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死ぬのが怖い?そんなあなたに読んで欲しい「確実で不確実な『死』とは」【フィンチ家 解説&考察】

人間の最終目的地『死』
その避けられない宿命的な『』に恐怖心を抱く人も少なくない。
なぜ我々は『』を恐怖するのだろうか。
そして、どのようにして我々はその『』を乗り越えるのか。

フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』は、そんな人間として避けることのできない命題に挑んだ。

《『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』とは?》

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今作”What Remains of Edith Finch”は、2017年にPC/PS4/XboxOne向けに発売され、2019年にはSwitch向けにも発売された一人称アドベンチャーゲーム。2012年に”The Unfinished Swan”を開発・発売したアメリカのゲームスタジオ”Giant Sparrow”の作品です。

ある『呪い』に縛られた一家の歴史を様々な回想シーンを経て、様々な『死へのプロセス』を追体験するというスタイルで語られる物語重視の作品です。

《死恐怖症とは”何”なのか》

有名な精神分析学・心理学者ジークムント・フロイトは、人の持つ『死に対する恐怖心』は、精神の深層部にある何かしらの懸念・心配が引き起こす擬態だとしました。また、一度も『死』を経験したことが無いはずの人間が、『死』そのものに対して恐怖心を抱くことはあり得ないともしました。彼は『死に対する恐怖心』をギリシャ神話の『死』の神タナトスにあやかり、タナトフォビア(死恐怖症)と名付けました。

発達心理学者のエリック・エリクソンは、『死に対する恐怖心』は『自我の完全性』と大きく関係するとしました。『自我の完全性』とは、人が自身の人生を受け止め、その人生の目的を果たしたと思える状態のこと。この状態にある者は、『死に対する恐怖心』が薄れる傾向にあります。高齢者の『死に対する恐怖心』が少ないという傾向がまさにそうだというのです。。また逆に、これまでの自身の人生は失敗だ、と思う者は『死』に対して強い抵抗と恐怖心を持つ傾向にあるのだと語りました。

哲学者のマルティン・ハイデガーは、『』は避けられない『確実』なものとしながらも、それがいつ、どのようにして訪れるのか分からない『不確実』なものでもあるということから、『不安』が生まれ、それが『恐怖』へ繋がると説きました。

《確実に訪れる:死=呪い》

今作では、主人公がフィンチ家の様々な『死へのプロセス』を体験していきます。
ここで大事なのは、それが死に至るまでの『プロセス』であって、『死』そのものを描いているわけでは無いということ。そして、今作で描かれるそのプロセスには、ある『約束』があるんです。
それは、みんな必ず『幸せ』または『解放感』を感じてから『死』を迎えているということなんです。
空腹に苦しむモリーはたらふく食べる体験をして。
宇宙飛行士に憧れたカルヴィンは宙を飛んで。

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しかし、これらの死因が実際の死因だったのかは分かりません。というのは、これらのシーンは主人公の曾祖母のイーディーがまとめたメモリアルブック的なものを読みながらの回想シーンだと推測されるので、このイーディーが意図的に『幸せ』で満たされた終わりを迎える物語に仕上げた可能性があるからです。
それでも、イーディーは子どもたち、孫たちがこうした『幸せ』を感じて亡くなったという風に解釈することで、彼らの『死』を受入れ、乗り越えられたのではないでしょうか。

この手のゲームは「いかに不憫な死を遂げたのか」とかを描くのが定番で、やっていて辛くなってくることが多いんですけど、今作に関しては、これだけ人が死にまくっているのに全然辛くないんですよね。これがまた凄く不思議な感覚で面白い作品でした。


我々、人間の人生はマルチエンドとみせかけて、最終的にはみんな『死ぬ』という確定シングルエンドなんですよね。
人間である以上『死』からは、避けられないんですよね。
舟に乗って家族を連れて逃げても、逃げられないわけですよ。どこまででもついてくる。
では、その『死』という名の『呪い』と如何に付き合っていくのか、を考えていかないといけないわけです。

今作で体験する『死のプロセス』1つ1つが、それぞれの人物の『死』との向き合い方だと思うんですよね。
また、イーディーという曾祖母の生き方も『死』との向き合い方ですよね。彼女は子どもらの祭壇や墓地を作ったり、機会があれば普段訪れることのできない彼女の『オリジン』でもある海に沈んだ家にも喜んで向かう。
イーディーは先祖、そして家族の『死』『呪い』を受入れ、その一家の歴史と未来を大切にしていこうというポジティブな姿勢を見せてくれます。

個人的には、『ウォルター』の回想シーンが地味ながら綺麗で、一番グッと来ましたね。

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『死』=『呪い』=『恐怖』=『列車の音』を克服し、壁をぶち破って外に出ていく姿は、『この一家の呪いから解放され、自分の道を切り開くんだ』という意志が感じられる超熱い展開でした。
しかし、それでももちろん『死』は避けられぬもの、という流れは残酷ながらも綺麗すぎる最高の回想でした。

今作では、祭壇を作り墓地を作り『死』を受容しようとする曾祖母イーディーと、イーディーの作った祭壇の部屋への扉を封印し『死』を拒み続け、呪いから逃げ続けようとする母ドーンの対比が描かれていたわけです。
ある意味、この母親ドーンがフィンチ家で一番『普通』の人間として描かれていた気がします。

《不確実に訪れる:死=突然》

また今作のもう一つのテーマは、『死』は突然訪れる、ということでした。
今作に登場する『死』はすべて避けられたものでしたよね。
見る人によっては『なんてめちゃくちゃな親だ!』とか思う方も居るみたいなんですけど、個人的には『今日は大丈夫!』そんな怠惰が招いた『死』だと思うんですよね。

昔は『今日はもう晩御飯無し!』とかありましたよね、そんなことが招いてしまったモリ―の死。
一瞬なら目を離しても大丈夫だろうと、感情的な焦りもあるであろう離婚話を優先してしまったせいで死んだグレゴリー。

まさにハイデガーが残したように、『死』の訪れは『確実』でありながら、それがいつどのように訪れるかは『不確実』です。そして、そこから生まれる『不安』を少しでも和らげるためにも、後悔しないように生きることがエリック・エリクソンが残した『自我の完全性』に繋がっていくような気がします。

「毎日を悔いのないように生きよう。」
「明日死ぬ気で毎日を過ごす。」

よく聞く言葉ですが、実際に実践するのは難しいこと。
ただ、少しでもそうした気持ちを思い出して、少しでもそれに近づこうと思うだけでも十分ではないでしょうか。
『毎日を大事に、大切に生きよう』と改めて考えさせられるような作品でした。

さて、というわけで今回はこんな所で終わっておこうと思います!
ちなみにフィンチは鳥のことですが、シンボリズム的解釈としては『祝い』や『幸福』という意味合いを持つ明るくポジティブなシンボルです。
またまた皆さんの解釈や、この動画の感想などお待ちしております!

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※ユル解説とは?
LamNotが、プレイしたゲームの感想、考察や解説、考えさせられたことなどを好き勝手『ユル~く話す動画シリーズ』です。今後は文学や映画作品も追加予定?基本的には哲学的な問題や心理学的な側面から作品を分析する。不定期更新。

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