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アラフィフからnoteを始めてみた。

 初めまして、女上(メガミ)アサヒと申します。Twitterでつぶやいたり、
pixivでは二次創作の小説やオリジナルの小説を投稿したりしています。
今回、noteを始めたのはウェブライターや小説家も目指しており、まずはエッセイのように好きなことを書いていこうかと思い、登録しました。

 現在、仕事は病気療養中のため、無職の状態です。普通の社会復帰も難しい体調で、いつか、在宅での仕事が出来たらいいな、と希望を持っていますが、その「いつか」とはもうアラフィフですので、若い時から勘定すると、「今頃」となっているかもしれません。
 ですが、まだ諦めたくなく、本格的に文章も書き始めたのも43歳からと
遅いめです。お笑い芸人、錦鯉の長谷川さんのように人生どうなるかわかりません。触発されてる方は色んな業界で多いかもしれませんね。
 
 文章を書き始めて、今年で7年くらいになりますが、まだまだ日々精進です。しかし、私よりずっと年下の方が小説家デビューしていたりします。年甲斐もなく焼きもちを焼くこともあります。でも、その方の文章には輝くものがあったのだと想像します。私も多く読んで頂けるエッセイ等をnoteで書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
 あと、まだnoteの機能を扱えないので文字のサイズを変更したりすることができませんので、読みずらいことがありましたらこれから勉強してまいります。



 <<職歴と病歴①>>
 現在、某電話会社(と言ってももう誰もがご存じだと思いますが)の通信障害で電話が繋がらなくて、大混乱に陥りましたが、私はとある会社のコールセンターで勤めていました。私の経験上になりますが、この会社の電話会社のオペレーターさんは電話が、繋がったら、次から次へとクレームの嵐かもしれません。私にもそんな経験がありました。
 
 なぜ、人は電話となると、ここまで暴言を叫ぶことができるんだろう、って不思議でした。しかし、今回ばかりは通信障害が長時間なので、「無理せず、頑張れ!」としか、言えません…。あと、このクレームの嵐が過ぎ去り、身体は元気でも微熱が長期間続いた場合は、内科だけでなく、念のために心療内科も受診して欲しいです。気が付けば自律神経も壊れてるかもしれません。風邪を引いた時と同じ感覚で心療内科に行って頂きたいです。
 
 私が精神的な病と初めて診断たとき、40代前半でコールセンター勤務でクレームの嵐に巻き込まれた最中でした。仕事は正直なところ簡単でした。早くて、2,3分で終わるような内容ですが、ある災害がキッカケで毎日がクレームだらけになってしまいました。
 新人だった当時は頑張らないといけない、という使命感で毎日通勤していましたが、すぐに微熱が出てきました。37,5℃。でも、身体はピンピンしています。ただの風邪だと思い、解熱剤を飲み、だんだんと薬が手離せなくなりました。しかし、二箱目を飲み干したとき、全然熱が下がらないことにようやく、「おかしい」と気づきました。今となれば、かなり遅かったと思います。
 ネットで「微熱 下がらない」と、検索サイトから調べてみると、
「自律神経失調症」でヒットしました。とりあえず、近所の心療内科を調べて、行くことにしましたが、全く初めてのことであり、あるサイトでお医者さんの評判の「口コミサイト」を読んでいくことにしました。
 そこは「口は悪くても、診察は評判のいいお医者さん」と記載があり、そこしか当時はわからず、仕方なく行くことにしました。
 お医者さんは確かにとっつきにくいような雰囲気を醸し出していました。私のこれまでの状況を話すと、「完璧なパニック障害」と診断されました。
えっ? また新しい、しかも聞いたことのない病名だ……と思うと涙が自然に零れてきました。
 「パニック障害…だと!?」と、まさに、こんな状態で受け取っていました。「自律神経失調症」だと思っていたのに、まさかのパニック障害。微熱だけだったのに。とっつきにくい(またすいません)雰囲気の先生だったのに、一発で診断されてしまいました。朝昼晩と大量の薬を処方されたことを覚えています。
 私の症状は微熱もそうでしたが、息苦しさもありました。しゃべる仕事なのに喉が詰まる感覚です。仕事にならない精神状態となったため、1か月、休養を取ることになりました。しかし、心から休まりません。薬を飲んでも寝られず、あの何日で仕事復帰だ、どうしよう、と考えるばかりでした。
 仕事は簡単、でもクレームが多い。幸いにも上司は私の体調に理解がある。休んでいる間、いつも布団の上で座っていたことを今でも覚えています。
 気分転換で海に行ったこともありましたが、その場では楽しくても海から離れ、楽しかった時間も離れ、仕事復帰が近付いてくる。それが付きまとっていて、私に仕事復帰は可能だろうか?と自己不信にも陥っていました。
 復帰1週間前、寝られませんでした。先生に相談すると、薬がどんどん増えていくだけでした。先生を信じ薬を飲み続け、とうとう復帰の日がやってきます。確か早寝はしたけど、夜中に何度も起きては寝ての繰り返しであまり眠れませんでした。
 仕事は何とかできました。大丈夫だ、と思っていましたが、もともとクレームが多い職種なので、一度目のクレームでダウンしました。もう仕事に行けず、休みがちになり、心身共についていけないと痛感し退職することを決意しました。働き始めて5か月目くらいです。根性がなさそうですが、その当時、同期で残っていたのは、最初は10数名いたはずなのには私を含め数名程度で、それくらいキツい職場、というか、お客さんだったかもしれません。
 退職を決意し、会社に電話をすると、引き留められました。短時間でも構わないから、働いて欲しいとのことです。当初の契約社員からパートに代わり、短時間での勤務に変更するということでした。予想外で短期間なら当時の年齢から考えると、仕事はもうコールセンターしかないはずなので、新たな職場を探すより、短時間ならクレームも少ないだろう、と思いと留まりました。すると、会社の方の言う通り、どうにか仕事をこなすことができ、クレーム対応も確かにだいぶ減り、仕事も楽しく感じることが多くなっていきました。その影響か、心療内科の薬は飲まなくていいのでは?と感じてしまい、自己判断で通院を止めてしまいました。
 それからが大変でした。薬を止めてから全く寝られなくなったのです。また夜中に何度も起きては繰り返し、朝を迎える生活に逆戻りでした。でも、仕事は慣れても短時間。普通の人よりお金は稼げなくても、仕事前に眠くなり、仮眠を取っては仕事に行く生活になりました。
 その生活を繰り返して数ヶ月、ようやく怒鳴られるようなクレームにも慣れ、夜も寝られるようになりました。心療内科のお世話にはもうならない、と決心してしまいました。当時の私の生活は健在だった母親の年金と私の少ない給料、そして兄からの援助でした。生活はきつかったのですが、精神的に安定しており、毎日が楽しく感じるようになり、まだ短時間勤務でも、いつか元の長時間の契約社員に戻るまで頑張ろう、と決心しました。
 その決意は今思えば、根が真面目過ぎた現れだったかもしれません。

#エッセイ #コールセンター #パニック障害


 

 


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