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見えない何かに支配される日本人

自分がやりたい事をやる
そんな当たり前のことができない人だっている
自分のやりたい事なんてないと言う人もいれば、他人の目があるからできないと言う人もいる
自己の内発的な力は時に外圧で消されてしまうこともあるのです。

自己の内発的な力というものはこのように力があったとしても、今度はそれを行為へと向けるためには周りという自己の外世界での許可のようなものを求めるものなのである。
自分の何かやりたい事をやるという行為は常にそういうものとの戦いなのかもしれない。

友人にいつも女装の格好をする人がいる
昔からそういった自分のやりたい事があったにも関わらず、やはり他人の目というものを気にしてか、周りの空気によってその内発的な力は抑えられていたということだった。
しかし、さっこんのLGBT Q+のようなジェンダー問題への周囲の意識の変化が強制的に行われたことをキッカケに気にする事なく自分のやりたい事ができるようになったのだという。

この見えないものに対する「配慮」は一体どこに向けられているのであろうか
他人の事には目もくれない人間が多いくせに均質化されたものから外れた「疎外された物」にはその配慮を要求する一部の人間だろうか

何はともあれ我々は見えないものに多くを支配されている
しかし、見えないものへの関心とはなかなか向かないものだなぁと思うのです

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