「昭和少年事件帳⑯」台風襲来日の中学校プール事件!
(はじめに)これは、私が青少年期を過ごした昭和時代の話です。
同じ時代を生きた皆さんをはじめ昭和をご存じない世代の皆さんにも楽しんでいただければ幸いです・・では、事件の始まりです。
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中1か?中2の夏休み中の事件です。
台風銀座と呼ばれるぐらい台風の上陸や接近が多かった宮崎で生まれ育ったこともあり、子供のころから台風襲来は慣れっこでした。
「今度の台風は勢力が弱くて、雨が時々強く降る程度らしいぞ。」
“少しぐらいは降って欲しいよな、そうすれば水量もちょっとは増えるやろ。”
ここでいう水量とは町の中心を流れている川の水の量です。
山あいを縫うように流れているため川幅が狭く、泳ぐというよりよどみに潜りに行く場所でした。
そして、毎年、夏休みの空き時間の7~8割は川にいたと思いますし、勉強していた時間より川の中にいる時間の方が長かった気がします(苦笑)
「そうだ! 台風の日なら水嵩が増えて、泳げるんじゃねぇ?」
(注意)昭和の子供は川に慣れていましたし、上流にダムもない頃の話です・・時代が違いますのでよいこの皆さんは決してマネしないでください。
そして、台風当日降りしきる雨の中、川に集まったのは私を含め5人です。
なお、家を出る際の母親とのやり取りは以下のとおりです。
「友達ん家で勉強してくるわ。」 “はぁ~っ? 台風の日に?”
「台風だから集中できるとよ。」 “で、誰の家に行くと?”
「集合場所しか決めてないけど、ヤスオの家かタカオのところかなぁ?」
一見するとでたらめですが、微妙にアリバイ工作がしてあります。
勉強するつもりは毛頭ありませんが勉強道具は持って出ました・・大雨時の川遊びに集中力は必須です・・集合場所(川)しか決まっていないのも事実ですし、名前を2人だけしか出さなかったのは居場所を詮索されたときの保険です(笑)
集まった残り4人も、ほぼ同じような会話を経てここにいるはずです。
「お~スゲ~ 結構、水でてるなぁ~」
確かにいつもの川幅の倍はありそうです。
最初は大はしゃぎで泳いでいたのですが、その後も降り続ける雨で水位が上昇し、川幅が更に広がってきました。
それは、単に水嵩が増えたというだけではありません・・川の流れが徐々に速くなってきたのです。
クロールで必死に泳いでも、ジリジリと川下側に流されます。
これでは、川の中で全力疾走しているようなもので中学生とはいえ体力が続くわけがありません。
“もうこれ以上はムリだ、諦めて帰るか?"と、その時、妙案が浮かびました。
「学校のプールに行こう!流石に今日は誰もいないやろ!」
賢明な選択だと思ったんですけどね、この素晴らしい(?)思い付きが事件に繋がるとは・・ね。
土砂降りの中、学校までやってきました。
思ったとおり、プールには誰一人いません。
夏休み中、プールは生徒に開放されていましたが、普段利用しているのは女生徒だけで男子は殆どいませんでした。
プールの水は川と比べると生暖かいし刺激もなく、男子に不人気だったのにはそんな理由もあったかと思います。
当然入口には鍵が掛かっていますので、フェンスを乗り越えて中に入り泳ぎ始めました。
水温はいつより低かったし、広いプールを5人で独占できて最高の気分で盛り上がっていました。
しかし、その楽しい時間は長くは続かなかったのです。
突然、“こらー! お前達は一体何やってるんだー!"もの凄い怒鳴り声がプールに響きました。
声のした方を見ると、フェンスの向こうに傘をさした男の人が立っています。
「やべ~ 教頭だ」
“今すぐプールから出て、着替えたら校長室に来い!"
何でこんな日に教頭が学校にいるんだよ・・って思いましたが、今になって考えると、こんな日(台風直撃日)だったから待機していたんですよね(苦笑)
すごすごと校長室に入り、横一直線に並ばされました。
事件といいながら、台風の日にプールに入って怒られただけじゃんって思われるかも知れませんが、これを事件として記憶したのには訳があります。
この時の教頭先生の怒りが尋常ではなかったのです。
目は血走り、唇と右拳がワナワナと震えています・・この人、いきなり殴りかかってくるんじゃないかと思ったぐらいです。
“今日、台風が直撃していることは知っているな!”
「はいっ!」
“プールが閉鎖されていたことも知っているな!”
「はいっ!」
“お前達、中学年にもなって監視員のいないプールが危ないことも分からないのか!”
「ハ?ィっ?」
監視がいないから?プールが危ない? 普段、川で遊んでいる身としてはピンと来ません・・
「さすがに今日の川は危ないと思ったから、プールに移動したんですけど・・」って喉元まで出ましたが、飲み込みました・・とても言える雰囲気じゃなかったんです。
それからどれくらい怒鳴られ続けたか、正確な時間は覚えていませんが、よくもまぁ続くなぁと感心しました。
長かった説教が終わりようやく開放されるかと思ったら、“一人ずつ、クラスと名前と家の電話番号を書いて帰れ!”との指示です。
ゲッ!この人、家に電話する気だな・・とは思ったものの止める手段もなく帰宅するしかありません。
この時5人の中で決めたことは一つ、何があっても川に行ったことはしゃべらない事、プールだけでこの騒ぎです・・川の件を足したら違いなく激流に飲まれます・・
学校を出るころには雨はすっかり上がっていました。
家に帰れば怒られることは分かっていましたが、教頭先生に比べれば楽なもんです。
親なんて怖くないし、プールに許可無く入ったぐらいでそれほど怒らないだろうと高を括っていました。
ところが親の沸点はまったく別のところにあったのです。
教頭先生としては親からも厳しく注意させるつもりで電話したんでしょうが、余計なことにプールにいたメンバー全員の名前を各親に伝えたのです。
当然、親同士が連絡し合い、どの家でも合同で勉強なんてしていないことがバレました。
結果、私の渾身のアリバイ工作が裏目に出て・・母親に火を付けました“プールうんぬんよりも親に嘘をついたことが許せん!"という訳です。
とんだとばっちりです、結局、父親まで引っ張り出してきて、たっぷり絞られました。
散々な1日となった訳ですが、これが何と更に続きます。
それから数日後に迎えた登校日に、今度は担任の先生から改めて説教を受けた上に反省文まで書かされたのです。
恐らくこれも教頭先生からの指示です。
こうして私達は、プールで泳いだ時間の何倍もの時間を後始末に費やすことになります。
教頭先生の執念に完敗ですが、実はこの執念には大きな理由があったのです。
夏休みも終わり、二学期も中盤に差し掛かっていました。
私の頭の中では「台風の日のプール事件」も風化しつつあったある日、帰宅した私を母親が待ち構えていました。
“あんた達が台風の日にプールに入って怒られた理由が分かった。”と言うのです。
当事者の私が不思議に思っていた以上に親も不可解だったんだそうです。
”台風の日に川にでも行ったのならともかく・・”
《ギクッ!》
プールに入ったぐらいで・・って思ってたらしいのです。
子も子なら、親も親です(苦笑)
しかし、告げられたその理由は衝撃的でした。
教頭先生は今から二十数年前に水の事故でお子さんを亡くされていたというのです。
それで全ての謎が解けました・・・
あの激しい怒りは私達向けだけではなく、亡くなられたお子さんへの懺悔とそれを未然に防げなかった自分自身への後悔もあったんでしょうね。
先生にとって水の事故はトラウマだったハズ・・黙って見逃すことなんて出来る訳がありません。
この後、私は母親の話を上の空で聞きながら・・プールの前に川行ったことをしゃべらなくて良かったと心底思いました。
もし、白状していたら・・教頭先生の寿命を確実に縮めていたと思います・・・(苦笑)