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アートと本とコーヒーと:Septemberはアメリカの季節

9月に入って読んだのは、偶然にも、アメリカ人の本2冊でした。

20年前の今日、9月11日8時45分頃、私はニューヨークのダウンタウンのビルにいました。ニューヨークコレクションの真っ最中で、あるブランドのプレゼンテーションが行われようとしていたその時、「みなさんに話があります」と責任者の方が重い口を開き、高層の角にある自室に招きました。

そこで、目の当たりにしたのは、ワールドトレードセンターが倒れる瞬間。私は座り込み、何が起きたのかもわからずただただ涙があふれていました。宿泊しているホテルまで歩いて帰る途中、黒い煤のようなものを被った人たちとすれ違ったこと、水や冷めたピザを買いだめした韓国人経営のスーパーマーケットの薄暗さ、いつも賑やかだったファラフェル屋さんの誰もいない店内……。このことをはじめて文字にしながら、当時の9月の気温を肌が思い出しています。

そして、もしかしたら、この著者、ビル・カニンガムもこの日、ニューヨークの街角で気に入ったファッションを追いかけようとしていたかもしれません。

7月に出たばかりの『ファッション・クライミング ビル・カニンガムのファッション哲学、そのすべて』(ビル・カニンガム著 渡辺佐智江訳 朝日新聞出版社)は、ビル自身が生前に書き記し、人の目に触れたくないのか、安全な場所に保管しておいた自伝。

ボストン郊外のアイルランド系住民が暮らす街で生まれ、幼少期からファッションに魅せられたビルは帽子デザイナーとして活躍したあと、カメラを手にストリートでファッションショーでパーティで、着飾った美しい女性たちを追いかけました。カメラで擦り切れてしまうからとフランスの清掃業者のユニフォームである青い上着を愛用し、80歳過ぎてなお自転車で街を駆け巡り、華やかなパーティに出席しても水1杯飲まない……なぜ、ここまで真っすぐに、ファッションとだけ向き合えたのかと興味がふくらみます。

「ビル、きみはだれのことも怖れないんだね」とホヴィング氏に言われた。私は心底驚き、彼を見てこう言った。「人間は相手を怖れるなんてことがあってはならないと思います。上に立つ存在として敬意を抱くことはあっても」
創造的な人への私の提案、それはーー決して尻込みしないこと。
私は衝動にかられてラフスケッチを数枚描きワシントンに送り届けたが、返ってきたジャッキー・ケネディのメモには、「お断りします!」とあったーー私のアイデアはドラマにあふれすぎていたのだろう。

これらは、ビルがまだ帽子デザイナーだった頃の言葉。

もっと、ビルのことが知りたくて、2013年に公開されたドキュメンタリー映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(監督 リチャード・ブレス)のDVDを観ました。

ドキュメンタリーの中で、なぜ結婚しなかったのか、なぜ毎週教会へ通うのかが問われます。「答えなくてもいい」としながらもとても踏み込んだ問いかけに、いったん顔をそむけ、静かに一言二言答えました。

ビルがファッションを愛した裏側には、創造への探求はもちろん、誰もが好きなファッションを纏うのは自由であり、そうすることで本来の輝きが増すこと、人の数だけ輝きのバリエーションがあり、そこに人生の創造性があると信じたのではないかなと思う。そして、それを見出す喜びにとりつかれ、一生を捧げようと決心したのではないかなあと勝手に想像します。そうするしかないという、そんな生き方もあるんだよねえと。

映像の中のビルが、頑固なくせに、笑顔がチャーミングでとてもやさしいのは、自分のことをよく理解し、それを受け入れ、まっとうしようとした人の清々しさのような気がします。

もう1冊『アメリカを葬った男』(サム&チャックジアンカーナ著 落合信彦訳)は、1908年にシカゴのイタリア人街で生まれ、アメリカの政財界、ハリウッド、CIAなどを支配したギャング、サム・ムーニー・ジアンカーナの話。ずいぶん前に読んだ本だけど、なぜか、気になって再読。ケネディファミリーのことマリリン・モンローのことも赤裸々に語られていて、これもまたビル・カニンガムとほぼ同時代のアメリカの姿だということに驚きます。

今年10月にケネディを敬愛するバイデン大統領によって、ケネディ米大統領暗殺事件関連の機密文書が全面公開されるというから、この本の登場人物たちがどのように関与していたのか、30年前の本とはいえどまだ本棚に戻せなさそうです。

アメリカをそして世界を変えた1963年11月と2001年9月。同時多発テロがいまのアフガニスタン状況へと続いていることを前に、無力過ぎて、途方に暮れているだけではと、友人のカメラマンに教えてもらい長倉洋海さんの写真集を購入。来週あたり写真集が届いたら、もう少し、世界に近づけるでしょうか。

最近、入手したデロンギのミルで挽き、これまた購入したばかりのドリップポットを使って淹れているのは「樹上完熟 晩秋摘み」(ブラジル産)。新しい道具のせいか、豆の特徴なのか……舌に残る苦みがやや強すぎるかも。次は、もう少し、マイルドに。

ばっちり自分好みの味も道も……、たぶん、一生かけて探すんだろうな。




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