは相当、香山さんが高浮彫という彫刻的技術を気に入っていた証拠として、十分なんじゃないでしょうか。

よくよく考えたら、
金をフル活用したものを輸出するのは国家の損失につながるとして疑問をもち、金彩を出来るだけ使わない事で原価を下げ、
作品の価値を限界まで上げるアンサーとして苦肉の末発明したのがあの技術なんですもの。
自信があるから作り、実際海外で大人気だったんですから。

当時の日本人の目には刺激的過ぎたかもしれませんが、100年経った今、現代人には香山の遊び心はとても受け入れられるものだと思います。

というわけで、私はこれからも、宮川香山の高浮彫が好きと言い続けたいと思います。

そして、眞葛焼復興を現実化する手段として、高浮彫にフォーカスする理由があるのです。
その事は、眞さんとお話した時に判明した事実に基づきます。そのお話はまたいつかしましょう。

画像2点の詳細:
作品名「高浮彫牡丹に眠猫覚醒蓋付水指」田邊哲人コレクション
作品名「蛙が囃子細工花瓶」山本博士 所蔵

この記事の参考資料:
「みなと横浜が育てた眞葛焼」発行 横浜市教育委員会(文化財課)1989年
「横浜美術館叢書7 宮川香山と横浜真葛焼」著 二階堂充 発行 株式会社有隣堂2001年
「世界に愛されたやきもの―MAKUZU WARE眞葛焼 初代宮川香山作品集」著 山本博士 2010年
「宮川香山 眞葛ミュージアム ガイドブック 幻のやきもの 眞葛焼」編著 山本博士 2014年
「初代宮川香山 眞葛焼」編著 山本博士 発行 宮川香山眞葛ミュージアム 2018年
「神業ニッポン 明治のやきもの 幻の横浜焼・東京焼」監修:荒川正明 2019年

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