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ジェンダーの捉え方という礼法について

ここ最近において、SDGsの観点などからフェミニズムやジェンダーの問題について直面し、考える機会が多くなってきていると思います。
しかし、お役所などの人たちはもちろん、普通に暮らしている人々にとってもそこまで意識をさせられることはありません。

この前、レストランに入ったり飲み屋へ行くと座っていたり一緒に歩いているカップルの態度に目が入ってしまいます。
女性がドアをあけている、男子がソファー席に座っていて女性が手前の椅子に座っていたり。
別にそれはその各々の関係性においてのことだから気にしなくてもいいのではないかと考えてはいるのですが『僕』にはそういった習慣がないためなんとも落ち着かないのです。
レディーファーストという完璧な意識はないですし、それを教育されたわけでもないのですがそういう扱いをしなくては自分が気持ち悪いのです。

このとき、これは『僕』の女性を尊重するという主体性の内なる考えを意識しているのですが、中にはそんなことを考えない人もいるのです。
また、この動機としてとらえられるのは自分が嫌われたくないから、女性を尊重すること、女性は弱者でありその保護対象としての態度の表れなのか……
少し気になったので考えてみました。

フェミニズムやジェンダーの視点から見ると、女性を尊重するということと女性を弱者として守らなくてはならないという態度は、実際には異なる意味を持つと理解できます。

女性を尊重するということは、女性の個々の能力や意見、経験、権利を認識し、これらを尊重し、平等に扱うことを意味します。これはフェミニズムの中心的な原則であり、性別に関係なくすべての人々が機会と権利について公平に扱われるべきであるという考え方に基づいています。

一方で、女性を弱者とみなして保護する必要があるという視点は、しばしば「被害者のフレーム」または「保護的なパターナリズム(父権主義)」と呼ばれます。

この視点は、女性を無力で助けを必要とする存在と見なし、その結果、女性の能力や独立性を無視または過小評価する可能性があります。この視点は一部の状況、特に性犯罪やドメスティックバイオレンスなどの問題においては重要な役割を果たすかもしれません。
しかし、それが全般的な視点となると、女性の能力を制限し、機会を奪い、ステレオタイプを強化する恐れがあります。

フェミニズムやジェンダー平等の観点からは、女性を尊重し、女性の強さ、能力、潜在的な貢献を認識し、女性が自分自身の生活と選択をコントロールできるようにすることが重要です。
同時に、社会が依然として存在する性別に基づく不平等や差別を認識し、これに対処するための政策や施策を支持することも重要とされます。
女性が守られるべき「弱者」であるという視点は、このような平等や自立を実現する目標に対して逆行する可能性があるため、注意深く扱われるべきです。
ここは女性というセックス(生物学的という意)の特性の問題もあることは認識しなければなりません。
この差異を理解したうえでお互いを認め合い助け合うことがより良い関係になっていくのではないかと考えています。

日本にはもともとレディーファーストなどという概念はありません。
もともと外から入れられた概念でありますから、そんなものが根付くわけはありません。
海外では夜20時以降歩いていれば娼婦扱いをされてしまいます。
ゆえに男性と女性が歩くというのが文化となったのです。
日本にはそんな文化はありません。
女性を建物側へという礼法も馬車が走り出してからできたものです。

このようなエチケットばかりを気にするのではなく、変化による新しい意味を見つけ出してそれを再創造し世界に向けて日本の美しさを示すような役割を自分で引き受け自分らしく生きていけるような世界になってほしいのです。
それがSDGsでもLGBTQでも同じなのです。
「ガワ」だけ整えても大事なところをこころに持つことが大切ですから

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